ユーフォニアムの歴史
1. ユーフォニアム発明前史
1590年にフランスのギョーム(E.Guillaume)が考案したセルパン(Serpent)という中低音域を担当した金管楽器があります。バルブが発明される以前です。管に音程を変える為の穴が空いており、リコーダーのように奏者がその穴を直接自分の指で塞いで音程を変えます。形状がくねくねして独特ですが、セルパンとはフランス語で「蛇」の意味です。
このセルパンと同じ仕組みで音を出す楽器として、1821年にフランスのアラリ(Halary)が特許を取得したオフィクレイド(Ophicleide)という楽器があります。キイシステムによって穴を開閉しました。セルパンが木製であったのに対し、金属の管を持ち、また、形状もファゴットやバリトンサックスのように管を折り曲げた形をしています。アップライト型のセルパン、という位置付けです。1850年にセルパンの改良形として、バスユーフォニアム(Basseuphonium、Bass-Euphonium)と呼ばれるキイシステムを採用した楽器が開発されました。この楽器が出来た1850〜60年頃はセルパンやオフィクレイド、そしてこれから説明する初期のユーフォニアムがライバルとして共存した時代です。
2. ユーフォニアムの発明の時代
2 - 1. バルブとユーフォニアムの発明
1843年にゾマーによってユーフォニアム(Euphonion)
が発明されました。この楽器はテナーバスホルンを原型にしていますが、これはバルブの発明による様々な楽器の製作の過程から生み出された物です。
産業革命を経験し、金属加工の技術を飛躍的に高めたヨーロッパ諸国は、1810年代から40年代にかけて様々なバルブを発明・改良しました。このバルブの発展に伴い、中低音域を担当する様々な形状の楽器が考案されました。1820年代後半に変ロ調のテナーバスホルン(Tenorbasshorn)と呼ばれる金管楽器がドイツに現れ、1835年にイタリアのペリッティ(G Pelitti)が、ボンバルディーノ(Bombardino)と呼ばれる楽器を製作し、1838年にベルリンのモーリッツ(C.Moritz)は、より広い音域を担当出来るようにテナーバスホルンに4本のバルブを備え、管を太くしたテナーテューバ(Tenor Tuba)と呼ばれる楽器を製作しました。
2 - 2. サクソルン
1843年頃に、ベルギーのサックス(Adolph [Antoine-Joseph] Sax)によって考案された一連の金管楽器群をサクソルン(Saxhorn)と呼びます。8種類の楽器は音色の統一が図られていました。3~5つのピストンバルブが備わっている上向きベルの楽器です。この8種類の中で、音域では上から6番目、下から3番目に当たる変ロ調のサクソルン・バス ( Saxhorn basse in B♭)は現在ではサックスの名称を残す唯一の楽器となり、フランスのメーカーが生産をしています。
このサックスが考案したサクソルンバスと現在の日本で普及しているユーフォニアムとが異なる点は、3番バルブの運指の設定です。
3番の抜き差し管がさらに半音低く設定されている為(英国式の2・3番の運指と同じ管の長さになります)に、以下のようになります。また、サクソルンバスはサイドアクションの4本バルブの形状の楽器が主に普及をしていました。
実音 |
B♭ |
B |
C |
D♭ |
D |
E♭ |
E |
F |
英式(ユーフォニアム) |
0 |
123 |
13 |
23 |
12 |
1 |
2 |
0 |
仏式(サクソルンバス) |
0 |
13 |
23 |
3 |
12 |
1 |
2 |
0 |
また、1800年代後半のサクソルンバスは、現在のように2番管がピストンに隣接する様なデザインではなく、英国式と呼ばれる2番管が上部を経由する形状のものもあるようです。したがって、2番管のデザインと共に、3番バルブの設定からサクソルンバスであるかどうかを判断する事も出来ると思います。
サクソルンの対応表です(イタリアのユーフォニアムの項を参照して下さい)
saxhorn sur-aigu (ハ調/変ロ調) |
|
saxhorn soprano (へ調/変ホ調) |
|
saxhorn contralto (ハ調/変ロ調) |
|
saxhorn alto(tenor) (へ調/変ホ調) |
Flicorno contralto (アルトホルン、日本) |
saxhorn baryton (ハ調/変ロ調) |
Flicorno tenore (バリトン、日本) |
