■僕はいかにして打楽器奏者になったのか【その10〜高校時代(バンド活動)〜】

高校2年の秋頃にクラスメイトと話すなかで、3年になったら文化祭にバンドで出演しよう!という話になった。幸いなんらかしらの形でメンバーが全員が音楽に手を染めている人が集まったこともあり、ある程度は形になった

もちろん、オリジナルなどやれる余裕もなかったしコンポーサーもいなかったこともあり、当時徐々に人気の上がって来ていたドリカムをやることにした
ちなみに編成はボーカル、コーラス(+パーカッション)、ベース、キーボード×2、ドラム。なんとギター無し(笑)
ドリカムの楽曲はえてしてブラスセクション等が多く入ってる関係もあって、ギターよりもキーボードを優先した次第。かつ、この手の曲のギターは通常のロックよりも難しいという現実があった
(一曲のみドラムレスで僕がギターを弾いた曲があった)

そして帰宅部×2、和文タイプ部×1、バレー部伐1、吹奏楽部2、という不思議なメンバー構成によってバンド活動は始まったのだった
定期的に練習を行なって、演奏可能な曲かつ聴き映えのする曲を模索してレパートリーとして追加していく作業を徐々に行なっていった
基本的にメンバー全員がそれぞれの部活を行っていたので試験前や土日等を上手く使って練習をやりくりした。しかもお金がないので練習場所も色々なツテを使って格安のものを使って行った。

そしてどうにか、こうにか形にして文化祭に望んだのである
予想よりも文化祭での演奏は盛り上がった(と思う)
そして約半年後には卒業コンサートと題して、ライブハウスでなく、とあるホールを借りてワンマンライブを行った
予想以上にお金がかかり焦ったが、なんとか無事に終了することができた

残念なのは、この卒業ライブのときの録音音源が行方不明になってしまっていることだ

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