そんな生活が、3ヶ月も続いただろうか。僕はあることに気付いた。 もうすぐ夏休みだ。 彼女はどう見ても学生だ。登校のためにこの電車に乗っているのだろう。 夏休みになったら、いくら規則正しい彼女でも、この電車に乗ることはないだろう。 そうしたら、彼女に会えない。彼女の顔を見ることなしに、一夏過ごすなんて、 今の僕には考えられない。これは、どうしても夏休みの前に彼女に声を かけなくてはいけない、と思った。でも、3ヶ月もの間彼女の顔を見ているだけで 満足していた僕が、彼女に声をかけるなんてバンジージャンプより勇気がいることだ。 しかも、電車の中で見知らぬ男に声をかけられることを、彼女がどう受け止めるかを 考えると、とてもじゃないけど、告白なんて出来そうにない。僕は、ジレンマに陥っていた。 だけど、とにかく前進しないことには話にならない。僕は、思い切って彼女の隣に 立ってみることにした。いつもは背中越しに、ちらっと見るだけで満足していた 彼女の顔が、今日はすぐ隣にある。それだけで僕は顔が赤くなるのを感じた。 彼女は、そんな僕の様子に気付くこともなく、一心不乱に本を読んでいた。 今日の本は、少しシリアスな内容らしく、彼女の目はいつになく真剣だった。 初めて近くで見た彼女の睫が、やわらかそうに行を追う様子に、僕は見とれていた。 その時だった。 彼女の大きな目から、一粒、涙がこぼれたのだ。僕は思わず、 「あっ…。」 と声を出してしまった。その声に彼女は、この3ヶ月できっと初めて、 僕の顔をまじまじと見た。彼女に見つめられて、引っ込みのつかなくなった僕は、 意を決してこう言った。 「どうしたんですか?」 彼女は、ちょっとはにかんで、小さな声で答えた。 「この本… 読んでて…感動しちゃって…。」 予想していたよりちょっと高い、可愛い声だった。僕は慌ててポケットを探ると、 母親が偶然にも持たせてくれたハンカチを差し出した。 「これ、使って。」 彼女は少し驚いたようだったが、すぐに微笑むと、 「ありがとう。」 と言って、ハンカチを受け取ってくれた。乾きかけていた涙を、そっと押さえると彼女は、 「これ、洗って返しますから、名前、教えてくれますか?」 と言った。 |