saxhorn basse (ハ調/変ロ調) |
Flicorno baritono/Flicorno basso
(細管/太管のユーフォニアム、日本) |
saxhorn contrabasse (へ調/変ホ調) |
Flicorno basso-grave |
saxhorn contrabasse (ハ調/変ロ調) |
Flicorno contrabasso |
8種類のサクソルンと9種類のフリコルノの対応は複雑です。saxhorn barytonはFlicorno tenore(バリトン、日本)に対応しています。saxhorn basseは Flicorno baritono/bassoの両方、(細管と太管のユーフォニアム)にそれぞれ対応しています。つまり、2種類のsaxhorn(バリトン・バス)に3種類のFlicorno(テナー・バリトン・バス)が対応する事になりますので注意が必要です。
サクソルンはベルギーのヴァン・エンゲレン社やフランスのクルトア(コルトワ)社、ケノン社が製造していましたが、ヴァン・エンゲレン社は製造を中止、クルトワ社は近年クランポン社の傘下に入り、クルトアのブランド名の楽器として販売されています。
写真『H.Van Engelen/Bariton(左)とBesson Prestige/Euphonium(筆者所有)(右)』
フランスの主な金管楽器メーカーの変遷は、以下のように行われてきました。
ベッソン(Besson)の創始者ギュスターヴ・ベッソンGustave Auguste Besson(1820-1874)は1838年頃にフランスのパリに楽器工場を建てたという説が有力で、ベッソンは1851に英国のロンドンにも工場を建て楽器の生産をしています。ギュスターウ゛が死亡した後、フランスの工場は娘が引き継ぎましが、1880年にAdolph Fontaine と結婚し、工場を「Fontaine- Besson」と呼びフランス製の楽器は「F.Besson」英国製の楽器は「Besson」と表記されています。このフランスの工場は第2次大戦後も存続しましたが、1957年にケノン(Couesnon)に所有者が変っています。
このケノン社はフランスの工場をメインに金管楽器の生産を主に行ったメーカーで、そのルーツは1827年に先駆者であるギシャール(Auguste Guichard)のパリの工房にさかのぼります。様々な経営者の名称を経て、1882年にCouesnon,Gautrot &Cie.1888年にはCouesnon & Cie、1931年からはCouesnon S.A.と呼ばれています。
ケノンの工場は最盛期の1910〜20年代は世界最大級の規模と生産台数を誇りましたが、その後衰退し、1968年の企業再編を経て1995年頃に消滅しています。
木管楽器のメーカーとして有名なビュッフェ・クランポンBuffet Crampon 社は、Denis Buffet(1783-1841)によってフランスの木管楽器メーカーとして1825年に誕生しましたが、その後様々な経営者によって運営されています。
Paul EvetteとErnest Schaefferとは1885年より1926年まで経営を共にしており、この間オフィスをロンドンに置いています。1896年にクランポン社は金管楽器の製造を開始していますが、2006年にベッソン、クルトア(コルトア)両ブランドを引き継ぎ、金管楽器の製造を行っています。
2 - 3. 英国のサクソルンとサクソルンバンド
英国の金管楽器奏者のジョン・ディスティン(John Distin, 1798-1863)は4人の息子達とディスティン・ファミリー・クインテット(Distin Family Quintet)と呼ばれた金管アンサンブルを1833年に結成しました。
ディスティンファミリーは1844年にパリに演奏旅行をして、サックスに会い、製作されたばかりのサクソルンを自分達のアンサンブルに採用しました。翌年の1845年にディスティンは会社(Distin & Sons)を設立し、翌年から英国においてサクソルンの代理販売を開始しました。
次男のヘンリー(Henry Distin,1819-1903)は1850年にこの店を継ぎ、この年から楽器の製造を始めています。
ゾマーは1851年の英国博覧会において、オルガンの伴奏でゾメロホーン(Sommerohone)と呼ばれる楽器でリサイタルを開催し、この楽器は高評を博しました。しかし既にこのようなタイプの楽器はユーフォニアムという名称で呼ばれる事が一般的になっていた為に、彼の名前を楽器の名称として記録させ、永続させるという試みは失敗しました。
