「主が家を建てて下さるのでなければ」(詩編127)
 6声部合唱と通奏低音のためのこの詩編曲は、最初の曲と同様遺作「詩編曲集」に収載されています。聖書では「都へ上る歌、ソロモンの詩」の副題がつくこの詩編は、神の祝福なく人が努力することは空しく、子宝は神の祝福であり子は敵から守る武器である、との大意です。
 この曲でモンテヴェルディはより一層ゆたかな表現を試みます。目まぐるしい声部の交替、拍子の変化など曲想の多様さが、曲全体に生き生きとした活気を与えます。彼はここでも歌詞に対する大胆な表現を行ない、sicut sagittare(勇者の手の矢)ではオクターヴの上昇音形は放たれた矢をリアルな動画表現で描写します。また「夜更かしは空し」で surgite(起きている)の歌詞を執拗に反復するのは何故でしょうか。あるいはモンテヴェルディは、ヴェネチアの栄華の裏面に蠢く放蕩の夜の巷を批判したのではなかろうかと想像されます。そしてその後に続く panem doloris(苦いパン)でリガトゥーラ(繋留音)による鋭い響きで「空しさ」を表現しているのでしょう。
 こう考えると、詩編の持つ素朴な人間感情の訴えに驚きます。そしてモンテヴェルディが巧みな筆致でより鮮やかに表現する見事さに感心するばかりです。

「神が用意された宴を見よ」(聖餐賛歌)
 この曲は前掲の三つの曲集には含まれない小曲のひとつで「モンテヴェルディ全集」では最終巻の補遺集に収載されています。しかし他の曲と同様、ヴェネチア時代の作品であることは確実です。
 テノール独唱と通奏低音のためのモテットであるこの曲の特徴は、通奏低音が独自の役割を果たしていることで、これは協奏様式の宗教的コンチェルトの性格を帯びています。
 歌詞は聖餐式の聖体への賛歌で、式自体を神が用意された宴と見て、「主はあなたを招き、御自身が食物となられた。あなたはそれを食す」と聖餐の本質を語ります。息の長い導入部は、透明な声部のひびきと通奏低音の動きが印象的です。後半は陪席者の立場としての痛切な反省と、感動的な信仰告白に移って曲を結びます。

「聖母マリアのためのリタナイ(連祷)」
 遺作「詩編曲集」の最終曲のこの6部合唱と通奏低音のためのリタナイは、グレゴリオ聖歌以来の伝統的な連祷形式の教会音楽です。曲ははじめと終わりに三位一体の神への祈りがあり、それに挟まれた形で44行にわたる聖母マリアに対する「願い」が歌われます。この各行はすべて ora pro nobis(われらのために祈り給え)との「とりなしの願い」であります。
 モンテヴェルディは、詩編曲などと違ってホモフォニックな書法による古様式を用いているので、常に荘重な響きが保持されています。それでも相次ぐ転調、声部組み合わせの交替による色彩の違い、拍子の変化による流れの抑制、また処々に独唱が加わる協奏的効果によって、様々な形容詞句による聖母崇敬を訴えます。この神秘的な感動は彼の敬虔な深い信仰の発露と考えることができます。彼は65歳にして聖マルコ教会の司祭服をまといました。
(註)曲目に付けたSV番号は、モンテヴェルディ研究者シュタットクスが刊行した「モンテヴェルディ作品目録」(1985)による。

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