2. 1999年1月1日 2−1 新年挨拶 at ホテル2階チャペル 富山第一ホテル宿泊者は、10:30にチャペルに集合した。ここでは、友井氏と光田氏の新年挨拶が行われるはずだった。“行われるはず”とあえて述べたのは、挨拶というよりも、大爆笑トークを繰り広げていたからである。確かに挨拶もしていたが、ほとんど2人のトークショー状態だった。 友井氏が定刻より少し遅れてチャペルに登場した。もうほとんど寝起き状態の友井氏の瞼は、とても重そうで、髪の毛も乱れていた。どうやら、5分前に友井氏は起きたということだった。それに対し、光田氏は定刻通りにチャペルにつき、睡眠時間の短さはいつもと一緒といわんばかりの顔つきで、見た目には、眠たそうな感じは受けなかった。 2人は、通常結婚式では神父さんが立つ壇上に立ち、爆笑トークを繰り広げた。話の内容は、はっきり覚えていないが、「みんな眠れた?何時間寝た?」というような会話から入り、「立山連峰はとても美しい。」と光田氏が言うと、「立山連峰はこの辺の学校じゃ登山するんだよ。遠足とかじゃなくて、登山という名目なんだよ。」と友井氏が答え、そこから話が派生し、「なんで山には、男とか女とかという文字を使うんだろうね。ほら男体山とかさ。そういえば、男体山ってどこにあったっけ?」と光田氏が言い、客席(通常結婚式では参列者が座るところ)に訊いてみたりと、色々な話を繰り広げていた。ちなみに、友井氏は男体山の存在を知らなかった。余談であるが、男体山は、日光にある山である。このようなトークは、30分程続き、最後に全員で記念撮影を行い、一行はボウリング大会の会場へと向かった。 2−2 ボウリング大会 at トヤマゴールデンボール ボウリング大会は、ホテルから歩いて15分ほどの、トヤマゴールデンボールで行われた。チームはあらかじめ決められており、グループで参加申し込みをした人は、そのグループで、1人申込者は、その人達でまとまるようになっており、各チーム4人制で、所々に友井音楽事務所のメンバーが加わっていた。チーム数は17あり、2ゲーム制で優勝チームを決めるといったものだった。なお、友井氏と光田氏はお助けマンとして、各チームを順に回った。前回のツアーの時に、光田氏が「どのチームにも属さないでいろんなチームに行って、引っ掻き回すのも面白いよね。」と言っていたので、今回はそのようなスタイルを取ったと考えられる。 ゲームは定刻通りにスタートし、各チーム、それぞれ盛り上がっていたかと思う。特に、友井氏や光田氏がお助けマンとして登場すると、その盛り上がりも大きくなり、スコアを伸ばしてもらおう!という思いで、両者にお願いした。結局のところ、1番大変だったのはお助けマンの2人だと思う。 全チーム2ゲーム終了したところで、お助けマン2人のボウリング対決となった。この対決は、大変見ごたえのあるものだった。始まる前に、「¥5,000を賭けよう!」という話になり、両者とも力をこめて、戦っていた。友井氏は、絶好調で、スペアやストライクを立て続けに出し、場内からは大きな歓声が上がっていた。光田氏はといえば、「惜しい!!」という場面が何度かあり、ハイスコアを出しつづける友井氏の得点には追いつかなかった。結局、絶好調の友井氏が勝利を収めた。それに納得いかない(自分に納得いかなかったのだと思うが)光田氏は、「もう1ゲーム!」と友井氏に、土下座までしてお願いをしていたが、時間の関係上、この1ゲームで戦いは終了となった。さて、“賭けていた¥5,000はどうなったのか!”というと、光田氏が友井氏に差し出したのは、小銭だったような気がする。お札の姿は見えなかった。この後、友井氏の手に光田氏から¥5,000が渡ったのかどうかは定かではない。 