この頃の英国は金管楽器による合奏が盛んに行われていました。現在の英国スタイルの金管バンドの前身です。1853年にはサクソルンの楽器で統一されたサクソルンバンド(saxhorn band)によるコンクールが行われましたが、その後、サクソルンの名称は使用されなくなり、このコンクールは現在の英国の金管バンド(ブラスバンドbrass band)のコンクール(コンテスト)としてその後発展をしました。
3. ユーフォニアムの発展の時代
3 - 1. 英国におけるユーフォニオンの登場と楽器メーカーの統合
ディスティン社がサックスとの提携を解消した1857年頃からはディスティン社のカタログからサクソルンの名称は使われなくなり、上向きベルの楽器にユーフォニオン(Euphonion)の名称が用いられるようになりました。
演奏家の記録では、アルフレッド・フェアセイ(Alfred Phasey, 1834-88)がロンドンのユーフォニアム奏者として、オフィクレイド奏者から転向しています。1860年頃には英国のほとんどのブラスバンドにおいてオフィクレイドからユーフォニアムに楽器が置き換えられています。
主な英国の楽器メーカーの誕生と統合は以下のように行なわれてきました。
1850年、ディスティン社(Distin & Sons)が管楽器の製造を開始、同じく1850年頃にブージー社(boosey & co.)、翌1851年にはベッソン(besson)社もロンドンに工場を建設し、管楽器の製造を開始しています。また、管楽器製造メーカーのホークス社(hawkes)は1860年に誕生しています。
ディスティン社は1868年にブージー社に買収されましたが、ディスティン商会(distin & co.)と呼ばれて1874年まで存続しています。ブージー社はディスティンの金管楽器の生産を引き継ぎました。また、ヘンリー・ディスティン本人やディスティンに務めていた技術者達は1870年代後半に米国に渡り、米国の金管楽器の発展にその足跡を残しています。
1930年にホークス社とブージー社は合併し、ブージー&ホークス社(boosey & hawkes)となり、さらに1940年にはベッソン社を買収しました。その後、ブージー&ホークス・グループとしてさらに他企業との連携をした後、2003年にはザ・ミュージックグループとして再編されましたが、この後、ベッソンブランドはフランスのクランポン社の傘下に入り、2006年にはベッソンブランドの製造工場がドイツに移転しました。
3 - 2. コンペンセイティング・システムの発明
(写真 : 1989年に三浦徹氏と筆者が英国エッジウエアーのベッソンの工場を視察した折に撮影したユーフォニアム。担当者からブレイクリーが制作したコンペンセイティングのユーフォニアムの1号機であるとの説明を受けた) |
1874年に英国のブレイクリー(D.Blaikley)が音程を補正する為のコンペンセイティング・システム(Automatic Compensating System = 自動補正ピッチ・システム)と呼ばれるバルブシステムを考案し、英国のブージー社が1878年に特許を取得しました。この特許は1974年に消滅しています。
このバルブシステムはユーフォニアム以外の様々な楽器にも採用されましたが、このバルブを選択する事によって、英国式のユーフォニアムはフランスのサクソルンとは別の発展の道を歩むことになり、ここにおいて現在の日本で普及しているユーフォニアムに繋がる道筋が見えて来ます。
ヤマハはこのコンペンセイティング・システムのYEP641を開発し、1984年に発売を開始しました。2001年にはYEP842も発売されましたが、「セミダブル(B♭/F)」等と現在では表記されています。
3 - 3. イタリアで発展したユーフォニアム
イタリアにおいて、フリコルノと呼ばれる楽器群があります。「フリコルノ(Flicorno)」とはフランスの「サクソルン(Saxhorn)」やオーストリアの「フリューゲルホルン(Flugelhorn)」に相当する楽器を示す言葉です。したがって、サクソルンのように音域や管の形状によって、示す楽器の種類が異なり、その中で、ユーフォニアムに相当する音域の楽器として、『tenore, baritono, basso』と呼ばれる楽器が存在します。
トロンボーンは変ロ調の「テナー」と「バス」の2種類ですが、この音域に対応するフリコルノは「テナー・バリトン・バス」の3種類と考えて頂くと解りやすいと思います。ユーフォニアムに関連するこれらの楽器の対応表は以下の通りです。
