W.A.モーツアルト
ミサ・ブレヴィス ニ長調 K.V.194

 モーツアルト全18曲のミサ曲の第9番目にあたり、1774年8月8日ザルツブルグ大聖堂の日曜日ミサのために作曲された。彼の17歳の作である。17歳といえば青年期であるが、35歳の短いモーツアルトの生涯ではすでに成熟期といって良いだろう。全41曲の彼の交響曲のうち、この年にはすでに30曲が書かれているのである。

 「ミサ・ブレヴィス」を訳すと「短いミサ」で、「ミサ・ソレムニス」(盛儀ミサ)に対する名称であるが、モーツアルトはこの曲では定められたミサ通常文は一句たりとも省略していない。この曲は全体で約20分の長さだが、のちの復活祭に作曲した「戴冠ミサ」は盛儀ミサであっても数分長いだけである。つまり大祭日や特別の記念式典では「盛儀ミサ」であり、通常に日曜日には「ミサ・ブレヴィス」と考えてよいのである。従ってこれを「略式ミサ」と扱うのは大きな誤りである。

 当時のザルツブルグは教会方針として、簡素化のためミサ曲の時間短縮を命じられ、複雑な形式や多様な楽器編成は制限された。今から見れば啓蒙思想に基く合理化の一環であったが、モーツアルトはこれが非常に不満であった。このため教会と衝突を重ねた挙句、1781年ザルツブルグと訣別してウィーンへ去った。しかしウィーンでは職が得られず、これが35歳の早世の原因となったのである。

 皮肉なことに、この曲では短縮化の要請が逆に簡潔明瞭な音楽を作る結果となり、モーツアルトの才知によって、凝縮された内容が極度に魅力あふれる作品となっている。 曲は4人の独唱、4声の合唱、それに2声の弦と通奏低音の編成である。

キリエ(あわれみの賛歌)

冒頭ソプラノの主和音音階の動機ではじまり、途中でこの動機がカノン風に展開する。

グローリア(栄光の賛歌)

途中断片的に独唱が入るが、全般的にはニ長調の合唱がアレグロで終わりまで疾走する。

クレド(信仰宣言)

歌詞の多い楽章だが、キリストの降誕と受難を語る中間部のみ短いアンダンテで、前後を独唱と合唱がアレグロで使徒信条を歌う。復活と結びのアーメンは同じ躍動的なフガートである。

サンクトゥスとベネディクトゥス(感謝の賛歌)

聖変化の場面は敬虔なアンダンテで、一転して「オサンナ」のフーガに突入する。ベネディクトゥスは4人の独唱が歌う。このあと「オサンナ」のフーガが反復する。

アニュス・デイ(平和の賛歌)

三節から成る歌詞を独唱と合唱が繰り返し、終わりの「我らに平安を与え給え」で短調から長調に転換する。ここまで歌詞の反復をほとんどしなかったモーツアルトは、この言葉を何度も何度も繰り返し、オペラ風の装飾的音型を用いるのである。

(後藤田 篤夫)


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