2人の対決が終わり、結果発表へと移った。1〜3位のチーム、個人賞、ピッタシ賞獲得者が表彰され、賞品が授与された。チーム賞や個人賞の賞品は分からないが、ピッタシ賞は、友井氏、光田氏をはじめ友井音楽事務所、向井氏のサインが書かれた小さな色紙とレターセットだった。 2−3 新年お食事会 16:00から、宿泊先のホテル宴会場にて、立食パーティー形式で、新年お食事会が行われた。光田氏が、乾杯の音頭をとり、会が催された。ここでは、各自思い思いに、おいしい食事を取りながら、歓談をするというスタイルで、それぞれのテーブルで盛り上がっていた様である。友井氏や、光田氏はしばらく食事をし、ある程度落ち着いたところで、各テーブルを回って行った。はっきり言って、各自自由に楽しみながら食事をするというものなので、雰囲気としては、本当に普通の立食パーティーと同じだった。スタッフの方々とも楽しく会話をし、友井氏や光田氏とも楽しく歓談をし、気軽にみんなで楽しめ、大変楽しい食事会だった。特に私の居たテーブルでは、光田氏が来ても写真などほとんど撮らず(というよりも、写真を撮るという発想まで行かなかった)、大爆笑をしながら話をしていた。光田氏が来る前に、G*Hの伊部氏と大爆笑トークを繰り広げていたので、その流れのままで、光田氏とも会話をしていた。光田氏が次のテーブルに移動した後、写真もほとんど撮ってないということや、サインももらわなかったことにふと気づいた我々だった(隣のテーブルで写真や、サインをしてもらっているのを見てふと気づいた)。 こうして、楽しい食事会を終え、残すところ、この後行われる新年会のみとなった。 2−4 大新年会 at ken’s hall 〜涙あり笑いあり、真面目でおふざけ場面、一体どうなって行くんだ〜!!の誰もが想像していなかった長時間企画〜 今回の富山企画も、これでとうとう最後の企画となった。一体新年会とは何をするのか?という思いで挑んだ。会場に入ると、名前ビンゴの用紙が手渡された。この用紙に自分の名前を書き、名前でビンゴを行うというものだった。会場に参加者がそろい、友井氏と光田氏がステージに登場し、「かんぱ〜い!!」の声で、誰もが想像していなかった長時間大新年会の幕を開けた。進行役は、茂泉氏であったが、これも後半は、友井氏と光田氏に引っ掻き回され(失礼)、いや進行役をバトンタッチし、大爆笑で流れの全く分からない会へと進んで行った。その内容は、この後順に紹介して行く。 (1) さあ!誰がMC役を勝ち取るか!の「名前ビンゴ大会」に、けが人続出?壮絶な「大カルタ大会」 新年会の最初の催し物は、ゲーム大会だった。 ゲーム第1弾は、「名前ビンゴ大会」だった。始まる前に、友井氏だったか光田氏だったか忘れたが、「名前の文字数少ない人の方が有利じゃん。」と言っていた。このゲームには、友井氏も光田氏も参加した。茂泉氏が、友井氏から文字カードを引き、その出た文字の欄を空けていくと言うものである。ゲームがスタートすると、「マンボウ」の曲が光田氏により奏でられ、客席(参加者)は声をそろえて「ウ〜マンボウ!」と言うと、カードが引かれるというスタイルだった。特にこうしようと決めていたものではなかったが、自然とこのような流れになった。最初のうちは、引かれた文字カードを読み上げるだけだったが、そのうち、その文字が頭に来るタイトルの曲を弾けばいいんだと言うことになり、茂泉氏は引いたカードをこっそり光田氏に見せ、光田氏は「何があるかな〜」と考えながら、イントロを弾き、文字を読み上げた。なかなか、ビンゴになる人が出ず、1人目がでるまで、少し時間がかかったかと思う。 さて、今回ビンゴになった人の特典とは一体何かと言うならば、ステージに上がってMC役を務めるといっためったに出来ないことだった。