5.アドリブの発想の起源にあるもの

 楽譜を演奏すればそこに音楽は必ず存在するはずです。しかしながら、音楽を演奏してもほとんどの場合そこには楽譜は存在しません。ただ楽譜によって記憶された音の流れは演奏するときに断片的に脳裏に現れることもあるだろうし、聞き手もまたしかりです。

 アドリブというものは、その名のごとく即興で演奏されるもので決して楽譜によって実行されるものではありません。しかしそのフレーズの記憶のされかたによっては前述したように頭の中に実像として現れるのです。コピーした楽譜等をどう処理(記憶)するかによって自分のアドリブの発想の土台の位置付けが決まってくるのです。どういう経路でフレーズをストックしていくかは人の勝手ですが、僕の場合は視覚から吸収したフレーズは可能な限り使わないように心がけていますが、別に言葉に出して述べる理由などないです。理屈ではないのです。また、ジャズの世界では結構多くのプレイヤー達が楽譜をかたくなに拒否しています。またそういった人たちに限って良い音を出していたりするのも事実です。

 ルイ・アームストロング()やレッド・ガーランドなどに代表される楽譜の読めない(或いは創成期に読めなかった)偉大なジャズプレーヤーたちの演奏によく耳を傾けてください。彼らの演奏能力は凡人をはるかに超えている事がおわかりいただけるでしょう。

 下のフレーズは楽譜を読まなければ(読めなければ)それ程難しくはありません。

 次のはブルーノートの感覚が身に付いていなければただ楽譜を読んだと言うだけです。

 最後にこの写真を見て感じたものを楽器で表現して下さい。

1985年当時のセントラルパークの池のほとりにて。

 素直に音が出せた人は大変素晴らしいと思いますし、そうでない人もそれなりに素晴らしいと思います。そういう風に言うと混乱するかもしれませんが、このページで僕が言いたい事を理解する必要は全くないわけで、あなたのアドリブ神経を少しでも刺激できれば幸いです。

 唐突ですが、もとをたどればどんな音楽でも湧き出てくる源は同じなのかもしれません。ただ、必然性のない音を奏でることはその範ちゅうではありません。あしからず。

創成期と記したのは、彼が歳と共に楽譜が読めたかも知れないのを危惧した為で、その辺に関して論議するのは僕の本意ではありません。しかしながら、彼の初期のソロからは小節感の無い個所が多分に見受けられるし、全体的にリズムの取り方が非常大きく、ラインの流れもうねりが強力で、楽譜の読み方を学ぶ以前に即興演奏を確立していた可能性が十分考えられるので、ここでの記述に名前を上げさせていただきました。