ヨハン・セバスティアン・バッハ (1685-1750)

「ミサ曲 ト長調」 MISSA G-Dur

 バッハのミサ曲といえば、誰もがあの名作「ロ短調ミサ」BWV232を思い出すだろう。しかし、彼にはこのほかに4曲のミサ曲のあることは、あまり知られていない。へ長調、イ長調、ト長調、ト短調(BWV232〜236)の4曲がそれで、いずれもバッハが52〜53歳頃の作品である。有名な「マタイ受難曲」初演の数年後であり、バッハ熟年期の作品である。
 4曲の特徴は、すべてキリエとグローリアだけからなることで、ローマ典礼形式から見れば、これはミサ曲の断片でしかない。しかし、宗教改革後もルター正統派教会ではラテン語による典礼が行なわれたことがあり、当時の慣行としてキリエとグローリアだけに音楽をつけたものを「ミサ曲」と呼んでいた。のちには全教会の典礼がドイツ語化されたので、この時代のこの種の「ミサ曲」は通称「ルター派教会ミサ」とも呼ばれているのである。
 もうひとつの特徴は、全4曲のミサのほとんどが、既成教会カンタータからの転用(パロディ)であることである。パロディは通常一回だけの行事に書いた曲を、通常の典礼用に歌詞を変更して転用するものであるが、このミサ曲が、原曲教会カンタータに慣れ親しんだライプツィヒ教会で演奏されたことは、まずあり得ないだろう。しかし、このミサ曲は、作曲動機も目的も、何ひとつ記録が残っていないのである。
 ミサ曲ト長調BWV236は全6曲からなり、独唱(SATB)と合唱、2本のオーボエと弦楽器と通奏低音の編成である。

(1)Kyrie (合唱)
 パレストリーナ風の古様式の合唱フーガである。初期ライプツィヒ時代(1723)のカンタータBWV179「心せよ、汝の敬神に偽りはなきや」の冒頭合唱の転用である。偽善を戒め、憐れみを求める原歌詞は、ミサ入祭の懺悔の祈りに共通する。

(2) Gloria (合唱)
 宗教改革記念日のカンタータBWV79「神は太陽でわが盾なり」冒頭合唱の転用である。原曲は長大な器楽合奏が置かれているが、ここのホルン旋律を女声合唱に書きかえて「天には神に栄光」と歌わせている。中心部のフーガ形式の合唱は、悪を退け十字架の死によって勝利を得たイエス・キリストをたたえる賛歌である。

(3) Gratias (バス独唱)
 カンタータBWV138「いかなれば汝は悲しみくずおるるやわが心」の中のアリア「私は神を信頼します」の転用。

(4) Domine Deus (ソプラノ、アルト二重唱)
カンタータBWV79第5曲「神よ見捨て給うなかれ」の転用。ホモフォニックな嘆願の祈りが、二重唱により美しく歌われる。

(5) Quoniam (テノール独唱)
 第1曲キリエと同じカンタータBWV179の第3曲アリア「偽善者は神の前に立つ資格なし」の転用。原曲の厳しい教訓調の内容は、神への絶対の賛美の裏返しである。

(6) Cum Sancto Spiritu (合唱)
 カンタータBWV17第1曲冒頭合唱「感謝を捧げる者は神をあがめる」の転用。原曲はカンタータの主日の成句(ルカ17:11-19)にある、イエスにより癩病が癒されたサマリア人の喜びと感謝を歌ったものである。
(後藤田篤夫)

-6-


前のページ 次のページ