異国見聞尺八余話 (9)
それでもニューヨーク 倉 橋 義 雄
ああ、溜息が出る。それは、尺八界にとっても、取り返しの つかぬ悲劇ではなかったか。 もしジョン・レノンが尺八を吹いていたら・・・・いまさら考え ても仕方がない仮定法ではあるが・・・・おそらく、尺八をとりま く状況は大きく変化していたことだろう。尺八の音楽そのものも、 すばらしく変質したかもしれない。そして、ラニーの兄弟子た るこの私は、つまりジョン・レノンの師匠格として、世界の音 楽界に君臨できたことだろうに・・・・ああ、また溜息。 私は、何年も前から定期的にNYを訪問して、尺八の集中講 座を開いているのだが、ジョンなきあとのNYには、むなしさ が漂う。一生懸命尺八を教えても、もはやそれは一部尺八愛好 者を喜ばせるだけのことになったのではないか? 私がいかに 八面六臂の大活躍をしても、それが日本の尺八界に知られるこ とはない。どうでもいい、むなしいこと。第二第三のジョン・ レノンは、現れそうにもない。 ところがである。むなしいというのは、あくまでも私個人の 心の中のこと、NYの一部尺八愛好者は、決してむなしくない のである。煮えたぎっているわけでもなく、上手とも言えない が、どこか一味違う。むなしいはずのこの私が、つい彼らのペ ースに乗せられて、本気になってしまうことがよくある。尺八 の総本家日本から来た偉大な指導者を、アメリカ人の分際でペ ースに乗せてしまうなんて、本末転倒、けしからぬ話である。 けしからぬけれど、そういうとき、思わず私は充実してしまう。 むなしさと充実の同居、この奇妙な感じが生じる理由は何? たしかにNYはすごい町だけれど、尺八に関しては辺境の地、 地球の裏側に過ぎない。でも、それでも、やはりNY。 ある冬の朝、暗いうちからブルックリンをさまよっていた私 は、思いついて雪のブルックリン橋を歩いて渡ってみることに した。対岸のマンハッタンの摩天楼が、黒々と岩山のように夜 空にそびえていた。すごい町。あの巨大な岩山の中にアリのよ うに潜りこんで尺八を吹く・・・・考えるだけでむなしい。 足もとは暗く、雪を踏みしめつつ慎重に歩いた。こんな所で 川に落ちたら大変だ。いや、こんな私が落ちたところで、NY では誰にも知られない。どうでもいい些事、むなしいこと。 橋の中ほどまで進んだとき、奇異を感じて、私は歩を止めた。 不思議な明るさを感じたのだ。あたりは墨のような未明の暗闇。 それなのに明るい! 顔を上げて、息を呑んだ。摩天楼の頂上が、ただ頂上だけが、 燦然と目にまぶしく輝いているではないか! はるか地平線の 彼方の輝く陽光を、摩天楼の頂上が受けて、ただそこだけが宝 石のように輝いているのだ。そのすごさに、私は震えた・・・・。 「こんな町、ほかにない!」その瞬間、私は理解した。NY の人たちのことを。 と書いてしまうと、まるで三流小説だと失笑を買うだろうから、私 も反省している。でも、だんだんNYの人たちのことを理解し かけていることは、事実である。 NYという町は、知れば知るほどすごくなる。世界の文化の 中心と言っても、当然すぎて誰も文句は言わない。だから、そ んなすごいところで尺八を吹く人たちは、極端に言うと、日本なんか 眼中にない。日本で勉強したいとは思っても、彼らが人生を賭 けようとしているところは、NY以外にはあり得ない。NYで 認められたら、それはすごいこと。彼らは、まだ尺八には自信 はないけれど、NYという町には過剰すぎるほど自信を持って いる。そのことが、私にはうらやましく、同時に腹立たしい。 と考えると、もしジョン・レノンが生きて尺八を吹いたとし ても、それは日本の尺八界とはほとんど無関係なことになって いただろう、と思われる。いつしかNYが世界の尺八音楽の中心とな り、日本の尺八界が辺境の地位に落ちぶれたとしても、私たち 日本の尺八吹きは誰もそのことに気がつかない、というふうに なっていたかもしれない。
|