そんな微妙なバランスは、あまり長続きしなかった。それが崩れたのは季節を二つ越えた、

3月のことだった。

 その日、学校から家に戻ると、僕はすぐに美弥の部屋を訪ねた。軽くノックをしてドアを

開けると、美弥の悲鳴が聞こえた。

「ちょっと!いきなり入ってこないでよ!着替え中よ!」

僕は慌ててドアを閉めると、ドア越しに謝った。

「ごめん、悪かったよ。まだ何も見てなかったから・・・。」

「普通、返事聞いてから開けるものでしょ?それに、まだって何よ。チャンスがあれば見ようと

思ってたわけ?」

「そんなんじゃないよ!わざとじゃないって、ほんとに!」

「・・・」

「美弥?許してくれよ、本当にわざとじゃないんだから!」

そういってドアを叩こうとした瞬間、突然ドアが開いて美弥が姿を現した。

「・・・入って。」

「ああ。」

ほっとして部屋に入ると、いつものようにベッドに腰かけた。

「今度からちゃんと返事聞いてから開けるからさ、今回は許してよ。」

「・・・」

「そんなに怒るなよ、謝ってるだろ?実際何も見えなかったし・・・。」

「・・・もう、部屋に来ないで。」

「えっ?」

「もう、こういう風に部屋に来ないで。私も行かないから。」

「ちょっと、着替え見られたくらいでそんなこと・・・」

「違うの。前から思ってたの。それが今日、はっきりした。」

「前からって?」

「私達、キスなんかして、恋人同士みたいだけど、実際のところどうなのかな、って。」

「違うって言うの?」

「私、友朗のことやっぱり家族みたいにしか思ってないみたい。」

「そんな・・・」

「さっき、着替え中に入ってこようとしたでしょ? 私、友朗になら見られても仕方ないな、って

思ってた。もし、異性として意識してる人、まして好きな人だったら絶対恥ずかしい、って思う

はずじゃない?でも、そうじゃなかった。やっぱり家族みたいにしか思ってないんだよ。」

「それは仕方ないじゃないか、家族みたいに育ってきたんだから。いきなり変えろっていっても

無理だろ。それより好きか嫌いかの方が重要じゃないのかよ、どう思ってるんだよ。」

「友朗のこと、好きだと思ってた。でもその好きが恋愛の好きかどうかは自信がない。」

「家族の好きだって言うのか?」

「・・・たぶん・・・」

僕は、頭を殴られたようなショックを感じていた。あの夏の日から、僕達は完全に恋人同士

だと思っていたのは自分だけだった、ということが信じられなかった。そして今、美弥が

僕に別れを告げようとしていることにも。僕の中で、何かがゴトリと音を立てた気がした。

「これでもかよ!」

僕は美弥を強引にベッドに押し倒した。片手で美弥の両腕を押さえると、空いた手を

ブラウスの襟にかけた。

「これでも家族だって言うのか?」

美弥の目にはみるみる涙が溜まっていった。か細い声で、美弥は言った。

「全然、ドキドキしないよ・・・」

美弥が目を閉じると、涙が二筋、ベッドに流れていった。まぶたはかすかに震えていた。

 美弥は抵抗する様子を見せなかった。このまま、美弥を抱いてしまうのは簡単だ。

だけど、そんな事をして僕は満足するのか、めちゃくちゃに美弥を傷つけて、それでいいのか。

どうにも、ならないじゃないか・・・。

僕は、押さえつけていた手を、ほどいた。

「・・・ごめん、帰るよ。」

押さえつけられた姿勢のままの美弥を残して、僕は部屋を出た。美弥の家族に気づかれない

ようにそっと玄関を出ると、逃げる様に自分の家に戻った。



 さっきの出来事が、夢みたいに思えた。夢だったらいいと思った。だけど、僕の手には

美弥を押さえつけた感触がはっきりと残っていたし、その夜、美弥の部屋に明かりがともる

ことはなかった。僕も美弥と同じように真っ暗な中、取りとめもないことを考えつづけていた。

普段、夕食の席には一番に付いている僕が部屋に閉じこもっていることを母親は気味悪がって

いたが、深く追求することはしなかった。放任主義の母親に、そのときは感謝した。

僕は、声を殺して泣いた。