David Bowie / Morrissey @ Wembley Arena
(Part 1: Morrissey)


17 November 1995

 先週末からイングランド北部に小旅行に出かけていました。ケイト・ブッシュ(もちろん原典はエミリー・ブロンテ)の『嵐が丘』でお馴染みの、どこまでも 続く "Wuthering Heights" を Howarth で歩いてきたり、風光明媚な湖水地方に宿泊したりと、充実した旅でした。York に泊まった夜には街のお化けツアーに参加したのですが、暗い街角でギター1本抱えた男の子が Oasis の "Wonderwall" を弾き語っていたのがとても印象に残っています。シングルカットされたばかりなのに、すごく上手だったな。アルバムが出たときからずっと歌いこんでいたの でしょう。

 さて今日は旅行の出発直前に観たライヴ、11月17日金曜日のウェンブリー・アリーナです。70年代以降のイギリスを代表するロック・ヴォーカリストを 何人か選ぶとして、確かに幾つかの選択肢はありますが、後の世代に与えた影響の大きさや、残した音楽のクオリティの高さなどから考えて、この2人が外れる ことはまずないでしょう。そう、David Bowie と Morrissey です。彼らがダブルヘッドライン扱いでツアーに出るというのですから英国は上を下への大騒ぎ、こんな機会はもう二度とないはずと見込んですぐチケットを買 いました。

 しかし、結果から言うと、少なくとも Morrissey にとってはやや残念なステージになってしまいました。

 というのは、名義は共同ヘッドライナーであったかもしれませんが、実際の扱いは良くも悪くも「前座」に過ぎなかったからです。午後7時半にステージに登 場して、まだ半分も埋まっていないウェンブリー・アリーナ(キャパ1万人強)を見渡した Morrissey の、半ば失望したような表情はちょっと忘れ難いものでした。盛り上がっていたのはアリーナ最前列まで駆け寄ってきた50人程度の熱烈ファンだけ、といって も過言ではありません。

 ステージのバックドロップには "WORLD OF MORRISSEY" アルバムのジャケット写真が大きく掲げられ、彼はダークスーツのフロントをびしっと留めて歌い続けます。まさに孤立無援。全体として場内は盛り上がってい ないのですが、この閑散とした客席は果たして Morrissey の人気の凋落ぶりを示すものなのか、あるいは Bowie との客層の明確な差異によるものなのか、どうも判断しかねます。革ジャンの下に The Smiths のTシャツを着た熱心なファン風の客もちらほら見かけるし、トイレでは「モリッシー観た?」「いやービール飲んでてさ。今日はボウイ観に来たんだよ」と いった会話も聞かれるし、ステージに向かって "Morrissey!!!" と野太い声で叫びまくる人もいるし。やっぱり共同ヘッドラインという企画自体に無理があったのかな。

 基本的に今年リリースの新作 "SOUTHPAW GRAMMAR" からの選曲。シングルになった "Dagenham Dave" を歌う前のMCで「このシングルは… このシングルはチャート上では全くひどい扱いだったよ」と吐き捨てた彼。マイクのコードを鞭のように、しかしあくまでも力なく振り回しながらなよなよと腰 を振り、頭に手をやって悩ましげな表情をする姿はいつもの Morrissey です。今回のバンドはリズムセクションがやたらパワフルで、相性という点ではやや疑問が残りましたが、10分以上に渡って展開された "The Teachers Are Afraid of Pupils" など、聴く者をねじ伏せる迫力があったのも事実です。

 最終曲のラスト部分で、バックバンドの出す音が楽曲演奏からただのノイズに切り替わり、轟音に包まれて逆光フラッシュが激しく焚かれる中、ステージ手前 の縁に立ってゆっくりと上着を脱ぎ始める Morrissey。その上着を腰に巻くと、今度はシャツのボタンに手をかけます。ノイズをかき消すようなファンの悲鳴の中、ついに彼は上半身裸になりま した。脱いだシャツで身体を、そして顔をぬぐい、最後は大きく振りをつけて客席に投げ込んで…。砂糖に群がる蟻の如く、ファンがシャツの断片の争奪戦を繰 り広げたことは詳しく説明するまでもないでしょう。

***

 ラストの上半身ヌードのパフォーマンスは、世紀のカリスマである David Bowie に対するせめてもの抵抗だったのかもしれないと思うのです。片やアルバムを出す度に「今度こそ The Smiths との訣別か?」などと過去と比較され、今年もある都市でのサイン会の途中にファンの無神経な「Johnny Marr!」という叫び声に激昂して中座してしまうような Morrissey と、片や大衆音楽の枠を軽々と飛び越えるような怪作をリリースし続け、何度目かの創作上のピークを迎えんとする David Bowie。そもそも「昔の曲はもうやらない」という宣言を臆面もなく撤回し、豪華絢爛たる若いゲスト陣を引き連れて大アリーナツアーを企画できる Bowie と比較されては、「音楽」なる対象についての突き抜け具合が圧倒的に異なっているわけで。もちろん、それぞれが Morrissey / Bowie の持ち味ですから、良し悪しを議論すべきでないことは十分承知の上なのですが…

 しかし図らずも(あるいは実は両者とも意図的に?)その冷然たる事実を露呈することになったこのカップリングと、ロンドンだけでも4公演・延べ約5万人 を動員して毎晩その落差を見せつけるというこの企画には、終焉後も開いた口が塞がらないのでした。これもひょっとすると英国人特有のセンス・オブ・ユーモ ア、あるいは「偉大なるやせ我慢」のひねくれた表現なのかもしれません…

 舌足らずかもしれませんが、以上です。このような大きなアリーナでのライヴは Morrissey の持ち味を出し切れる場ではないと思いますし、他にも音響や照明など彼には不利な条件が揃ったステージでしたので、1回限りでの評価は保留したいと思って います。以前、日本武道館での来日公演で会場整理アルバイトをやったことがありますが、その時には彼の音楽に魅力を感じていませんでした。その点今回は 「彼を好きになってから初めてのライヴ」だったので、個人的な感慨はとても大きなものがあったのです。

 さて、豪華な前座も終わり、いよいよ David Bowie のステージが始まろうとしています…


July 2004 追記
 時は流れ、Morrissey は今年の夏、久しぶりの来日公演(Fuji Rock Festival 出演)を果たそうとしましたが、残念ながら直前にキャンセルしました。80年代バンドの再結成ブームの中、いよいよ未だ再結成せぬ最後の大物になりつつあ る The Smiths。こうやって期待と幻想を煽られ続けるのもまた良し、と許してしまえるのも彼らだからこそ。僕にとっては、それまでまったく理解できなかった Morrissey / The Smiths の良さに気づくことができただけでも、この英国駐在の価値はあったと思っています。あの曇り空の下で、古いレンガ造りの壁の間の細い道を歩いてみて初めて 身体で分かった「あの国のBGM」。



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