日本では知らない人がほとんどのはず。
ミーやんにとって、まさに一緒に大きくなって来た、そういうバンドである。
(ということで、これはまさにミーやんの独り言、たわごとと思って読んで頂いて結構です。
でも、少しでも、この素晴らしいバンドの真価をわかっていただければ、ありがたい、そう思ってます。)

何がイイって、同じ音楽を聴いて育った、それなんです。
親近感バリバリなんです。おそらく、同じ環境に生まれ育ったことだろう。
おそらく、お互い、音楽的には早熟???な方なのだろう。
ミーやん、個人的に同じ年で、R.E.M.がフェイバリットなんて奴にお会いした事は無い。
やはり、5歳くらい、年上の方々が多かった。
しかし、所がドッコイ、この人達、ミーやんとそんなに年が離れてないんですね。
それで、R.E.M.の最大のファロワーバンドでありつづける。
この人達とは、ミーやんの下手な英語でも、十分意思疎通は出来そうな、非常に親近感を持つのはそのためです。
だから、この人達の話を始めたら、おそらく、ミーやん自身のこともかなりさらけ出さなければなんない。
・・・この人達のことを書きたいことは山々ながら、筆が進まなかったのはそのため、かもしれない。

普段のミーやんの事を知ってる人間なら、想像もつかないことでしょうが、これでも、ミーやんは
プロテスタント系のクリスチャンです。代々、そう言う家柄であったので、小さな頃から、別に違和感無くそういう宗教を受け入れていた。
クリード、R.E.M.、DCトーク、ニッケルバック、ライフハウス、P.O.D.。
そして、パールジャム、インキュバス、カウンティングクローズ、フーティーアンドザブローフィッシュ、ディッシュワラ、ジュエル・・・数え上げればきりが無い、神はこの世にいる。
そう言う確信をもつ音楽。
結局、ミーやんが邦楽にそれほど関心を持てないのは、そう言う方面の詩を書ける、またはアティチュードをもつ人間がほとんどいない、そう言うところで違和感を絶えず持っているのだと思う。

だからといって、毎週教会にいき、アーメン、言ってることも出来ない。
(そこまで、バリバリにはなれない。)

とはいえ、だからこそ。キリストを否定することは出来ない。

LIVEの面々も私も非常にそう言うところで、不安定なところも似ています。
彼らのアルバムの中の一つ、
ディスタンストゥヒアのディスタンスの中の一節から引用させてもらいます。
”僕の車が教会に辿り着き、
たちまち平安が僕に襲いかかり、
僕は教会の静寂に身を任せる。

そして、僕の心臓を叩く物が現れる。

この肉体の中にある
この道のりはどうすることもできない 兄弟よ”
ミーやんは、この道のりを埋める音楽をずっと求めているのかもしれない。


”永遠は短すぎるかもしれない”
人生がそうであるように。
だからこそ、地球は美しいし、人生って素晴らしい物であるし、かけがえの無いもの。
LIVEの歌を聴くたびに、その思いは強くなる。
”ああ、僕達はこの肉体に閉じ込められたままなのか?”
それでいいじゃん、行けるところまで行こう、と。
神が創ったはずのこの身体や、精神はそんなにやわじゃない。
このバンドに限っては詩を読むことをオススメしているミーやんです。
輸入版のほうがかなり安いですが、できれば日本版を買ってもらいたい。
1度、詩を読んで、彼らの本当の良さ、ってのをわかって欲しい。
無理なお願いかもしれないのですが。