3.フレーズのつまみ食い(後編)

 フレーズは表情を持って初めてその存在が浮き彫りにされてきます。それは演奏者の個 性や音色、広い意味でのテクニック等により共演者も含めた聞き手の感性の中へ飛び込ん で行ったり吸い寄せられて行きます。

 僕自身の感性で音楽(主にジャズ)をとらえた場合最もインパクトを受けるのは音色です。 一般的には派手なテクニックを持った人たちを認めがちですが、長年ニューヨークでプレイしてきた自分にとってそんなものは常に音色の後から付いてくるものという認識は今でも変わ りません。

 下の譜例はある程度ジャズをプレイしてきた人でないと、出てこないフレーズです。

 それはどうしてかと言うと、ただ単にスケールやコードトーンだけを使えても出てこない経過音が含まれ、記号では表わしていませんがさまざまな表現方法がここでは要求されます。

 次の譜例ではもっ と違うものが要求さ れます。

 これはその楽器にもよりますが、そのコードや調性からはずれた音を歌いきれるというこ とです。自分でピッチをコントロールしなければならない楽器の人はそのセンスのあるなしが問われるラインだと思います。

 これからアドリブを演ろうという人、何か大きなきっかけがほしい人は視点を常に微妙に 変えていくことだと思います。誰でもまじめにやっていれば歳と共に上手くなるのは当然で すが自分のフィールドというのは思うほど広がらないのが現実のようです。スタイルやジャ ンルを変えて手広く器用にやっても自分自身の懐が深くならない限り何をやっても同じと言 う事になります。あらゆるスペシャリストを目の当たりにしなければならないニューヨークの様なレベルの非常に高い所では、一点に集中し 視点を変えながら深く掘り下げるというやり方はごく自然な成り行きだと思われます。

 たとえば、毎日フレーズの練習等をちょこっとやって来た人はだいたいスケールなんかも その前にしたりなんかするんですが、そこでちょっと考えてほしいんです。アドリブというも のはそもそも普段やっているものが出てくるものです。特に、何も考えないでも楽勝でやっ てる事なんかは広い意味でぼんぼん出てきます。

 とにかく突破口を見つける為 にとりあえずスケール練習に ちょっと変化を持たせてみると か。

 逆にこういう変化を持たせることによって、本来のスケール練習の意味合いが理解できる かもしれません。要は何を言いたいかというと、自分が普段やっていることがあまり効果的 ではないんではないかという、或いはマイナスになる事をプラスになると思ってやっているの ではないかという発想です。また、その逆もしかりです。たとえば、アルペジオや殆どのテン ションは確定的なのですが、普通のメジャースケールを含めたスケール類はアドリブを行う に於いてたくさんの矛盾や個人個人に対しての不適合性を含んでいます。ここにスケール は自分で創るものだという発想を皆さんに提示したいと思います。

 何でも出されたものは喜んで食べなさいという日本人の慣習は必ずしも何かをクリエイト する時に有効に生かされるものではありません。少なくとも自分の食べなければならない物 は自分自身で選べる様に成りたいものです。つまり出されたものを何でも食べる人より、体の事を 考えた食事や料理が自分で出来る人が本当に創造者と言えるのではないでしょうか。