1 1998年12月31日

 

1−2 富山入りのプロローグ

 

前日のON AIR WESTの興奮覚めやらぬうちに,朝一便の飛行機にて富山に行くこととなった。ライブの後、渋谷で1晩明かし、早朝の電車に揺られ、羽田空港へ。空港につくと、不安に陥れるアナウンスが流れたのだ。「お客様にお知らせいたします。富山便は本日視界不良のため,小松空港に着陸もしくは東京国際空港に引き返す場合もございます。」というアナウンス。「果たして大丈夫なのだろうか」という思いを胸に,飛行機に乗り込み富山へと向かった。飛行機は着陸時に大変揺れたが,何とか無事に,8:00頃,富山に降り立つことが出来た。

ホテルのチェックインまでには時間がだいぶある。ひとまず、荷物を預け、ご飯を食べ、買い物をし、ボウリングもし時間をつぶした。ホテルにチェックインをし、集合時間まで、疲れた体を休めた。

 

1−2 カウントダウンライブ at kens hall

 

〜「迷う夢」のJAZZ Ver.あり、和太鼓登場、トランペットを吹き出す光田氏友井氏の熱唱、友井音楽事務所メンバー出演のごちゃまぜライブ!〜

 

<曲目>書きたいところであるが、正確に記せないので、あえて省略。記憶に正しいものは、「迷う夢」、

CUTE(光田氏ピアニカ)」、「Change the world」、「兄弟船(歌:友井氏)」、「一月一日(カウントダウン時に全員で)」、「A HAPPY NEW YEAR」等々。多数の、JAZZ Number有り。

 

集合時間になりホテルのロビーに参加者が集まった。エレベーターを降りると、偶然にも光田氏に遭遇し、「こんにちは」(後に思えば、“こんばんは”の時間だった)と挨拶を交わした。後に、カウントダウンライブで知ることとなったが、どうやらこの時光田氏は、富山に着いたばかりだったらしい。参加者全員がそろったところで、前回同様、本ツアー責任者の友井音楽事務所の茂泉氏(ある時はピアニストまたある時は添乗員…)が点呼と説明を行った。一通りのことが終わり、今年の初雪がちらつく中、われわれ一行はホテルから歩いて数分のところにある、kens hallへ向かった。会場に着くと、入場する順番を決めるための抽選が行われた。光田氏が、到着したばかりであったので、数曲のリハーサルを行っているため、そのリハーサルが終わるのをしばらく外で待っていた。待っている最中は、外へ漏れる音を聞きながら参加者たちと話をしていた。リハーサルが終わり先ほどの抽選の順に会場に入った。

 

友井氏がステージに登場し、カウントダウンライブの幕をあけた。友井氏は「今回は、ごちゃまぜライブだ!」と言い、何でも有りのライブだ!ということを匂わせた。友井氏が光田氏の紹介をし、光田氏は客席の後ろから、大きな荷物を抱えて登場した。ステージに登場すると、その袋に入った大きな荷物を袋からだし、友井氏に「kens hall開設おめでとう!」と言い、持参してきた荷物をプレゼントした。この品は、友井氏の好きな飛行機が描かれた額に入った絵だった。これに友井氏は喜び、「ありがとう。俺、飛行機好きなんだ。なんもくれないかと思ってたよ。」と応えた。しばらくの間、2人は、光田氏は予定よりだいぶ遅れて、ついさっき着いたばかりでリハーサルも2曲ほどしかやっていないなどの話をしていた。

 

