エゴは私たちに語りかける。
「お前の価値は 所有物で決まる」と。
そして人は豊かさを求めていく。
自己を所有物で定義するように信じ込む。
「多くを所有するほど自分の価値が高まる」と大人は子供たちに教える。
「豊かなことは いいことだ」・・・エゴは呪文のように、
「もっと豊かに」と求め、次第に失うことを恐れ始める。
所有物に執着し、満ち足りなくなる。
だが所有欲にとらわれると、その過程で本当の自分を見失ってしまう。
デビッド「野心は悪いことか? 野心はエゴだというが 映画監督の俺には必要だ。
流れに任せて映画なんか作れない」
ダイアー「それもエゴの考えだ。本当の自分は、もっといい作品を作れるかも」
エゴの3つめの特徴は、他人の評価を気にすることだ。
シンクロニシティーは、運命の巡り合わせだ。
エゴの支配から脱却すると必然的に起こる。
自分の源(ソース)とつながることで起こる現象だ。
うわべの自分に押しつけられた運命からようやく解き放たれる。
扉が開くのはエゴを捨て、人のために行動するときだ。
「欲しいものを引き寄せる」と考える人がいるが、私はまったくそうは思わない。
「欲しいもの」ではなく「自分と同じもの」を引き寄せるんだ。
人生の朝の生き方は、社会通念に縛られている。
人生の午後は、大いなる力につながり、ただ身を任せればいい。
ダイアー「私の人生は大きく変わった。変化を受け入れたからだ。…信じない?」
デビッド「ただ何もせず“お告げ”を待てと?」
ダイアー「それは違う。タオの教えでいうと、しなやかに生きることだ。
肩の力を抜き、柔軟に生きるんだ。“あるがままに生きろ”とタオは教えている。
ただ受け入れるということだ。
すべてを解き放ち、神を受け入れる内なる魂の源(ソース)に身をゆだねるんだ」
これまで多くの人に尋ねられた。
「生きる目的は何か?」「どうすれば見つかるのか」「生きる目的が分からない」と。
生きる目的は人生を楽しみ、心の安住の地を見つけることだ。
多くの人は、必死で どこかを目指し、さまよっている。
人生の目的はおのずと見えてくる。たった1日でも、
他者のために生きてみれば神の考え方が分かるだろう。
他者の人生に触れることは、お金よりも価値がある。
友人のバイロン・ケイティはこう言っている。
「求めるものを得なければ満たされないと思うのは幻想だ」何も求めなくていい。ゆだねればいい。
ザ・シフト
「人生の朝」には、社会に出て身についたエゴ、
お金や功績、成功、他人の評価とかを大事にしてしまうけど、
「人生の午後」になると、それらは必要がなくなる。
「人生の朝」の真実は、「人生の午後」には偽りとなる。
「内なる声に耳を傾けなさい。」
自らの源-ソース-に気づくこと。
「無為自然に生きよ。無為を為せば全てはうまくいく。」
人生に必要な出逢いは、必要な時間にやってくる。
エゴが必要でなくなったとき、
人生の午後を迎えるための飛躍的瞬間が訪れる。
エゴは偽りの自分。
その為に、、、
精神的なつながりをはっきり持つこと。
周囲に静寂が訪れて、
内なる声に注目した時、源とつながる。
ただ静寂にひたる時間をもつこと。
できるだけ何もしないで、委ねるようになること。
「あるがままに生きる。」
ただ源に身をゆだねる。
人生で探しているものは、必要な時に必要な場所で見つかる。
人生に必要なものは全て自分のなかにある。
やるべき事を全てやったら、
すべてうまくいくと信じればいい。
与える事に意識を向けていくと、幸運がまわってくる。
「人生の底」は、方向転換へのエネルギーをため込む時期。
自分が決めた目的が大きいほど、人生の底が潜んでいる。
大きな挑戦は、精神的に高いレベルに達しようとするチャンス。
「人生の底」とは方向転換へのエネルギーをため込む時期
人生の朝から人生の午後や夕方に移る際、
今までまったくなかったようなことや、
驚くべき状況が起こる。
大きな変化が起こる前には、何かが崩れ去るのが普遍の法則。
事故であったり、これまで一生懸命に
積み上げてきたものをなくしてしまうようなことだったり、
人間関係、病気、心を痛めるようなこと。ただ、
自分が決めた目的が大きければ大きいほど、
人生の底が潜んでいることが多い。
低く沈みこむのは、
人生の方向転換に必要なエネルギーをため込んでいるようなもの。
どんな大きい挑戦も、精神的に
もっと高いレベルに達しようとする成長のチャンス。
今だからわかること
ダイアー先生はアメリカ合衆国でも
有名なメンタリストで、執筆活動だけではなく、
講演も行っていました。
「今だからわかること」というのは、
先生が過去に病気だったり出会いだったり、
生きていく中で起きたことが
内なる感覚に従うことで「これこそ正しい」と
思えたことを実施してきたというのが
思い返してみるとわかる、というものです。
誰にでも、いくつもの選択肢があり、
それらに注意を払って進むこともできます。
自分の中で、情熱や高揚感を
湧き上がらせるものから目をそらさず、見つめること。
自分で奏でたい音楽を携えてこの世にやってきて、
シンクロニシティの呼びかける方向へ進むこと。
上記、「シフト」においては、
そのきっかけとなる出来事があって、
方向転換をする話が題材となっています。
不運な出来事を、
「自分の運が悪いからだ」と考えることもできるけど、
「今この瞬間この場で何を学べるだろう?」と
自問することもできます。
「これは何を意味しているのか」と考える機会が
人生のあらゆる瞬間に存在しています。
そういった師の存在に対して、
内なる感覚が、取るべき行動を教えていると信頼し、
直感や内なる感覚を信頼すること、それが、
「今だからはっきりとわかる」という視点で
物事を見ることの醍醐味となります。
インスピレーション
何時間もぶっ続けで原稿を作成している時に、
言葉が泉のように湧き出てくる時は良いが、
やがて言葉に詰まってしまい、言いたいことが
文字にならなくなってしまうことがある。
そんな時、机から離れて座り、
目を閉じてこころをしずめるようにしている。
特に何かにすがるということはない。ただ、
こころを解き放って、
清らかな気持ちになるように努めるのだ。
そんなふうにしばらく黙想を続けていると、
やがてインスピレーションの源のようなものに
触れたかのような感覚をおぼえる。すると、
いったいどこから言葉がわいてくるのか、
何ページでも書き続けられるようになるのだ。