東京・千葉を拠点に活動する「Marquee Marblish
BAND」。 (マーキー・マーブリッシュ・バンド。略してマーマーバンド) そのダイナミックなハーモニーと、チトゆるい愉快な会話に彩られたステージは、老若男女オーディエンスを選ばない。 |
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MEMBER | |||
■豪 宙太 / 歌と打楽器など | ■チャオ / 歌とギターなど | ■一郎 / 歌とギターなど | ■クリスタル・ささキング / ベース&コーラス |
あの宮崎駿映画「平成たぬき合戦・ぽんぽこ」のサウンドトラックにも参加。ドラムよりも竹をたくさん叩いたらしい。元・ハードロックドラマーから華麗なる転身を果たし、多くのジャズセッションなどを経て、最近では変なモノばかり叩いたり吹いたりしている。現在「ケミストリー」のサポートバンドで活躍している後藤まさると共に、斬新なパーカッション・トリオ『そいんじゃ』で活動。全国でライブを展開している。ミュージカルスター「泉見洋平」の2002年発売のCD「ジェラシー」では作曲及びプロデュースも担当。「Z-COMPANY」の契約社員でもある。 |
謎の企画バンド等に多数参加。フレディー・マーキュリーやプレスリーになった過去あり。役者として芝居にも出演、自称「夫にしたい男・ナンバーワン」(根拠は不明)。『さんまのまんま』(フジテレビ)のエンディングテーマとして流れていた「YOZORA」の作曲&ギターを担当し、さらに、お笑い芸人と親交を深めつつ、その方面の独占市場を形成するために日夜、暗躍している。マーマーバンドも所属している「Z-COMPANY」の社長も兼任、職務の合間を縫って、新曲の作詞等に精を出している。 |
小野正利や山本耕二のサポートバンドに参加。その後、「二木ゴルフ」や「りぼん」のCM音楽制作。その後、 TOKIOや 椎名へきるに 楽曲提供。その後、NHKの子供向け番組 「むしまるQ」に歌手として参加。その後、カルメンマキ&OZのリミックスや 上々颱風のアルバムにレコーディングエンジニアとして参加。その後、「さんまのからくりTV」「カウントダウンTVネオ」等のテーマ音楽(by TYO)のサウンドプロデュース。器用貧乏の日本代表に選ばれる事が決まっている。「Z-COMPANY」に派遣社員として送り込まれ、録音機材のツマミを回したり、屁理屈をこねたりしている。 |
まだまだ謎が多いが、AB型である事とサンフランシスコ在住だったという事だけは明らかになっている。2008年末正式メンバーに昇格! |
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サポートメンバー | |||
■壱岐 均 / ベース | |||
知る人ぞ知る、元メンバー(マグマ中西)と、以前は一緒のメンバーだった(最近、また一緒に始めたらしい)京都出身のイキ親分。 |
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ABOUT MMB | |||
1992年1月、一郎と豊はデュオグループ「Pierce」(パイオニアLDC)でデビュー。その後解散し、二人はそれぞれ作曲業やサポートミュージシャンとして活動する。 1993年、チャオと豪はアコースティックユニット「プノンペン合唱隊」を結成、ライブ活動を開始する。そこに一郎と豊の二人が加わる形で1994年3月「CIAO」が結成される。コンセプトはズバリ「全員がリードヴォーカルである事」。 それからおよそ2年の間で、a-datを持ってスタジオとメンバーの自宅を往復しながら50曲ものオリジナルを録音。さらに70回以上のライブを都内近郊でこなす。アコースティック・ロック・サウンドを基本に置いたそのステージは、斬新な楽器の使用法や強力なコーラスハーモニー、果ては寸劇にコント、自作の映画風ビデオまで駆使したエンターテイメント・ショーに発展し、「愛と涙のチャオ劇場」と呼ばれるようになる。「ライブハウスで見るロックバンドはこんな感じ」という概念を壊し徹底的に楽しませつつ、本音のコトバを大切にした暖かなメッセージで着実にファンを増やしていった。 1996年6月、インディーズながら全国発売のファーストアルバム「CIAO」を発表。東京、大阪などでプロモーション・ライブを行ない、恵比寿ギルティでは初のワンマン・コンサートを決行、満員御礼となる。 その翌年、ミコトが加入。5人目の優れたソングライターとヴォーカリストを同時に得たCIAOは「アミューズメント・ミュージック」をキーワードにした曲作りを再開。同時に、ドタバタ・ラジオショー形式の自作CD「ハナマル二郎のズキズキ・ズッキーニ」を発売。ファンの間だけでなく、業界人にも話題になる。 1998年、バンド名を「Marquee Marblish BAND」(略してマーマーバンド)に改める。そして9月、バンダイ・ミュージック・エンターテインメントより、ネットRPGゲーム「仙術超攻殻オリオン」テーマソングの『言葉のない町』を含む「Marblish !」でメジャーデビュー。半年間で3度のツアーなど、精力的にライブを行ったが、加入から1年でミコトが脱退する事になってしまう。 替わって1999年より加入したのが京都で活動していた熱血シンガー、マグマ中西。その明るいキャラクターは、バンドに新たなファンをもたらした。また、彼を交えた5人で、お楽しみ作品第二弾「トロピカル親子の『長屋でトワイライト!』」を制作。続いて、DJ鈴木しょう治プロデュースによるバンド始まって以来のダンスチューン「花・太陽・雨」(70年代の和製スーパーグループ「P・Y・G」>のデビュー曲のカバー)をレコーディング。クラブイベントにも出演するなど、新機軸も常に模索し続けた。 その一方で、突然ストリート・パフォーマンスを定期化させ、ファンを喜ばせたが、メンバーは「もっと確信を持って人前に立ちたい」と考え始め、8月を最後にライブ活動を一旦停止する決定をした。また、マグマ中西はバンドを去る事に。 そして、ライブ活動停止からほぼ1年が過ぎ、構想も新たにマーマーバンドは動き始めた。チャオ、豪宙太、一郎の3人で新曲をレコーディング、都内でのライブも再開する。 |
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