ライブの1曲目は、「迷う夢」のJAZZ Versionだった。この曲は、友井氏もよく演奏していたらしく、2人のピアノで奏でられた。いつも聴いている「迷う夢」とは全く違う曲の様で、とても新鮮に感じた。この後、光田氏はピアニカを持ち出し、ドラムの池畑氏(友井音楽事務所)、ベースの武田氏(字がこれで良いかは不明)が登場し、「CUTE」が演奏された。前回も感じたことであるが、ピアニカはいい味を出すなと思った。この後、なんと和太鼓が登場し、「キャラバン」が演奏された。まさに和とJAZZの融合という感じがし、十分に聴き応えがあった。特に、ドラムと和太鼓の掛け合いが印象的で、めったに聴くことの出来ないものを聴いたと思っている。また、この曲はリハーサルなしで行ったぶっつけ本番の曲とのことだった(ほとんどの曲がぶっつけ本番であるが)。和太鼓を片付け、光田氏ボーカルで「Change the world」が演奏された。前回の富山ツアーで、友井氏がピアニカを演奏していたことを思い出した。その後、「外雄の時間」と題された、池畑氏のコーナーが繰り広げられた。このコーナー、なんと友井氏も、本番まで何をするかを知らなかったとのこと。友井氏は始まる前に、「3分で終わらせろよ!」と池畑氏に言っていたが、結局のところ30分ぐらいやっていたかと思う。では、どのようなコーナーであったのか、簡単に説明しよう。「Smoke on the water」を、幼稚園生小学生中学生さわやかサラリーマンの20歳嫁とうまくいっていない40歳元気な80歳。でも入れ歯なしいつ心臓の発作がおきるかわからない100歳おかまホモ恋人にふられたばかり(ほかに男が出来た)で演奏するといったものだった。池畑氏は、それぞれのバージョンで行う前に、色々と説明をし、それに応じて、友井氏と光田氏が演奏した。これをはじめる前に友井氏は、「Smoke on the waterって、ギターソロからじゃないか?ギター居ないじゃないか!」と池畑氏に言っていたが、池畑氏は「それがいいんですよ!」と答え、幼稚園生編から順に演奏していった。途中(たしかホモの時だったと思うが)、池畑氏が光田氏にふると、友井氏は「健ちゃんにふるのはやめろよ!」と言っていた。印象に残っているのは、サラリーマンである。さわやかさを演出し、怖いくらいに笑顔を振り撒きながら演奏する彼らの姿に、「なんだかな〜」と思ってしまった。池畑氏以外、この内容を知らなかったものの、息の合った演奏(いや、なりきり演技か?)に会場からは笑いがこぼれた。このコーナーが終わった直後に友井氏は、「こんなこと知っていたら、やらないよ。」と言っていた。「外雄の時間」が終わると、タイトルを忘れたが、今までの雰囲気を一転するかのように、1曲演奏された。この後、客席が前後で入れ替わった。

 

席替え後は、向井氏が光田氏の一番弟子と紹介され、ステージに登場した。今回向井氏はエレキドラムを担当した。また、友井音楽事務所のメンバーも続々と登場し、ごちゃまぜライブへと突入した。とても嬉しかったのは、友井音楽事務所の門嶋氏の歌を聴けたことと、茂泉氏のピアノが聴けたことである。前回のツアーでもお世話になった2人の歌や演奏を前からぜひ一度聴きたいと思っていたので、今回聴くことが出来、大変嬉しかった。門嶋氏は、「hero」を熱唱した。いつもの話し声とのギャップがあり驚いた。また、他にも東京でもライブをやっているという、同じく友井音楽事務所の、古里氏の歌も聴いた。タイトルを忘れてしまったが、MCも光田氏が聞き惚れるというくらい上手く、とてもいい声で上手くて聴き入ってしまった。古里氏の歌が終わると、あと数分で新年を迎えるという時間になった。ここで、ステージに友井音楽事務所、ジェントルハーツメンバーが勢揃いし、カウントダウンのリハーサルを行った。カウントを数え、新年になったら「一月一日」を全員で歌うというものだった。簡単に、リハーサルを済ませ、いよいよ1999年の突入となった。NTTの時報に合わせたという時計に合わせ、カウントを取り、「あけましておめでとう!」と全員で言い、「一月一日」を歌った。ステージにいる友井氏や光田氏は、口をそろえて「嬉しい!」と言い、客席からも「うれしい!」と声が上がっていた。この後、勢いのついた友井氏は、「兄弟船」を熱唱した。友井氏の歌を聴くことが出来たのは、今回の大きな収穫である。

 