Flicorno sopracuto |
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Flicorno sopranino |
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Flicorno soprano |
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Flicorno contralto |
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Flicorno tenore |
(テナー) |
バリトン(日本・現在)に相当 |
Flicorno baritono |
(バリトン) |
ユーフォニアムに相当 |
Flicorno basso |
(バス) |
4本バルブのユーフォニアムに相当 |
Flicorno basso-grave |
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Flicorno contrabasso |
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1872年にフリコルノ・バッソ(Flicorno basso)のためにA.ポンキエルリ(A.Ponchielli)が協奏曲「Concerto per flicorno basso」を作曲しています。1924年にはO.レスピーギ(Ottorino Respighi)が交響詩「ローマの松」を作曲し、バンダのパートにFlicorno bassoを指定しています。
ショスタコービッチは、「Baritono」という楽器をオーケストラの作品で指定しましたが、この「バリトン」が「Flicono baritono」を示すのであれば、細管のユーフォニアムに相当します。また、この「バリトン(Baritono)」が、英国の「バリトン(Baritone)」やフランスの「バリトン(Baryton)」を示しているとすれば、さらに細身の楽器、現在の日本でバリトンと呼ばれている楽器「バリトン」、つまり「Flicorno tenore」を示す事になります。
3 - 4. ロータリーバルブのユーフォニアムの発達
1848年にボヘミアの楽器製作者チェルベニー(Cerveny)が考案したバロキシトン(Baroxyton)と呼ばれる楽器は当時のロシアのバンドで最も重要な低音楽器となりました。チェルベニーは1880年代前半には、より大きいボア(楽器の広がり)を持ったカイザーバリトン(Kaiserbariton)と呼ばれるロータリー式の楽器を開発しました。この楽器の形状はテューバのデザインを模倣する事が一般的であり、以来ドイツ語圏の楽器製造業者によってこの楽器は製作されています。その形状からテューバだとよく誤解されますが、楽器の分類上はユーフォニアムです。また、テューバの高音域を担当する楽器として、テナーテューバと呼ばれる名称の楽器を販売しているメーカーもありますが、これらの楽器についてもユーフォニアムとして分類されると考えられています。
3 - 5. 米国で発展したユーフォニアム
1. サクソルンと米国の金管楽器メーカー
米国におけるユーフォニアムについての最も古い記載は1853年のドッドワースの楽器編成表(Dodworth's Brass Band School)におけるサクソルンの表記であると思われます。サックスが考案した8種類のサクソルンが、この楽器編成表では、ソプラノ、アルト、テナー、バリトン、バス、の5種類に統合されており、このバリトン(baritone)が現在のユーフォニアムに相当します。
1876年に米国のコーン(Charles Gerard Conn, 1844-1931)は、ロンドンの金管楽器メーカー、ディスティン社の元従業員で楽器製作者のデュポン(Eugene Victor Baptiste Dupont, 1832-1881)を招き、Conn & Dupontという名称でコルネットを製作しました。
また、ヘンリー・ディスティン(1819 - 1903)は1877年にニューヨークに移住し、ヘンリー・ディスティン製造会社(Henry Distin Manufacturing Co.) として米国にて楽器の生産を始めました。
1882年にヨーク(York)社がミシガン州に創設され、同社のテューバは「ヨーク・テューバ」と呼ばれる銘器として、その後の各社の模範となりましたが、1976年に生産を終了しました。
