■僕はいかにして打楽器奏者になったのか【その4〜中学校時代(ドラムとの出会い)〜】

同学年との友人と組んだバンドの他に兄の友人達ともバンドを組んでいた

田舎に住んでいた為、練習スタジオに行くには電車で20分かけて都市(?)に出なければいけない環境だったこともあり月1回練習ができれば良い方であった
ちなみに同学年とやっていたのはブルーハーツのコピーバンド。兄達とのバンドではレベッカのコピーバンドをやっていた
人前でやったのはライブハウスではなく、良く使っていたスタジオ併設の楽器屋さんのスタジオライブぐらいだった
学校で一度、バンドとして音をだして職員室に呼び出されたこともあったが・・・

中学3年になるまでは部活にドラムセットが備品としてなく、マーチング用のタイコを寄せ集めてインチキドラムセットとして練習していた
(何故かハイハットだけは備品として最初からあった)
しかも3年になって初めて備品となったドラムはパールの”初代”バレンシアであった(わかる人だけ笑ってください)

先生も不思議な人が多い中学だった
音楽の先生はトロンボーンが専門の方でグレンミラー好きだった。そしてこの当時ですでにDTMをやるような新しい物好きだった
技術の先生は元ドラマーでオフコース好きだった

今でもドラムはセットでそろえると結構な金額となるが、この頃は今以上に高価な物だった。
というか当時、アマチュアが買える値段の楽器といえば、スタンドやら椅子のハードウェアがとてもチャチな物でとても長期間使える代物ではなかったようにも思う
中学生のお小遣いではスティックを数組買うのが関の山である
後は誰しもがやるように楽器のカタログを穴が空くほど眺めるばかり…

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