■僕はいかにして打楽器奏者になったのか【その2〜小学校高学年〜】

僕が通う小学校には管楽器クラブというものがあった。
入ることができるのは小学校4年生からである。
編成上アルトホルンがあるものの、クラリネットとフルートは入っていてサックスがなかったように記憶しているので、金管バンドでもなく、吹奏楽でもなく不思議なな合奏形態だったように思う

突然に入ろうと思ったわけではなく、ありがちな話ではあるが兄(次男、一つ上)が入っていたという単純な理由であった
僕はやはり金管楽器の花形であるトランペットをやりたいと思っていた・・・と思う(実のところ、ここら辺の記憶は定かでない)
担当楽器を決める際に、すべての楽器を吹いて(叩いて)「要領良く音が出た人=先輩のお眼鏡に適った人」がその楽器を担当するというシステムがなぜか確立されていた
しかも、たったの一回の音出しで・・である

元来、僕は不器用であり、管楽器の音はどれもスカーという音しか出なかった。正確にいうと楽器の音が出なかったというべきか…
木管楽器はさることながらマウスピースが一番大きいチューバ(実際はCバスだったような記憶がある)でさえ、音らしい音はまったくもって出なかったのである

すでにオチが見えているかも知れないが、良くある話かも知れないが打楽器を最初からやりたかったわけではなく、管楽器の音がでなかった為、しょうがなく打楽器を始めたというのが実際のところなのである
そんな敗北にも似た要因で僕の打楽器奏者としての第一歩が踏み出されたのであった

当時の担当打楽器は固定制で
4年生:基礎練習および小物楽器
5年生:小太鼓および中太鼓
6年生:トリオタムおよび小太鼓、大太鼓
といった、ありがちな高学年になるとおいしい(?)楽器ができるしくみとなっていた
いや、まて、体格的な問題もあるので高学年が大きい楽器だったのかも知れない
うーん、正直良く覚えていない
何故ならば、突然に6年生になってからクラブに入る人もいたからだ

小学校3年のころギターを弾き始めた
今でも基本的なアルペジオ・スリーフィンガー・コードストロークしかできないし、メロディー弾きはまったくもってできない
僕はあくまで自己満足・自己解決のためにギターを手に持つ
いまだにギターの腕はこの頃と変っていない。というか年々弾く時間が短くなり下手になっていっている

小学校卒業間際の謝恩会では友達をだまして、バンドというかユニットを組んでビートルズのプリーズ・プリーズ・ミーを歌った
今考えても小生意気なガキである。というか、思い切り勘違い野郎だったということに大人になってから思った(笑)

僕が通っていた小学校は毎月音楽集会なるものが催されていた
そこでは校歌今月の歌として決められた歌を全校生徒で歌い、集会の入退場は管楽器クラブの演奏にあわせて行なうという物だった
当時は、毎月朝早く学校に行って楽器の準備をしなければいけない日という嫌な思いをしていたのだが、今考えてみると小学生の時点で毎月人前で演奏する機会があるというのは、なかなか無いことのようにも思う
当時の管楽器クラブの顧問の先生は音楽科の先生だったのだが専門は歌唱だったこともあって、こういった企画が生まれたのかも知れない
良い企画だったと今更ながら思う


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