友井氏の熱唱が終わると、友井氏は司会進行役に一時変わり、ステージに茂泉氏を呼んだ。先ほど述べたが、ここで兼ねてから聴いてみたかった茂泉氏のピアノを聴くことになった。演奏曲目は、茂泉氏がとても好きな、「空が好だった君に」だった。これは、茂泉氏の伴奏で光田氏が歌うというものだった。茂泉氏は、以前から「光田氏と一緒にやりたい!」と思っていたらしく、この日初めて実現した。茂泉氏のピアノは、光田氏とはまた違い、とても良い雰囲気を出しており、「女性が演奏するとこうなるのか」と思った。

 

「空が好きだった君に」が終わると最優秀サックスプレイヤー賞を取った本職は教師の、岡本氏とピアノも弾ける(光田氏は上手いんだよと言っていた)船崎氏(字があっているかどうかは不明)、和太鼓の前野氏も加わり、何曲か演奏された。ここでは、めったに見られない光景を目にしたのである。なんと、光田氏が突然トランペットを吹き出したのだ。前野氏が、トランペットを置き、ピアノを演奏している時に光田氏は、楽器を借り(曲の途中で前野氏に耳打ちし、トランペットを借りていた)、吹き出した。これには、誰もが驚いたことと思う。また、ここでの模様は、全くリハーサルをしていないんだなという光景をよく目にした。光田氏が岡本氏に「この音でいいですか?」などと訊いていたのである。この光景を見た時は、「本当にぶっつけ本番なんだな。でも、きちんとまとまってしまうところがすごいよな。」と思った。

 

最後には、「A HAPPY NEW YEAR 」が演奏された。初めて、1月1日に演奏したというこの曲を光田氏は、弾き語りで披露したのであった。

 

ライブが終わると、初詣の説明が行われた。初詣の場所は、ライブの途中で友井氏が、2つの場所をあげ、客席の拍手の多さで場所を決めた。候補に挙がっていたのは、徒歩7分くらいの人がたくさん来る「日枝(字はこれで良いのだろうか)神社」と、徒歩15分ほどのさびれた「愛宕(字はこれで良いのだろうか)神社」だった。多数決により決まった先は、後者のほうだった。このライブが終わったのは、25:30頃だったかと思う。そして、われわれ一行は、ホールを後にし初詣に向かったのである。

 

 

1−2 みんなで歩こう初詣

 

自由参加である企画ではあったが、結局全員が参加したのではないかと思われる。雪は降ったりやんだりしていたが、外の寒さも何のそのという感じで、一行は神社まで向かった。人数的にも多かったので、傍から見たら「何の集団?」と奇妙に映ったに違いないと思う。神社までの道のりでは、参加者やスタッフの方たちと話をしていたので、15分ほどと言っていた道のりも、遠く感じなかった。

 

神社に辿りつくと、友井氏と光田氏を先頭にし、順にお賽銭箱の前に立ち、お参りをした。友井氏がお賽銭箱にお金を入れる際に、確か茂泉氏が言ったかと思うが、「社長!3万円!!」と友井氏に、高額お賽銭を促していた。それに対し友井氏は財布の中身を確認し、1万円札を取りだし、お賽銭箱に投込んだ。これには、「お〜!さすが!!」と思った。各自、お参りを済ませ、しばらく神社で時を過ごした。おみくじ引く人あり、歓談する人ありと様々な形態を取っていたかと思う。その間、友井氏と光田氏はおみくじの前に立ち、おみくじ購入者を見守っていた(かどうかは分からない…)。全員が参拝を済ませ、神社を後にする前に、記念撮影を行った。今回は人数が多いため、パスポート(ツアー参加者に発行されるもの)番号の順番で人数を区切り、撮影を行った。

 

神社を後にし、一行はホテルへと向かった。ホテルに向かう途中、雪国ならではの光景を目にした。それは、雪を溶かすために、

道路や歩道部に埋め込まれたスプリンクラーである。この様な設備があることは、知っていたが、実際に作動しているのを初めて見た。暗かったせいもあり、何度か足元をぬらしてしまった(スプリンクラーから出る湯は、ひざくらいの高さくらいまで上がる)。一行は27:00頃、ホテルに辿りつき、各自部屋へと戻り、床に着いた(はずである)。

 

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12日&感想