4.トーナリティの持つ意味

 一般的に曲には調性があり、和音が時間の経過をへて連結されています。その中へメロディーライン(アドリブライン、インプロヴィゼーションライン、フレーズ)が融合するわけです。

 たいていの曲ではルートの和音で始まりそして終わっています。ですからソロの目安としてルートに始まり終わるというのが基本かもしれません。最終的にはソロで何をやろうが人の勝手ですが、強烈な出だしと終止感を持ったソロはやはりインパクトが違います。このことは結構上級者でも希薄になっているかもしれません。うまくなればなるほどに他のところに神経が集中するのかもしれません。

 きちんと中身を演奏していても調性感(強い終止感)を持たないと説得力のあるメロディー(ソロ)演奏は出来ません。たとえば次に示すように2つの異なる調(Key)における同一コード、同一フレーズ(Dm7)は全体の流れの中では違うサウンドをかもし出しています。このエクササイズ(身体に終止感を覚えさす)はやればやる程に実感が湧いてくるでしょう。ちょっと回りくどい例かもしれませんが、CとFとの二つの異なる調(終止先・元)に対してDm7のあり方(感じ方)が変わってくるということです。だから初心者によくありがちですがソロを聞いていると何の調(Key)で演奏しているのか定かではなくなることが往々にしてあります。その大きな原因の一つとして上記の事柄が上げられると思います。

 逆に言えば調性をしっかり踏まえていればどんな調の同一コードでも同じだといえるかも知れません。つまり、Dm7はどこへ行ってもDm7だという事になります。そのコードの種類によっては調(メジャー、マイナー共に)によって大幅に、テンションを含むハーモニーやスケールが変化しますが、前述の事をしっかり身体に覚えさせればメロディーフェイクやアドリブをするのにたいした知識は必要ありません。

 次の2つのフレーズは似て異なるものです。

 最後にこの項の最も顕著な例として「Blue Note」あるいは「Blues」が上げられると思います。強力な終止感を持つこの領域はコード進行をも蹴散らしてしまうパワーを持っています。それはある意味でメロディーがハーモニーをも淘汰する力を持ち得るということを意味しています。しかし決して誤解してはならないのはいつもそういう考え方や方法がベストだとはいえないと言うことです。我々にとって完璧を演じることが理想ならベストを尽くすことが現実ではないでしょうか。