〔第五回〕 フランス 南部へ
Page 5  To the south of France


1988年、8月27日(土) 深夜 イタリア領、ノバーラの北、数十キロの地点で野宿していた僕だったが、約3時間後にして、目がぱっちり覚めてしまった。明日の走行のためには眠っておかなければいけない。そういうもんだけど、色々な事が次から次へと思い浮かんできて、それ以上自分をだませなくなり、闇の中、ムクッと寝袋の中から起き上がった。 ルッツェルンからシンプロン峠を経てノバーラあたりまで来ただけでは走り足りなかったのか、体力を消耗しきっていない状態で休むのが退屈だったのか、そんなところかもしれない。 とにかく、すぐに走ることにしたのだ(笑)  誰一人とおらない、真夜中のカントリーロード。周りは田園地帯だ。その開放感から、このとき一度、ノーヘル走行を試してみた。が、80km/hぐらいで涙がちょちょ切れて、とてもこのままクルージングしていける状態とは思えなかったので、すぐにヘルメットをかぶった。 ノバーラからは高速道路があり、一路トリノへと向かう。ドイツでは「アウトバーン」と呼んでいた高速道路だけど、ここでは「アウトストラーダ」と呼ぶ。うん、イタリアに来た。って感じだね。だけどこの先僕はイタリアには向かわない。僕はフランス南部にあるモナコ方面を目指す予定をしていたのだ。そう、地中海に面したところだ。南の暖かい地方の海。もう、それを考えただけでワクワクする。それも、今、真夜中にもかかわらずバイクをウキウキ走らせている原因のひとつなんだろう。トリノを通った僕は日記にこう綴っている。「名古屋(最南部)の夜景に似ている。(当時の)千葉の検見川付近の雰囲気に似ている。」 そう、多分そこは工業地帯だったので、「どこか寂しい大都市だな」、という印象を受けたようだ。でも昼間走れば、また違った印象を受けたに違いない。

