6.アドリブにおける必然性
(スケール編その1)

 一般的にアドリブを論じる時にスケール(理屈や既成概念)等を壇上から振りかざされる事が多いんですが、それは少なくとも Straight Ahead Jazzにおいては一つの手段であって決して主役を演ずるものではありません。あくまで主役はあなた自信であり、そのキャスティングを決めるのもあなたでなければなりません。それがAfro American Music(Jazz)です。我々外国人日本人がジャズを演奏する場合、その辺のマナーを多くの人々が履き違えているような気がします。逆に、マナーを守っていれば何をやっても良いと思いますが、聴く人(支持者)が全くいなければ寂しいものです。

 次にあげるのは僕のオリジナルのメジャースケールとそのつなぎのドミナントコードのアルペジオです。それぞれ経過音が一つずつ含まれますが(一般的なものに対して)こういうもの(経過音)はアドリブをするにおいてとても必然的(意味のある)なものなのでそれを感じながら練習していただきたいと思います。

 結局一般的なものも含めてスケール等というものは自分のソロに使う素材という概念を持つのではなくて、あくまでソロに生かすという考え方或いは食料のように身につけてから二次的に生きるものとして必然性を持ったものでなくてはなりません。だから、食べて身につける食料は自分で作るなり、選ぶなりしてから口に入れるのが生きるということに対する必然性ではないでしょうか。何でも他人から与えられたものを無防備に口へほうり込むのは何か寒気がします。ただその反面、自分が心酔し尊敬する人から出されたものはたとえ毒だと分かっていても喜んでいただくのも、ある意味で必然的といえるでしょう。

*上記したスケールは現在、ある人によって「Bebop Scale」として定義されています。