ビンゴになった人は、ステージに上がりしばらく、友井氏や光田氏と会話をし、次の文字カードを引くという役を務める。ただし、MC役なのでただカードを引くだけではいけない。「ミュージックスタート!」などの掛け声も必要で、これが上手くいかないと、「だめだめ。やり直し。」と友井氏から突っ込みが入り、アドバイスを受け、再度チャレンジをする。そして、文字カードを引いてからは、そのカードのタイトルに合った曲を、光田氏の伴奏にて歌うということも務めなければならなかった。そして、この役を務めた人は、ステージ上で記念撮影を行い、友井氏と光田氏からサインをもらった。このようにステージで一緒に何かをするということは、めったに出来ないことなので、いい企画だと思った。また、結構盛り上がっていたかと思う。 ゲーム大会第2弾は、「手作りカルタ大会」だった。このゲームが始まる前に、前のほうのいすを後ろへ移動し、ござを床の上に敷き、会場の準備をした。参加者が一度に参加することは不可能なので、パスポートの番号順に人数を区切り、何度かに分けて開催された。カルタの内容は全て、手作りで、スタッフの方々が一生懸命に内容を考え、手書きでカードを作成したものだった。カードの内容は、「うますぎます。くやしいけれど健ちゃんのピアノ」というようなものだった。カルタ大会は立った状態で行われ、結構激しい奪い合いが見られた。各チームごと最高枚数獲得者が後に、友井氏、光田氏と3ショット写真を撮るというものだった。 ゲーム大会は、合わせて1時間強行っていたかと思われる。 (2) ゲームとクイズの合間に〜友井・光田両氏によるトーク〜 ゲーム大会が終わると、先ほど敷いたござをそのままにし、各自席に着き、2人のトークを聞いた。ここでは、結構真面目な話をしていたかと思う。2人の出会いや、お互いに対する思い、初めて会った時の印象などを話していた。また、光田氏は、ジェントルハーツミュージックオフィスの代表取締役社長だということも話していた。「ライブなどであたかも社長は別に居るように見えるかもしれないが、あれはもう1人の自分なんだ。」と話していた。ここでのトークは30分ぐらいあったかと思う。最初は、両者ともいすに腰掛けて話をしていたが、途中でステージに腰掛けて話をしていて、内容的にも普段は垣間見ることの出来ないようなことを話していた。また、この後に行われる、カルトクイズ大会のヒントもちりばめられていた。 (3) カルトクイズ大会 さて、2人のトークが終わったところで、「カルトクイズ大会」が行われた。茂泉氏が2人に関する問題を出し、客席が回答するというものである。回答者は、挙手方式ではなく、光田氏がエイリアンの人形を投げ、それを受け取った人が答えるというものだった。問題としては、「GENTLE HEARTSというバンドを組む前のバンド名は?」、「友井・光田両氏はドラえもんが好きであるが、そこに登場するしずかちゃんの名字は?」、「友井氏のお母さんの職業は?」といったようなもので、二者択一もしくはズバリ回答というものだった。それぞれの質問に対して、詳しいエピソードなどを交えて話をしていた。 途中、投げたエイリアンが、お酒にあたり、床にこぼしてしまうというハプニング(光田氏は「仕事増やしてごめん」と言っていた)もあり、その後はエイリアンを投げずに、参加者リスト表(だと思う)を用い、「上から何番目」という方法に切り替え、クイズは進んで行った。 クイズが終わると、席替えがあり、前と後ろが入れ替わった。 (4) 古里氏と門嶋氏が愛情込めて作った、友井家のお雑煮を食べるまで…流れのつかめない時間への突入! 席の入れ替えの頃、スタッフの方がお雑煮の準備に取りかかり出した。