25.アドリブの概念(2)

 誰しも最初にソロ(アドリブ)をする場合メロディーをフェイクするとか、何となくその調性で音を出してみるとかから始まると思います。それは知識(情報)を得る前はそう言った方法しかないからです。では知識を得ないでアドリブをやり続ければどうなるでしょう。結果はその反対に対してはさほど変わらないと思います。見方を変えると「調性音楽」の概念は確固たるものがあるからです。「無調性音楽」の作曲にしても「調性音楽」の概念に凝り固まった人にしか書けませんから。結局、規則や決まりごとがあるから自由はあるのです。
 
 最初の譜面はドリアン・モードの曲におけるマイルスのソロをイメージして書きました。それまでのソロワークが同じようなフレーズの連発で、そしてその大きな原因の「細かいコード進行から脱却」するために用いれられたというのがこの形式の一般的な触れ込みですが、その後の経緯を見るといささか疑問です。単に、ジャズにおける「モード」という形式でいいんじゃないでしょうか。
 ここでは7小節目の”Ab”の音が非常に良い味を出していてマイルスも頻繁に使っているのですが、普通にブルーノートです。多くの聴手の概念はこのあたりで仕上がっているでしょう。

 次は、最初に上記の音等を参考にしていたバップ演者が少しずつ変化をつけていった感じで書いてみました。でも時間が逆流した感もあります。

 そして次ですが、コードの支配権を持たない管楽器奏者などが上記の世界観から脱却しようとするさまにパターンなどを用いてみました。

 最後は、少し遊びもいれて音をコントロールしている感が強いですが、演者の概念は上記の3つとは別に変わったわけではありません。着地点を見れば理解出来るでしょう。

 演者が変わっていかないと聴手の概念を変化させることはできません。また、聴手がついて来れなければ演者は生きてはいけません。そして演者も聴手の一人なのです。
上記の楽譜でBbのものは「トランペット資料」にあります。