■僕はいかにして打楽器奏者になったのか【その3〜中学校時代(吹奏楽部)〜】

中学校に入り、僕は吹奏楽部に入部する

またもや担当楽器を決める際に、すべての楽器を吹いて(叩いて)「要領良く音が出た人=先輩のお眼鏡に適った人」がその楽器を担当するシステムがやはり確立されていた
またもや、たったの一回の音出しで・・・である。

だが、小学校のときと一部違っているところがあった
自分で楽器を持っている人は優先的にその楽器の担当になれるということだ
お金持ちのお坊ちゃんやお嬢ちゃんは親に買ってもらったキレイな楽器を手に自分のやりたい楽器をやっていた。
まぁ、彼等(彼女等)は学校とは別に音楽教室にも通い個人レッスンもしていたようだが…

さて、楽器決めである
小学校のときの反省を含め密かに楽器を借りて音だけは出せるようにしておいたわけだが根っからの小心者&緊張でまたもやスカー音の連発

そんなさらなる敗北にも似た要因で僕は打楽器奏者として中学校生活を送ることになったのである

しかしながら小学校と中学校では決定的な違いがあった
それはちゃんと指導してくれる先輩がいたということである
今でも先輩諸氏には感謝している
練習をしていた時間よりも楽器倉庫でお手玉サッカーをやっていた時間の方が長かったとしても…(笑)

また打楽器の同学年に良き友がいた。彼は母親がピアノの先生ということもあり幼年期よりピアノをやっていてリズム感があり譜面も読めてティンパニのチューニングも容易にドンピシャでできる優秀な奏者だった

その彼とは2年生時ごろから部活とは別にバンド活動も行うようになる。
彼は親に内緒でショートスケールのベースを買って、ベースを練習し始めた

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