インキュバス。実は、私とほぼ同い年である。
ガキの頃からアメリカとの交流の方が深い環境にあった私だから、
恐らく同じ音楽を聴いて育ったであろう。それだけに非常に親近感がある。
なぜか?
カートをうしなった、というそれは喪失感であろうか?

彼らがもの心ついたとき、すでにオルタナティブの音はアメリカにあふれようとしていた。
まだ、その音は”もう一つの選択”、であり、その音のために死のうという人なんかいるわけ無かった。つまり、やりたい事をやりたい放題やってる人達のための音楽。って感じだった。
すべての人に受け入れられる必要は、それらの音楽にはなかったはずだった。
しかし、88年くらいから環境は変わってきた。R.E.M.のグラミー受賞、
レッチリや、サウンドガーデンの登場。
そして突如、現われたかに見える、グランジ旋風。
ニルバーナやパールジャムなど、その当事者自身ではとめることも出来なかった、それは嵐だった。こうして、オルタナティブは時代の表面に出て来たのだ。
インキュバスの連中は当時、恐らく高校生くらいだったと思う。
それは、熱狂したと思われる。
今まではアングロサクソン系金髪碧眼、マッチョ体型(ガンズのような)が中心だったはずのハードロックがカート・コバーンという、確かに美形ではあったが、華奢な背の低い一人の若者を中心に回り始めた。

結果的に行くと、それは、大失敗であったと思われる。
数年もしないうちにカートは自殺してしまった。
彼はあくまで好き勝手もっとやって居たかった。
ライブにいくような観客もそういう彼の姿が好きだった。
しかし…彼はもう、そういう小さな場所に居るには大きくなりすぎたのだ。
彼を自殺にまで追い込んだもの。彼自身の精神的な状態も大きかっただろう。
ただし、それを助長した物。
彼自身でコントロールできない爆発的な人気だったのだ。

Incubusはそういう人気から懸命に逃れようとしている。
前のアルバムの”DRIVE”のような曲を作れば、おそらくはもっと、売れたに違いない。
おそらく、アメリカを代表するようなバンドになれたことだろう。
しかし、今回はそんな”わかりやすい音。”を徹底的にはずして来た。
それでここまで聞けるアルバムを作るあたり、やはり、このバンドの非凡さを証明しているものの、物足りなく思ったファンも多かったようだ。。
高校時代からの気の合う連れが作ったバンドである。
けっして、ビジネスに徹し切れはしない。
それに彼らはカートの悲劇を見てしまっている。
「亀のようにゆっくりと歩きたいんだ」
と、いう、ブランドンのコメントからも察せられるように、
(決して死なないぞ)
という強い決意表明を感じるアルバムである。生き残ることを考え、将来の為にあらゆる可能性を貯蓄したアルバム。と言う感じである。
ただし・・・それは本当にrockのためになることであろうか、OK!とは簡単にいえない。
特に、最近、ライフハウスだとか、ストロークス、などのように”恐れを知らない世代”がドンドン進出している以上、incubusの恐怖がはたして、今でも有効なのか?
疑問である。

カートはなぜ死んだのか?
ニルバーナと並び称されたパールジャムですらもあのショックからは抜け出せていない。
あの、疑問が解けない限り、彼らの恐怖もとけない、という事はわかっているのだが・…
1度、思いっきり飛び出して欲しい。
まだ、若いつもりで居るミーやんの願いである。