KATE結成までの物語
〜第五回〜

(1997年10月27日)

「レコードの思い出」

 ひたすらレコードを買うようになった。と言っても、中学生のおこづかいなんてた
かがしれているので、大体、月にLPを1、2枚購入する程度のものだったが。(こ
の時の“欲しいけど、金がない”という欲求不満は、社会人になってある程度、自由
にできる金が手にはいるようになってから大爆発した)誕生日、クリスマスなどには
決まって親にレコードをねだった。ノートに欲しいレコードのタイトル、アーチスト
名、製造番号などを細かく書き込んでいって自分なりに購入の優先順位をつけていっ
たりしていた。

 手に入れたレコードは擦り切れるまで(新しいレコードが手に入るまで)何度も聞
いた。それは時に、苦痛に感じるときもあったりしたが、主に聞いていたレコードは、
いわゆる“スルメ”なものが多かったので、聞く度に新たな発見があったりして結構
楽しかった。同じレコードを繰り返し繰り返し聞いていると“何か”が突然“わかる”
のである。非常に感覚的なものなのだが「あ、そうか…」と思う時があるのだ。
YMOの「BGM」が当時の小・中学生に抵抗なく受け入れられたという事実には、
こういう背景があるのかもしれない。

 ちょっとこのエッセイのテーマからは外れるかもしれないが、レコードにまつわる
私の思い出話しを少々展開させていただくことにする。

その1
「ミカ・バンドのレコード」

 学研の月刊誌「サウンドール」を定期購読していた。YMOに関する情報はほとん
どこの雑誌で得ていた。おかげで「カルトQ」での問題もテレビの前で即答できた。
その「サウンドール」誌上でYMO結成までのヒストリーを特集で組んでいたことが
あって、高橋幸宏の経歴に触れるところでミカ・バンドのアルバム「黒船」のジャケッ
ト写真があった。この写真を見たときに何故か「あ、オレはこのアルバムを聞かなく
ちゃいけない!」と感じた。神からのお告げだと思った。でも72年頃のレコードだ
し、いつも行くレコード屋の店頭には置いてないみたいだったし、中古レコード屋な
んていうのは近くになかったので途方にくれていた時、ウチの親父(以下ヒデオ)が
「ワシが店に聞いたる!」と力強く私のいきつけの店に電話をかけてくれた。でも、
もう閉店間際の時間帯だったので大丈夫かなあ、と思っていたら開口一番「店長を呼
べ!」きっと向こうはヤクザからのクレームだろうと思ったに違いない。ヒデオは言
葉遣いが関西系で、しかも当時パンチパーマだったので、いかにもソレっぽい。どう
やらアルバイトの子が奥へ店長を呼びに行ったらしい。しばらく沈黙が続いた。「店
長か?ちょっと聞きたいんやがミカ・バンドの黒船っちゅうレコードあるか?」ヒデ
オの口からミカ・バンドという名前が出るのがなんだかおかしかった。「…今、探し
てもらっとるでな。」店長は奥の倉庫へ探しに行ってくれているらしい。「お、ある
んか。ほんならそれ息子が明日取りに行くから、用意したってくれ。」あったらしい。
おお、ヒデオ、あんたは頼れるぜ!きっと店長はほっと胸を撫で下ろしていることだ
ろう。そこへダメ押しのヒデオの一言。「おい、プレミア付けたら承知せえへんぞ!」


その2
「お前もか!」

 高橋幸宏のミニ・アルバム「ボク、大丈夫」を買いに行ったときのこと。帰りの電
車に乗り込んだが、時間調整のために5分ぐらい駅で停車していたので、その間に袋
からジャケットを取り出して眺めていたら、誰かが息せき切って、走りながら車両に
乗り込んできた。「あ、Kaseoや…」かんちゃんだった。脇にレコードを抱えている。
二人並んで席につくと、程なく電車は走り出した。「何買ったの?」お互いせーのー
で見せ合って絶句…。同じレコードだった。しかも話しているうちに明らかになった
のだが、買いに行くときに乗って行った電車まで同じだったのだ。すでにこの頃から
KATEは結成される運命だったのかもしれない。

(つづく)

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