不思議な夜  − クネオ −

その後の出来事は、たったの3〜4時間のことかもしれないけど、まるで2〜3日間の出来事のように長く感じ、今でも忘れられない夜の思い出となっている。 ノバーラからトリノまで約100km。トリノでアウトストラーダを降りてからはまた田舎道で、クネオの町まで約100kmぐらいあったんだけど、これがなかなか、どれだけ走ってもたどり着けないのだ。気のせいかとは思うけど、人気のない真夜中の草原なだけに、すごく心細かった・・・。まずこの地方には街灯がまったく無い。道が本当に真っ暗。月あかりがあったからまだ良かったけど、家もない、人も居ない、真っ暗な道。そこを小さなバイクが、うなりを上げて走るその音だけしか聴こえないので、逆に妙に周りが気になって怖い。うしろを振り返っても何も無い、暗闇があるだけで。ライトが照らす目の前以外は、暗くてよくわからない。 だけど狭くはない。 広い。 とても広い草原(田園)が広がっているのだ。 遠いところに、ぽっこりと、森のようなものがある。 月の明かりに照らされて、真っ黒なかたまりが、遠くのほうに浮かんでいる。 まるで、風の谷のナウシカに出てきた「オウム」のような巨大な生き物が、暗闇の中を並走しているような、走るバイクから見るとそんな錯覚に陥る。 怖い。 心細い。 何ヶ所か、道が突然カーブしている。 そして分かれ道があるのだが、ミシュランの大雑把な道路地図には、こんな田舎道は適当な直線として描かれている。 分岐点には看板があって、それを頼りに、どちらに進むかを判断するのだけど、時々、知らない地名が2つぐらい書かれている場合がある。 そんな時は地図の感じや、だいたいの方向感覚で行くしかない。 そんな事を何回かやっていると、地図も感覚もあてにならなくなり、もう月の出ている方角だけを頼りに行くしかなくなった。 途中、深い霧に遭遇した。 めずらしく、遥か前を走る車を見つける。 そのテールランプが、突然消えた。 「あれれ!?」 その数秒後、僕は突然、真っ白なものに包まれ、目の前が見えなくなる。 かすんだセンターラインが急にカーブしてて、あわててブレーキングして曲がる。 とても深い霧が局所的に出ていたのだ。 50m先のテールランプも見えなくなるほどの霧・・・。 田舎道は時々、小さな集落を通過する。 集落には、決まって教会のような形の建物があって、時計台の部分だけがぼんやりとライトアップされ、暗闇のなかに不気味に浮かんでいた・・・。 そしてまた、分かれ道。 もう、勘弁してくれ。 クネオの町は、まだなんだろうか? 何度もそう思った。 僕は、道に迷っているんだろうか? いや、この道が地図には載っていないだけで、必ずクネオに向かっているはずだ。 そう信じて走った。 分岐、集落、時計台・・・ これのくりかえしで、時計台は合計8つぐらい見た。 これがまた、同じところに戻ったのではないかと思うぐらい、似たような風景なのだ。 こうしているうちにガソリンも減ってきているはずで、かなり心細くなっていった。 (補足: 125ccや250ccクラスのバイクにはたいてい燃料計はないので、トリップメーターの距離から残燃料を見計らって給油するのです。また、ガス欠になるまで走って、予備タンクに切り替えてから給油する方法もあります。) その後、僕はクネオにたどりついた。 しかし、ガソリンスタンドは見当たらない。 そして明かりの点いた宿屋なんていう物も、この時間ではあるはずもなかった。 静まり返った、無人の小さな町。 まるで、誰も住んでいないかのようだ。 明るい街灯だけが、ちょっとした街であることだけを物語っていた。 こんなところで野宿したところで、凍えてしまって辛いだけだな。 さっさと僕はこの街を後にして、また南へ向かって走り出した。 クネオの街から何十キロか先には、イタリアとフランスの国境があるのだけど、実は、そこから先は山岳地帯になっていて、若干の、不安と、後悔が込み上げてきた。 ガソリンが少ない。 足りるのだろうか? 地中海に出るまでに、街はあるのだろうか? あるとは思うが、今は夜中である。 そんなとき、ひとつの閉まっているガソリンスタンドを通り過ぎようとした。 あれ・・・? よく寄って見てみると、その給油機はどうやら自分でお金を入れて給油できるようになっているのだ。 たすかった。 そんな気持ちだった。 僕はカラに近いMBXのタンクにガソリンを給油することができた。 ど田舎の、真夜中の、山の中で。 そこからまた、恐怖の暗闇の中を走ることになる。 また街灯が無いのである。 しかもさっきとは違って、月明かりも届かないほど深い、山奥なのである。 怖い! 怖い! 怖い・・・!!  前にそびえる真っ黒な岩山。 そこは本当に、闇。 そして僕のうしろは、鬱蒼とした林か。 よくわからないが周りは真っ黒で、高い山に囲まれているのである。 まるで洞窟の中を走っているようだ。 もう、はやくここから出してくれ! またエンジン音しかきこえない、さっきまでの感覚が戻ってくる。 周りが気になる。 後ろが、怖い。 後悔してもはじまらない。 前に進むしかない。 急カーブが連続する、狭い峠道。 こんなところで、もし止まったら、お化けか、怪物が出てきて、襲われるに違いない。 絶対に何か出てくる・・・ そんな、強迫観念にとらわれながら逃げた。 そう、ツーリングどころではなくなって、僕は逃げたのだ。 カーブには街灯が無い。 次のカーブにも無い。 その次のカーブも真っ暗。 山はどんどん深くなっていき、僕の小さな命は、山々に吸い込まれて、見えなくなっていくようだ。(イメージ曲はドラクエ3の戦っている時の音楽) ・・・・・。 ずいぶんと走ったように思えた。 電灯が設備されたトンネルにさしかかった。 対向車ともすれ違うようになって、ホッとする。 ついにフランス国境であった。 しばらくすると、夜明けが訪れた。 山が開らけてきた。 そして最後に海が見えたときは、感動した。 このとき海岸で、朝日の写真を撮った。 写真で見ると何の変哲も無い、ただの朝日だけど、このときの僕の心はまるで、ホラー映画で最後に助かった主人公のような気持ちだったのであった。(笑)  そこは、メントンという名の地中海の海沿いの街だった。 モナコのすぐ東側にあって、ほとんどの地図には載っていない。 すぐに宿を探して、僕は食事だけして、眠りについた。 500km以上走ったせいか、15時間 目は覚めなかった。 (日記より) 


