「邦楽ジャーナル」2000年5月号掲載

異国見聞尺八余話 (8)

<尺八異人伝>
スタン・リチャードソンの巻

倉 橋 義 雄


スタン・リチャードソン夫妻

 テキサス決死隊、テキサスの黄色いバラ・・・・その名を耳にす るだけで、血わき肉おどるテキサス。そのテキサスに、とうと う尺八道場が誕生した。先生の名はスタン・リチャードソン。 どこかジャック・ニコルソンに似た風貌の持ち主だが、温厚な 紳士である。実は、何を隠そうイギリス生まれのイギリス人、 正真正銘のジェントルマンなのである。しかし、経歴を聞いて びっくり、やはりこの人物、タダモノではなかった。
 1952年生まれ。イングランド中央部の小さな町で育った。 ごく普通の青年だったが、18歳のとき、町の楽器店で何気な く1枚のレコードを買ったことが、彼の人生をゆるがせた。そ れは山口五郎氏の尺八本曲のレコード、「巣鶴鈴慕」と「虚空 鈴慕」の2曲が収められていた。
 レコードの尺八の音に、彼は「霊的」なものを感じた。人間 が心の奥底に持っている最も原始的な霊的感情を「尺八の音は 揺り動かした」と彼は言う。彼は感嘆し、即座にみずから尺八 を吹くことを決意した。
 でも、尺八って、どんな楽器? 百科事典「ブリタニカ」で 尺八の姿を写真で見た。知っている限りの日本のレコード会社 に手紙を出して、問い合わせてみた。たった1社から返信があ り、東京のトキワ楽器の住所を教えてくれた。さっそく彼はそ こへ手紙を出して、いちばん安い尺八を注文した。
 彼の尺八人生はこうして始まったのだが、先生いない、仲間 いない、楽譜ない、教科書ない、インターネットない、あるのは 楽器とレコードだけ、そのような状況だったら、あなたならど うする? 私なら、あきらめる。でも、彼は決心した。「この楽 器を吹いてみせる!」
 文字通りの暗中模索、尺八の音そのものを出す苦労に始まり、 いろんな指づかいを試してみて、レコードと同じ音が出るように 試行錯誤を繰り返した。このような気が遠くなるような孤独な 作業を、何と7年間も、彼は続けたのである。
 その間、彼は大学を卒業して歯医者になり、やがて招かれて アメリカ・テキサス州ダラスの歯科大学の先生になった。
 アメリカでは尺八に関する英語の本が入手しやすかったので、 手当たり次第に読んだ。ある本の巻末に、山口氏の「虚空鈴慕」 の楽譜が添付されていたので、小おどりした。と言っても、も ちろん日本文字は読めない、記号の意味も分からない、チンプ ンカンプン。そこで彼は、古代文字の研究よろしく、尺八楽譜 の「解読」作業を開始した。何度もレコードを聴き、じっと楽 譜を見ていたら、驚くべきことに、「だんだん分かるようにな ってきた」と言う。
 こうして苦節7年、彼はとうとう、あの難しい「巣鶴鈴慕」 と「虚空鈴慕」を暗譜でマスターしたのである。もちろん、ほ かの曲は1曲も吹けなかったが、文句なし、えらい人。
 その後、アメリカに尺八の先生がいることを知った。何回か ニューヨークに飛び、ラニー・セルディン氏とラルフ・サミュ エルソン氏の指導を受けた。楽譜が読めるようになると、あと はトントン拍子、レパートリーが増え、視野が広がった。
 ダラスに一刀天心流という剣術の道場があり、道場主のステ ィーブ・ワイス氏が彼の尺八にほれこんだ。そしてワイス氏は、 その剣術道場で尺八を教えるよう、彼に要請した。こうしてテ キサス唯一の尺八道場が、はなばなしく誕生したのである。
 今年の冬、私も招かれて、その道場で尺八を教えた。さすが 剣術道場らしく、そこには厳格な礼儀作法があり、何だか保守 反動右翼国粋主義の人達に囲まれたみたいで、最初はこわかっ た。ところが、ワイス氏いわく「この近所は保守的な人が多く て、私達は白い目で見られている」・・・・そうか、テキサスで保 守的というのは、カウボーイハットをかぶったイキな兄さん達 のことで、剣術や尺八をたしなんでいるのは、実は進歩的文化 人(?)だったのか・・・・。かくして、緊張感ある完璧な体育会 的雰囲気の中で、テキサスでの尺八は広まりつつある。
 リチャードソン氏への質問「あなたの尺八人生の中で最も 印象的だったことは何か」・・・・彼は即座に答えた「1998年 のボルダー国際尺八音楽祭で山口五郎先生に会ったこと」・・・・ 開会式の会場で、とるものもとりあえず、彼は山口氏のところ へ飛んで行ったという。それは彼と山口氏の最初にして、そし て悲しくも最後の出会いだった。そのときの記念写真が、いまも 彼の家に大切に飾られている。

(第8話終)