KATE結成までの物語
〜第七回〜

(1997年11月18日)

「集団下校結成」

 1984年7月8日の日曜日。かんちゃんの家に田辺と和多野と3人で遊びに行っ
たときのことだ。別に何か用事があった、というわけではなくて、ただ何となくだっ
たのだが、かんちゃんのほうも特に忙しいというわけではなかったようで、4人でレ
コードを聞きながらポテチなんかを食べて談笑していた。

 ふと田辺が、「かんちん(今さらだが、かんちゃんのニックネーム)、これ何?」
と一枚の紙切れを取り上げた。かんちゃんの部屋の片隅に落ちていた、メモ用紙だっ
た。何やら紙面ビッシリに書き込まれている。「ああ、西やん(我々の当時のクラス
メート)が遊びに来たときにいたずら書きしていったんや。」「ふ〜ん…」田辺はそ
の紙切れに書かれている内容を真剣に読んでいるようだ。「ギャハハハハ!これ、サ
イコーや!」「何が書いてあるの?」「“スタチュー三宅”だってさ!ギャハハハハ
〜!」「はあ〜?」

 三宅という非常に無口なクラスメートがいて、彼をモチーフに西やんが詞を書いた
のだ。(ちなみに西やんはシンガーソングライターとして当時、学校では有名な存在
だった)“銅像のように無口”という意味で「スタチュー」ということらしい。

 「スタチュー三宅」 作詞:西やん

 みやけじゅんやは生まれたときから いつでもスタチューしてたんだ
 前にもスタチューしてたけど 今だにスタチューしているよ

 この前じゅんやを探していたら またもやスタチューしてたんだ
 いつまでたってもしゃべらない まだまだスタチューしているよ

 昨日じゅんやは仲間の吉田と 一緒にスタチューしてたんだ
 昨日の友は今日も友 明日も友ならスタチューズ

 将来じゅんやはスターになって スタチューバンドを作るんだ
 スターになるため今日もまた あきずにスタチューしているよ


 「これさ〜、曲付けてちゃんと唄にしたいよね」「それいいね!やりたいなあ〜」
「よし!じゃあ今からセッティングするから、Kaseoとダーボー(田辺のニックネー
ム)は適当に打ち合わせしておいて。即興で一発録りでいこう!」言い出しっぺの私
と田辺がどうやら唄うことになってしまったらしい。かんちゃんはせっせとシンセ
(Roland SH-101)とマイクのセッティング作業をしている。すっかりプロデュー
サー気取りだ。だが、その行動力と状況判断力には恐れ入る。その横で和多野は“面
白いことになってきた”という顔ですっかり傍観者だ。何だかマズイことになってき
たなあ。とりあえずひろみちゃんの顔を思い浮かべて気を鎮めることにした。「じゃ
あ、いくよ!」「お、おいおい、まだどうやって唄うか考えてないぞ…」「いいから、
いいから。3、2、1、ハイ!」

 私と田辺は二人で西やんの書いた歌詞カードを見ながら、即興で唄った。その横で
かんちゃんは喜多郎のように(とり憑かれたように)シンセを弾いている。何パター
ンか繰り返しているうちに何となく曲らしい形になってきた。「そろそろ、録音しよ
うか」おもむろにテープレコーダーを廻してレコーディング開始。唄う田辺、絶叫す
る私…。(KATEの作品でも聞かれる私のシャウトは、すでにこの時に完成していた)

 「いやあ、いいわ〜これ」「ぜひ西やんとスタチューにも聞かせてあげたいよね」
「ギャハハハハ〜!スタチュ〜!」このときのレコーディングがきっかけでユニット
が結成されることになった。その名は集団下校。名付け親は田辺である。“放課後に
集団下校をしながらみんなで次の曲のアイデアとかを話し合うような、和気あいあい
とした雰囲気のユニットにしたかったから”というのが由来らしい。

 集団下校はこの「スタチュー三宅」のレコーディング後、傍観者だった和多野を無
理矢理メンバーにして、新たな展開を繰り広げることになった。

(つづく)

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