21.もっと自由に考えよう(2)

 次の譜例は前項で述べたことをより実践的に表したものです。
@少し違和感がありますが、Db7をFmと仮定して(思い込んで)C7のフレーズを演奏しています。
Aここは思いっきり「
たてのり・ファンキー」で泥臭くいきましょう。
B惜しげもなくAb音を使っています。羞恥心を捨てて
のりのりでいかないと良い結果が出ません。
C完全にDm7のラインがFm7に
ずれ込んでいますがよくあることです。アウトはしますが、流れがしっかりしていてFm7のルートにがっちりアプローチしているので何も問題ないでしょう。

 今から20数年前ニューヨークでサックスのデイブ・リーブマンにレッスンを受けた時に僕の気に入った彼のソロをコピーして持っていき、Cm7でCメジャーの音(E音)を吹いていたので質問してみたら「そんな風に吹いたのか?よく分からん。」と実に明確で納得する答えが返ってきました。そのときの彼の発言とその音が妙に心に響いた記憶があります。
 以前「作者メモ」でブルースについて触れましたが、ブルース・スケールのみならず、僕の10年の在米生活で「スケール」という単語を黒人ジャズ・ミュージシャンの口から一度も聞いたことはありません。リハーサルやライブの場でミュージシャンどうしがコミュニケーションをとる場合意味のない単語なのかも知れません。知ってても自分だけの中にしまっておくものなのでしょうか、あるいは全く無関心なのかは皆さんで判断して下さい。ちなみに僕はスケールでアドリブを発想するということはほとんどありません。結果的にそうなってしまうこともあるだけで、その結果として前項のような発想になり、上行・下行が異なったり一般的なものと相反する結果が生じるのです。
  ある人がアドリブをするまでのプロセスは他人には図り得ないものがあります。それを第三者が批判(理論的に)するのは「ジャズのはらわたを冷たいメスでえぐるような(既述NO.2)」そんな感がなきにしもあらずです。少なくとも僕は理屈(理論)は後からついてくるものだと思っています。前を歩き出したり、水戸黄門の印籠になったらジャズの神様は我々を見捨てるでしょう。ちなみにこの項のキーワード(青字)はすべて理論的なものとは無縁です。

 *上記の楽譜でBbのものは「トランペット資料」にあります。