でも彼は、今日偶然にあの車両に乗ったのだろう。県立高校の生徒なら、

便利な前の方の車両に乗るに違いない。明日からは、また本に熱中する日々が

続くんだろうな、と私はすぐに冷めた考えに笑いを閉じ込めてしまった。



しかし、予想に反して、彼は次の日も同じ車両に乗ってきた。

次の日も、その次の日も。

しかも決まって、私のいる右側の奥まで移動してくるのだ。

どうして?彼にとってこの車両に乗ってくるメリットなんて何もないはずだ。

それなのに、どうして?



考えれば考えるほど、自分に都合のいい考えになってくるような気がして、

私は、出来る限り彼のことを見ないように、本に集中しようと心がけた。

私には関係のない人、私には本の世界しかない、そう言い聞かせるように、

前にも増して読むスピードを早めた。



うわついた考えを呼び起こす恋愛小説はやめて、シリアスな社会派小説や、

感動の名作を選んだ。だけど、まるで背中が目になったみたいに、私はいつも

彼のことを気にしていた。たった一駅の間だけ、私は彼に夢中になっていた。



彼に出会ってしまって、本に集中できなくなった私は、周りの状況が少しずつ見え始めた。

嫌いでたまらなかった女子校の生活も、楽しいことがあることに気付いた。

本にかじりつくのをやめた私に、声をかけてくれる友人も現れた。私は少しずつ、

元の明るい性格を取り戻しはじめた。



でも、電車の中では、私は本を手放すことが出来なかった。本を読むフリをして

視線を固定しておかないと落ち着いて電車に乗れなかったからだ。彼の存在は

私の中で少しずつ、少しずつ大きくなっていった。彼のことを知りたい、と思っても、

私に声をかける勇気があるはずもなく、相変わらず本に視線を落とし続ける日々が続いた。