お雑煮が出来あがるまでに、時間もあるので、色々な話をしたり、その場で友井氏が詞を作り、光田氏が曲を作るといった光景も見られた。 少しばかり記憶があやふやであるが、確か、光田氏が、「夜空ノムコウ」を突然歌い出したかと思う。その後、友井氏は一生懸命練習したという、「僕はピアノが好きなんだ」を歌った。それから、友井氏が作詞をし、光田氏がそれに曲を付けるという流れになり、友井氏は「秋っぽい感じになるけど…」と言い、作詞作業に取り掛かった。その間、光田氏は「みんなの歌の時間です」と言い、みんなの歌シリーズを歌おうと思ったらしいが、思っていた以上に客席からリクエストが出ず、「ガッチャマン」というリクエストから、「ムーミン」などのアニメソングを歌った。途中で、友井氏も歌に参加していた。10分ほどで詞が出来あがり、光田氏はそれを見て、「アニキ。真面目な詞じゃん。おち無いじゃん。」と言い、数分で曲を作った。その間友井氏は詞の内容を説明しており、それが終わる頃に、光田氏はピアノを弾き、歌い出した。とても、良い曲でPOPSと演歌の融合というような表現が合うだろうか。光田氏は、「出来る範囲でPOPSにしてみたよ。でも最後は出来なかったな…。でも、自然だったでしょ?だけど、2度と出来ないね。覚えてないもん。次弾いたら絶対違う曲だよ。」と言い、いきなり演歌のフレーズで冒頭を歌った。友井氏の詞の内容は演歌っぽいもので、最後は「それが男の道なんだ」というものだった。その後、友井氏のピアノをバックに光田氏が詩を朗読し、演歌バージョンで再披露してくれた。私は、演歌の方がインパクト強いなと思ってしまった。 お雑煮が出来るまで、時間もあるので、光田氏は「みんなに詞を書いてもらって、それに曲を付けよう。」と言っていたが、結局この企画はやらずに、友井氏がどうしてもやりたいと言っていた、さいころトークを行った。友井氏がさいころを投げ、それを受け取った客席が、好きな項目を光田氏に訊くというスタイルを取った。最初は、“初めてHした話”を客席は提示したが、友井氏は「健ちゃんのイメージがあるから。そういうのは俺に聞けよ!」と言い、“恋の話”に切り替わった。ここでは、「女は宇宙人だ。と言われたことがある。」という時の、恋の話をしていた。その間、友井氏は光田氏の話に合わせ、ピアノを弾いていた。この話の途中で、お雑煮が出来あがり、少しの間、茂泉氏が説明をした。お雑煮が振舞われる中、光田氏は話を続けていたが、なんだか途中で終わってしまったような気もする。それから、友井氏は高校時代の話をし、さびしい時期があった事などや、光田氏に出会う前の1番嬉しかった出来事などを話し、前日に引き続き、「兄弟船」を熱唱した。その後、友井・光田両氏はお雑煮を食べながら話をしていた。しばらくすると、「俺らばかりしゃべってるのもなんだから、みんなから質問を受けよう。何でも答えるよ。」と光田氏は言い、質問コーナーが始まった。光田氏は、「しかし、ステージで餅食べながら、お客さんと話すなんて普通無いよね。」と言いながら、質問に答えていた。当初、全員に訊くというものだったが結局、2人の質問で終わってしまった。 この後、年末の光田氏のライブでもあったアンケートを友井氏達にも答えてもらっていたようで、このアンケートを読み出した。友井氏の回答は、10大ニュース第1位は“税務署と仲良くなったこと”、最も悲しかったことは“愛人に恋人がいた”だった。その後、池畑氏のアンケートが読み上げられた。池畑氏の自慢できることでの回答が、“GSが歌える”というところから、誰もが予想もしていなかったと思われる、めったに見られない大爆笑光景へと進んで行った。 (5) 赤本・リクエスト大会!〜光田健一ワンマンショー!