KATE結成までの物語 〜第八回〜 (1997年12月04日) 「盛り上がる集団下校」 坂本龍一が毎週火曜日にパーソナリティーを務めていたNHKのFM番組「サウン ドストリート」をかかさず聞いていた。特にその中の名物コーナー「デモテープ特集」 は必ずテープに録音していた。「昨日のサンスト、聞いた?」これが仲間内ではあい さつ代わりだった。 ある日その「デモテープ特集」でSEMOという高校生グループの「こんなのはもう」 という曲が紹介された。学校の先生のモノマネを曲に仕上げたという、かなり内輪的 な内容ではあったが、それをはねのける程の強烈なインパクトがあった。「あの曲、 サイコーだよな!」「オケもルーズでいい雰囲気出してたし」「オレらもあんなのやっ てみたいよなあ」集団下校の3人はあの曲にすっかり影響を受けてしまい、自分達も 作ってみようということになった。「ひとりの先生だけじゃ物足りないから、たくさ んモノマネしようぜ」「じゃあ、誰がどの先生をやるか、書き出してみようか」授業 中に3人でノートの切れ端に書いたものをやりとりして、綿密な打ち合わせを行った。 ちなみに中学3年生の時には集団下校の3人は同じクラス(3年B組)だったのだ。 打ち合わせをするのには最高の環境だった。第4のメンバーであるかんちゃんは隣の 3年A組で、こちらからA組へ出向いたり、反対にかんちゃんがこちらへ来たりして 打ち合わせを頻繁に行っていた。もうひとつちなみに言うとひろみちゃんとも同じ3 年B組だったのだが、この時すでに彼女とは破局を迎えていて、おまけに席もななめ 前という状況だったので、多感な時期の私には結構ツライものがあった一年間だった。 とりえずモノマネする先生とその担当が決まった。 ・ドンさん(体育:クラスの担任だった)―田辺 ・なま(理科:あだ名だけで強烈)―川瀬 ・ひなえ(家庭科:山本リンダ顔)―田辺 ・まきさん(数学:現場第一主義の重鎮)―川瀬 ・かつき(国語:マジメ過ぎ)―和多野 ・つかお(社会:親しみやすさ、抜群)―川瀬 この先生達のモノマネは日頃からやっているので、お手のものだ。歌詞は田辺と二 人で作ったが、曲をどうしようかと考えていたときかんちゃんから借りていたカセッ トに彼が習作として何パターンかのフレーズを録音したものが入っていたので、その 中から曲の雰囲気に合いそうなものをこっちで選んで仮歌をのせたデモテープを作り、 それをかんちゃんのところへ持ち込んでサイズやテンポを決めてもらって、再録音。 オケが完成した。(ローランドのモノシンセ「SH-101」とボスのリズムマシン 「DR-110」の同期演奏) 1984年10月10日、スタジオと化しているかんちゃんの家へ全員集合して歌 入れが始まった。綿密な練習を重ね、いよいよ本番だ。「ハイ、集中!まだ見てない 子がいるぞお〜」「イサム君は立ってからも喋ってるじゃないかあ〜」「ワシの肉 は?!ワシの肉〜!」本番なのに、モノマネをする度にみんなで大笑い。レコーディ ングは難航した。 こうして出来た曲は4分30秒もの大作になった。タイトルは「Teachers〜関中の 先生」。早速、両親に聞かせてみたところ、大ウケであった。内容的には思いっきり 内輪ネタだし、第三者が聞いてもその先生達の日頃の行動や言動はわからないので面 白さに欠けるかな?と思ったのだが…。(さすがに登場する先生達には聞かせていな い) この曲が出来たことで集団下校はますます自信を付け始めてしまい、どんどん勘違 いな展開をしていくことになる。 (つづく) |