KATE結成までの物語
〜第十六回〜

(1998年02月15日)

「たくさんのわらじ」

 私が通っていた高校の同級生や後輩達といろんなユニットやバンドを結成して盛り
上がっていた。ちょうど「Short-Pants」の活動がいよいよ本格化してきた頃で、ま
さに二足のわらじならぬ、三足、四足のわらじだった。高校では“とにかくどこへで
も顔を出す”をモットーとしていたので、文化祭や体育祭の実行委員会、生徒会や応
援団などいたるところに在籍していた。そんななかで日々のデッサンや受験勉強をこ
なし、なおかついくつものユニットの活動もするというのは、今から思えば相当な
“バカ”だった。若気のいたりというところか。今回はその当時に結成していたユ
ニットやバンドを紹介していきたいと思う。

【暴力団】
 クラスメートだったマリリン奈尾、アパッチ健、そして私(キャサリン哲)の3人
組。“言葉の暴力”をモットーにしたユニットだった。友人や先生達の悪口を思いっ
きり収録した曲が何曲かあるのだが、当然仲間内だけでの発表だった。唯一、公に発
表したテーマ曲(『暴力団のテーマ』作詞:キャサリン哲 作曲:関東正晃)には
「Short-Pants」のメンバーが参加している。

【M-W Brothers】
 もともとは渡辺美里ファンである“コサ”と渡辺美奈代ファンである“ヒデロウ”
の二人の後輩が結成していたユニットだったのだが、「先輩も“M-W”というイニ
シャルの芸能人で好きな人がいるならユニットに入れてあげてもいいよ。」と言って
くれたので、「あ、オレ“渡辺美智夫”のファンなんだ。」「ギャッハッハ〜!」
あっさりとメンバーにしてもらうことができた。1曲だけオリジナル曲(『オシリが
いたいよ』作詞:ヒデロウ 作曲:ヒデロウ、川瀬哲也)をレコーディングして、空
中分裂となってしまった。

【妖怪人間】
 高校2年生のときの文化祭バンド。5人編成だった。私はベース担当だった。主に
ラフィン・ノーズのコピーをやっていたが、「君が代」のアカペラ・パンクバージョ
ンをやったり、なぜかキャロルの「ファンキー・モンキ−・ベイビー」をやったり
と、選曲は非常に支離滅裂だった。本番前日、スタジオで最終練習を行っているとき
にギターのヨーマン(後輩)が、「先輩、オレここんところのソロ、自信ないっ
ス。」と弱気だったので、みんなでよってたかってこんなアドバイスをした。「じゃ
あさ、ソロのパートになったら“くち”でやったら?」「え?“くち”で?」「マイ
クに向かってさあ、適当にギョワイ〜ン!とかピャラララ、ピャラピラ〜!とか叫ぶ
んだよ。」「え〜?そんなんでいいんスかあ?」「いいよ、いいよ。おもしろけれ
ば!」冗談で言ったつもりだったが、結局本番で彼は本当に“くちギターソロ”を弾
いた。

【Razzle-Dazzle】
 後輩の泰子ちゃんとのユニット。一時期、恋仲になった関係で客観的な音楽活動が
出来ず、半年ほどで空中分裂してしまったが、結成からなんと6年の時を経てKaseo
Recordsからミニ・アルバム『愛し、恋し…』を発表した。ちなみに現在、彼女は一
児の母である。お互いに子育てが一段落したら再結成しようかという話しもある。半
分冗談だが。

【PLAN】
 これは私個人のプロジェクトで、環境音楽を展開していた。シンセサイザーやテー
プコラージュによるノイズで構成された、独特の世界を作り出していた。唯一のアル
バム『PLAN&PROOF』はかんちゃんからの評価も非常に高くKaseo Recordsで再発の
計画もある。

 ほぼ同時期にこれらのユニットやバンドを行き来して、地元では「Short-Pants」
の活動を展開。人生の中で一番忙しく、一番バカな日々だった。

(つづく)

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