『我が心の父アート・ブレイキーを偲んで』 A

− 想い出 −

 あの衝撃的な出会いから数ヶ月後、8番街の28丁目と29丁目の東側にあった「Jazz Culture Theater」というジャズクラブで、ドラムのグレッグ・ヘインズ(ロイ・ヘインズの息子)が主催するセッションでの出来事だった。

 その日はアフター・アワーズ(夜の11時以降)のスタートでもあり、歩いて数分の所に住んでいた僕は、12時過ぎに家を出た。もう中はかなりの熱気でいつになく盛り上がっていた。すれ違いにトロンボーンのカーティス・フラーが出て行くところだった。で、ステージを見ると友人の三上クニがハウス・ピアニストをつとめていた。そして、あたりを見回して熱気の謎が解けた。御大がステージの一番前に陣取っていたし、錚々たるメンバーがそこらかしこに顔を見せていた。

 ほどなくして名前を呼ばれた僕は、その熱気をかき分けるようにしてステージに上がった。ドラムは仲の良かったクリフォード・バーバロで、ピアノはクニと同じアパートに住むジョン・ヒックス、ベースは今は亡きジャコ・パストリアスだった。僕はもうかなりの常連だったので、グレッグはいつも良いメンバーと組ませてくれた。他にもホーン・プレーヤーはたくさん居たがワン・ホーンでのスタートだった。

 ジャコが突然「ドナ・リー!」と叫んだかと思うと、いきなりすごい速さでカウントをはじめた。普通なら僕だけがメロディーなのだが、どういうわけかベースとのユニゾンになった。当然トランペットのソロから入ったわけだけれど、コーラスが進むにつれて最初はランニングをしていたベースの絡みが次第に激しくなり、最終的にはもろにかぶさってきた。頭に血が上った僕は、今度はお返しとばかりベース・ソロのときにステージの前に行き、御大に尻を向けてベースに絡んでいった。ジャコの顔面めがけてこれでもかと言うほどの音弾を発射した。

 まだまだ若く、血の気が多かった僕はそれでも気が収まらずステージを下りてからジャコの胸ぐらをつかみ、どうしてあんなことをしたのかと問い詰めた。その後は言うまでもなく、僕はクラブからつまみ出されたのである。それ以後ジャコとは仲直りをしてかえって親交を深めたのだけれど、肝心の御大は、しばらくの間口をきいてくれなかった。後日、ジャコが御大に僕との仲がよいところを何度かアピールしてくれたおかげで信用は一応回復した。

 御大は極めて気が弱く、平和主義者だったのである。