KATE結成までの物語
〜第四回〜

(1997年10月22日)

「PC」

 当時、かんちゃんとは「PC」なるカセットの制作に毎日いそしんでいた。Produce
Cassetteの略で、私が制作を担当したカセットは「TKPC」(Tetsuya Kawase Pro-
duce Cassette)かんちゃんの場合は「MKPC」(Masateru Kantou Produce Casse-
tte)という名前を付けていた。内容的にはそれこそ男同士の交換日記のようなもので、
極めてローカルな話しや最近のお気に入りの曲などをDJ風に紹介するといったものだ。
二人で共同で購入したカセットテープにひとりが片面に録音して学校で渡して、もう
ひとりが家でそれを聞いて返事という形でもう片面に録音する。こんなやりとりが毎
日のように続いた。学校でYMOなどの話しで盛り上がり、帰宅してから一時間を越え
る長電話で盛り上がり、さらに今度は「PC」の制作である。今から思えば何をそんな
に話すことがあったのかと不思議でしょうがないが、こんなことが本当に毎日続いた。
が、しかしこのカセットのやりとりで私の「音楽」に対する意識が目覚め始めたと言っ
ても過言ではない。(このやりとりはカセットからMDに代わり、現在も細々と続いて
いる)

 この“カセットに録音する”という行為が徐々にエスカレートしていき、ラジオの
チューニングノイズをピンポン録音したり、エンドレステープを自作したりといった
ことをするようになってきたのである。もはやラジカセは私たちにとって“楽器”で
あった。単なる録音機から“音楽を作り出す装置”として捉えるようになっていた。
“音楽を作る”ということを意識し始めた瞬間である。ちょうどその頃、NHKの若者
向け番組「YOU」に坂本龍一が出演して語った、「ノイズは意識した時点で、それは
音楽である」という言葉を真に受けて、ひたすらノイズを生成する毎日を過ごした。
今、その頃制作したテープを聞いてみると、なかなか完成度が高くて面白い。

 中学に入学して、部活動やその他の学校行事などで、なかなか以前のように「PC」
を作ったり、ノイズを制作したりといった時間が少なくなっていくだろうと思われた
が、反対にどんどんのめり込んでいった。他のクラスのメンバーや、その兄弟なども
引き込んで「PC」はさらに盛り上がった。一時期は6人ほどのメンバーで「PC」の交
換をしていたこともあった。誰か知り合いを自宅に招いて対談番組を制作したり、脚
本を書いてミニ・ドラマを制作したり、かなり内容の濃いものになっていった。

 ある日、かんちゃんが「TKPC」をひろみちゃんに偶然に聞かせてしまうという、恥
ずかしくもワクワクな事件が起きてしまった。(かんちゃんとひろみちゃんとは同じ
クラスだったのだ)どうもそのカセットの中で私はひろみちゃんについてしゃべって
いた部分があったらしく、これがきっかけというわけでもないのだが、中学1年の夏
休み前頃に、めでたくお付き合いをするようになった。嗚呼、甘酸っぱい青春時代…。
この件に関してだけは、かんちゃんには頭が上がらない。

(つづく)

←第三回へ  第五回へ→