この「ヨーク」ブランドのユーフォニアムは、ドイツの工房で製作される楽器として、2008年より日本での販売が開始されました。
2. オーバー・ザ・ショルダー・サクソルン
南北戦争時(1861-65)に楽器を肩に乗せてベルが後方を向く形状(Over the Shoulder design)のサクソルンがバンドで使用されましたが、この形状の楽器は1851年のボストンブラスバンド(Boston Brass Band)の挿絵の中にも描かれています。オーバー・ザ・ショルダー・サクソルン(Over the Shoulder Saxhorn)とも呼ばれています。
3. ダブルベルユーフォニアム
1855年にミラノのペリッティ(Pelitti)が考案した、ユーフォニウム/バルブトロンボーンの複合楽器、ダブルべルユーフォニアム(Double-belle euphonium)は米国において1880年代から発展しました。この楽器は大小二つのベルを持ち、バルブにより、それぞれのベルに音の切り替えが出来る機構になっています。また、小さい方のベルの向きを変える事が出来る機種もあります。シモニー・マンティア(Simone Mantia, 1873-1951)がスーザバンドの名手として活躍しました。ダブルベルのユーフォニアムは4本もしくは5本のバルブを持ち、様々な形状の楽器が考案されましたが、バリトンホーンやコンペンセイティング方式の機種と置き換わり、1960年頃には製造が中止されました。
4. バリトンホーン
米国で発展したバリトンホーン(Baritonehorn)は、バルブを楽器の中央に配置する形状の楽器で、ベルが奏者から見て前方に途中から曲がっています。ベル・フロントと呼ばれる形状の楽器です。この楽器の名手にレオナード・ファルコーニ(Leonard Falcone, 1899-1985)が挙げられます。このファルコーニの業績を記念し、国際ファルコーニコンクール(Leonard Falcone International Baritone Competition)が1986年より開催されました。ヤマハは現在このバリトンホーンと呼ばれている楽器(YEP-211)を製造していますが、日本では販売されていません。
5. ジャズ
米国で発達したジャズをユーフォニアムで演奏する奏者として、リッチ・マティソン(Rich Matteson, 1929-93)が登場しました。マティソンはハーヴィー・フィリップス(Harvey Phillips, テューバ奏者)とジャズグループ「The Matteson-Phillips Tuba Jazz Consort」を1976年に結成し、スイス、モントルーの第1回国際ブラスコングレスにて発表しました。日本からの留学生として山岡潤氏がマティソン氏に師事をし、山岡氏は日本におけるユーフォニアム・ジャズのパイオニアとなりました。マティソンはヤマハのYEP-321を愛用していました。
6. 国際テューバ・ユーフォニアム協会
1973年には世界テューバ協会(Tubists Universal Brotherhood Association、略称T.U.B.A.) が結成され、カンファレンス(International Tuba Euphonium Conference、略称ITEC)が行われるようになりました。世界中から奏者や研究者が集まり、研究の成果が発表され、楽譜の販売も行われています。現在では国際テューバ・ユーフォニアム協会(International Tuba Euphonium Association)と改称され、発展しています。
3 - 6. ドイツの工房で製作されるユーフォニアム
1. ヨークブランドのユーフォニアム
1882年にヨーク(York)社が米国ミシガン州に創設され、同社のテューバは「ヨーク・テューバ」と呼ばれる銘器として、その後の各社の模範となりました。ヤマハの松隈氏によりますと、ヨークテューバの米国での生産は第2次世界大戦頃までで、その後はドイツ・ミュンヘンBoehm&Meinl社(現在は買収されてbm Symphonic社)で「他ブランド生産(OEM)」を行ったそうです。
このヨークのドイツでの生産は1976年に生産を終了しましたが、この「ヨーク」ブランドのユーフォニアムが、ドイツの工房で製作される楽器として復活し、2008年より日本での販売が開始されました。
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