に、スタッフもお客さんもステージで歌う!感動的なラストも含め、もうどうにでもなってしまえ!の大爆笑で大いに盛り上がった最後のコーナー!〜 池畑氏が、アンケートで“GSが歌える”としたことから、始まったといっても過言ではないだろう。まずは、池畑氏が1曲披露し、光田氏が「じゃあ。北酒場歌う。」と言い出し、ここから、光田健一ワンマンショーが始まったのである。光田氏は赤本(歌謡曲集)片手に、次々と番号を言い、間髪入れずに次々と色々な曲を歌っていった。光田氏のリクエスト番号に合わせ、友井氏と池畑氏は演奏をして行った。途中光田氏は、「アニキに仕事させて済まんね。」と言っていたが、CだのGmだのFだのとキーの指定もし、楽しそうに熱唱していた。「こんなんでみんな楽しい?悪いけど僕はすっごく楽しいよ!」と、笑顔で光田氏は言っていた。客席も、めったに目に出来ない光景を目の当たりにして、「楽しい!」と光田氏の言葉に答えた。光田氏の選曲したものは、演歌をはじめ古い曲のオンパレードだった。また、客席のリクエストにも応じ、はっきり言って、何曲歌ったかは分からないほど、たくさん歌っていった。特に印象に残っているのは、「お富さん」やリクエストに応じた「傷だらけのローラ」である。前者は、イントロを聞いたとたん、「まさか。お富みさん…」と思ってしまった。この曲を歌うときには、「昔の曲はイントロが長いんですよ。こんな風にね…」と光田氏は言い、曲紹介をイントロで行っていた。あまりにも流暢に紹介をしているので、驚いてしまった。また、以前この曲を、超下ネタ系の替え歌で友人が歌っていたのを思い出し、個人的には受けてしまった。後者においては、西城秀樹ぶりの「♪ロ〜ラ…」を聴き、場内は大爆笑の渦となった。歌う曲数が増えて行くほど、大いに盛り上がり、はしゃいでいく光田氏はこのままどうなってしまうのだろうと思いもしたが、こんな光田氏を目にすることなどめったに出来ないという思いの方が強く、マイクスタンドを抱えて熱唱し、はじけていく光田氏を見ているのが非常に楽しかった。 また、友井氏もベースを弾くなど、いつもと違う場面を見せた。途中、「あついな。」といって、上半身裸になった友井氏の姿も良かった。後半は、友井氏はずっとベースを弾き、光田氏はピアノを弾き、友井音楽事務所のメンバーやジェントルハーツミュージックオフィスの伊部氏も歌い出し、全く流れのつかめない状況になっていった。伊部氏は、「セーラー服と機関銃」を、薬師丸ひろ子の真似をしつつ歌い、場内を笑いの渦に巻き込んだ。茂泉氏と門嶋氏はコンビを組んで数曲熱唱。古里氏は「伊勢佐木町ブルース」を、とても妖艶に歌い上げていた。お客さんのほうも、全員ではなく挙手制であったが、デュエットに参加したり、歌いたい曲をリクエストし友井氏、光田氏、池畑氏の伴奏で歌うということもでき、大変貴重な体験も出来た。 途中で光田氏が、「3時(勿論深夜)にはここをでよう。」と言っていたので、その時間が近づくと光田氏は、「A HAPPY NEW YEAR」のイントロを弾いた。この時点で、「光田氏が最後に歌うんだろうな。」と思っていたが、イントロの途中で、「みんなで歌ってね。」と言い、客席はそれに応じ、参加者全員で声をそろえてフルコーラス歌った。その時の光田氏は、みんなをやさしく見守るようなまなざしで客席を見ており、とても幸せそうな顔をしていたように感じた。このときの表情は、とても印象的である。とても暖かい雰囲気の中、光田氏の伴奏でこの歌を歌えたのは、今回のツアーの中でも印象に残る場面だった。 全員での歌が終わると、宴も最後となり、友井氏・光田氏の最後の挨拶があり、想像もしていなかった長時間(7時間くらい)の大爆笑で感動の大忘年会に幕を閉じた。 |