 
メントンの海岸に、つり人がいる風景



8月29日(月)の日記に、メントンの街で食べた料理について書かれている。 「きのう店で、スパゲッティーがなかったので、オムレッティーと書いたのがあったので卵焼きかと思って頼んだら、卵なんだけど、すごいフワフワで、泡みたい(なのが出てきた)。あんまり食べた気がしなかった。味は悪くないんだけど・・・。 外国って、ごはん料理みたいに、おなかにドカッと来るもんが少ないんだよね〜。」  と、食べごたえに関して、不満そうに述べている。 メニューがもっと読めたら、そんなことはなかったのでは・・・と今は思う。(笑)

続いて、フランスの店や営業時間についてこう書かれている。 「店が無い、店が閉まっている、出来ることが出来ない。スーパーマーケットは大きい街にしかない。喫茶店やレストランはお昼ごろ3時間と、夕方から4時間しか店を開けない。おもちゃ屋やブティックとかも午前中だけとか、とにかく営業時間が少ない。その上、夏のシーズンとかで何週間も店を閉めてバカンス、とか。 日本に外国の人が来たら、すごく便利だと思うんじゃないかな。 コンビニがどこにでもあって、24時間営業。おまけに日曜は休まない。正月も、盆も、クリスマスも、何もない。 他の店も朝から晩まで決まりきって営業し、休みも週1日。お昼だからと言って店を閉めたりしない。おつりやレシートは信用できる。なんといっても日本は治安がいい。 いつでも何でも手に入る日本人はわがままで、いつでも何でも店閉める外人もわがままで・・・、結局どっちもわがままになるんか・・・?」 (いまどきは知らないが、そういえばコンビニなどは一軒もなかった) 

アナタオ、アイシテル!  − メントン −

メントンの街の海岸の近くで、みやげ物屋か、食べ物屋か忘れたけど、パラソルの下で物を売っている若い女性が僕に話しかけてきた。当時の僕からはだいぶ年上に見えたものだが、今思えば、彼女の歳の頃は20過ぎぐらいだろうか? 僕が日本から来たことを言うと彼女は、日本語を教えて欲しいという。「 I Love You 」 は日本語でなんというのかと尋ねられた。 僕はちょっと考えて、「アイシテル」 と答えた。 バリエーションとして、「ワタシハ、アナタヲ、アイシテル」 も教えた。(笑) その他はよく思い出せないが、「コンニチワ」と、「アリガトウ」ぐらいは教えたはずだ。 僕はメントンに2泊したんだけど、それからというもの、僕がその店の前を通るたびに、「アイシテル〜! アイシテル〜!」 と、両手を振って日本語で叫ぶフランス人女性がいた。ちょっと恥ずかしかったが、まわりは外人ばかりだ。誰も気づいていないし、いいか・・・ ということにした。(笑) 今でも、地中海の女性の間で「アイシテル」が多用されていたとしたら、それは僕の責任かもしれない?


地中海の同年代の若者たち (本当はバイクの写真を撮りたかった)


「8月30日(火)、きのうやっとのことでスパゲティーにありつけたが、なんとそのパスタはインスタント・ラーメンのように細く、やわらかい。なんじゃこれ〜?味はスパゲティーとみそらーめんを混ぜたような味で、マズくは無い。量はあるけど、やっぱりおなかにドッシリと来ない。」 (日記より)

「MBX−125F、やっぱり力不足だ。荷物なしで、日本の街中を走るならマシだけど。125ccのツーリングで、峠を越えるのは少しキツイ。その峠も、箱根や六甲ぐらいの勾配のきつい峠は特に。切り返しはヒラヒラと軽いけど、逆に不安定。タイヤも細くて変な形。もっと丸くして欲しい。ポジションはツーリングでも丁度いい。ハンドルも高いし。それで、思った以上にカウルの重要性を知った。小さいカウルだけど、もし無かったら大変。もっと大きかったら、ツーリングでもすご〜く楽だろう。MBXの前カウルに走りながら手を置いて、手のひら一つ分大きくしてやる。すると、それだけで見事に風圧が減る。風は体から体力を奪うので、ロングツーリングでは是非(カウルが)いる。冬なら寒くないし。」 (日記より)  



