■僕はいかにして打楽器奏者になったのか【その9〜高校時代(三年、ファゴット・学生指揮者)〜】
高校最後の年は、ファゴット奏者として、また学生指揮者として活動した。ちなみにほぼ名前だけの副部長もしていた

生徒の自主性を認めてくれていた顧問の先生だったこともあり、コンクールを除き選曲等は生徒達で決定することが多かった、また学校内での文化祭等の演奏活動に関しては学生指揮者が指揮をすることになっていた
また、定期演奏会でも学生指揮者がオープニングと一部の一曲と二部(全体は三部形式)及びアンコールを振ることとなっていた
演奏会では一部の一曲と二部およびアンコールを指揮することとなった
ちなみにこの年はトレーナーとして指導に来ていた外部講師の方も振ったので顧問の先生は三部の曲しか振らないという珍しい状態となっていた。まぁ、その前に一回の演奏会で指揮者が4人いるってのも珍しいわけだが・・・

今考えても恐い話なのだが、演奏会に際して生徒が振る曲を顧問の先生もトレーナーの先生も一度も指揮をすることはなかった。それこそ合奏の場にもいなかったかもしれない・・・・今考えるとおそろしい話。自主性尊重しすぎでは?(笑)
ちなみにファゴットはどの程度吹けるようになったかというと・・・まぁ、正直なところ上手くはならなかった。
また、元来譜読みが遅いこともあって譜面で覚えているというより体(指)で曲を覚えてなんとか曲をこなしていたのが実際のところである

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