8月30日(火)、お昼にメントンを出発。モナコ、ニース、ツーロンを経て、夕方、約200km先のマルセイユに到着する。ニースからツーロン辺りは有料道路であった。 このヨーロッパ・ツーリング始まって以来、そろそろ2000kmは走ったと思うが、初の有料道路に出くわした。 さすがはフランス、チャッカリしている。 マルセイユは有名な港町だが、ここでは体を休めただけに留まった。  「メントンの街でオイル1リットル買って、0.8リットル入れた。ペルピニャン辺りで、また切れそうだ。」 (日記より)  あ、マルセイユといえば、「大航海時代」というゲームに出てくるよね。僕もそののちにPC-8801mkIIというパソコンで少し遊んだことがあるんだけど、ここの港にはゲーム中に船でよく立ち寄ったものだ。(笑)


小さな歓迎   − ペルピニャン −

8月31日(水)、地中海に面したニーム、モンペリエ、ナルボンヌを経て、ペルピニャンという、小さな田舎街に着いた。前にも書いたけど、街に着いて最初にするのは宿探し。この日もそうして、いい感じの宿をとった。宿の名前はちょっと読み方がわからなかった。 宿泊費は130フラン(約3800円)で、朝食つき。 ただし、チェクアウト・タイムを聞くと、朝の8時だって! 結構早い時間に出なければいけない。 夕食は、この宿の食堂で食べた。 久しぶりに質感のあるもので、28フラン(約780円)のステーキ、ポテト、アイスクリーム、ジュースなど。 フランス語のメニューが全くわからなくて困った。 しかし、ここのおばちゃんは明るくてとても親切だった。 1つ1つ、片言の英語になおして、僕に説明してくれた。 それがやさしくて、なんだか忘れられない。 「ここに泊まった日本人は、あなたがはじめてですよ」 と言っていた。 フランス人はプライドが高いからフランス語以外は話さないなんて、よく言われるけど、この田舎街ではそんなことは無かったのであった。 僕はこの町が気に入った。




ペルピニャンを出て、アンドラに向かう途中のさびれた街



ウォークマンでの音楽生活・・・

 電気屋で単4の電池を買おうとしたら、なんと単3より小さいのは無い。 探し歩いて、カメラ屋に入ったら、置いていたので買った。それはいいんだけど、値段が高い! 単4電池4本入り30フラン!(約840円) 「いくらアルカリだっつっても、日本の倍以上はするぜ。ウォークマン使うの、ケチっちゃうよオ!」 (日記より)  このツーリングに日本から持っていったカセットは、「ドラゴンクエスト3」音楽集(オーケストラ版)とか、「ルパン3世」音楽集、自分のオリジナル曲、などであった。(笑)




実はこの時、下の方に写ってはいけないものが・・・・





便器の前でポーズを決めてみる(^_^;
ヨーロッパの田舎の宿屋はこんな感じで、部屋の中にトイレがある場合もある。
それにしても、この便器はどうやって使うんだ?(^_^;



 「ここへ来るとき、ナルボンヌでオイルを1リットル買った(37.3Fr)。案の定、ペルピニャンへ着くとオイルランプが点きだした。今回はエルフの2スト・オイル。あしたは走行距離が今日の半分以下だから楽チン。それにピレネーと来たら、山の景色が期待できる。そんかわり、スピードが出なくなるけど・・・(荷が重くて、登らん)。」 日記より抜粋


 さて、ペルピニャンを出ると100kmも行かないうちにスペインとの国境になる。 次回(第六回)は、スペインとの国境。ピレネー山脈の山々に囲まれた小さな独立国、「アンドラ」へと向かいます。お楽しみに?(つまらなかったらごめんなさい(^^;)







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