〔第六回〕 アンドラからスペインへ
Page 6 Andorra and Spain


今回なんと1年ぶり?の更新となったけど、写真の少なさに改めて困らされた。夢中だったんだろうか。肝心なところの写真がない。



アンドラへと続く、ピレネーの峠道
右にあるのは、我がMBX-125F 。 こいつにこの旅は結構な負担だったろうな。
 




1988年、9月1日(木)

ペルピニャンの街を出た僕は、楽しみにしていたアンドラ公国を目指した。晴天の中、しばらく田舎道を走っていると前方に山々が見えてきた。かのピレネー山脈である。しかし遠くから見る分には、日本の鈴鹿山脈なんかと変わらない気もする。このピレネー山脈は(大雑把に表現すれば)フランスとスペインを分ける国境となっている。アンドラはその国境、つまり山脈の中にある。果たしてアンドラとはどういうところなのだろう? 人口は約3万人と本には書いてあった。興味深い。道はいつしか山の中へ。山を登り始めると、天気は曇りとなった。さびれた感じの小さな集落をいくつか通過する。やけにひと気がないけど、ここには人が住んでいるのだろうか? なんとなく気になったところで数枚、写真に納める(第五回のサビレた街の写真なども参照)。アンドラ公国が観光地なのかどうかは知らないが、キャンピングカー等も目に付いた。標識を確認しながら山の中をどんどん進む。最後のほうは下り坂になり、ついに小さな街?が見えてきた。あれが首都アンドラ・ラ・ベリャなのか・・・? かなり狭い街に見える。しかも山に囲まれた谷間にある。平地もないに等しいんじゃないか? 道路から見下ろしたときの印象として、特に美しいという感じでもなかった。しかし街の中に入ると・・・






アンドラに入ると、道路は小さな都へと高度を下げて行く



 古い建物、石畳、坂道・・・首都、アンドラ・ラ・ベリャは、なかなか面白い雰囲気をもっていた。とりあえず、いつものように早速、宿を取った。「フランなら80、ペセタなら1,500と言う。考えてみれば安い(約 \2,300 )。チェックアウトタイムは12時で、朝食はないみたい。」(日記より) たいていの宿はB&Bで朝食がついているんだけど、ここはなかった。シャワーを浴びてサッパリした後、歩いて通りに出る。写真がないので文章で表現すると、宿舎前の通りはそれほど太くなく1車線幅の道の両側に歩道があって、曲がりながらの坂道になっていた(ような気がする)。その両側に宿舎や食堂などの古い建物が並んでいた。その頃にはもう辺りは暗くなって夜の下街に変貌していたので、そう遠くへは行かずにすぐ近くの小さな食堂に入った。ここではクリームにまみれたステーキのような物?を食べた。この国の面白いところは、フランス通貨のフランと、スペインの通貨ペセタ、両方使えてしまうところだ。レートの違いからなのか、両国との友好関係の差なのか理由はわからないが、どちらかというとペセタの方が安く買い物が出来るようだった。それと商品には関税がかかっていないらしい。この夜はなんの気ない夜だったんだけど、ここでの雰囲気、印象が未だに消えず心に残っている。この旅での好きなシーンのひとつ。翌日は昼間、街の中央へと歩いた。中心部は多少近代的な建物もあったような気がする。そこでワッペンや切手などのみやげ物を買ったりした。

 アンドラではたったの1泊に留まった。今思えば、もっとゆっくり見て周れば・・・などと思うけど。いま、時間がない日本の社会人にとってその思いは、むしろ「悔やみ」に近い。若いうちしか出来ないことって、実はすごく多いのかもしれないね。さて、この日はマドリードを目指すためにアンドラを出発し、ピレネーの山を南のほうへ滑り降りた。こうして山脈を越えると、以前スイスとイタリアの国境(シンプロン峠)を越えたときに感じたように、景色が山の前後で変化し、気候が変わったような感じさえする
。スペインに入ると山の岩肌が目立ち始め、生えている草木の感じもなんとなく違うような感じがした。晴天のせいもあるのか、フランスと違ってどこか乾いた感じがする。辺りは、人家の全くない山道が続いた。途中、何気に通り抜けようとしたトンネルを見て、はっとした。岩石を堀っただけのトンネルだった。コンクリートの壁も電灯も何もなし。岩に穴を開けただけなのには、驚きがあった。






ふと気になった、岩のトンネル


 目指すは首都マドリード。でもこの行程を一気に走りきることは距離的に出来ない。夕方までに宿を探すことになるのだけど、地図上にも途中サラゴサ以外は大した街もないので行けるところまで走って、だいたいその近辺で宿を探すことになる。途中、まるで100年ぐらい過去にタイムトリップしたような景観を持つ集落があったりして、思わずバイクを止めて写真を撮ったりした。(今回その写真が紛失しているので残念ながら紹介できないですが、実家にあると思うのでいずれ紹介します) 道も舗装されていない。あんなところに人が住んでいるのかな・・・。アンドラから約450キロを走り、結局夕方も迫ってきたので国道沿いにあったドライブインに寄ることにした。写真がないので書いておくと、その辺りはかなりのド田舎。辺りに民家もほとんどなく、景色は山と野原ばかりといった寂しい感じのところにドライブインがポツンと建っていた。駐車場はかなり広く、そこはどうやら宿舎も兼ねているようだ。食堂で食事をとってから、チェックインする。カウンターには小・中学生ぐらいと見られる子供が立っていた。僕より年下に見えたけど・・・、どうやらここの主人とは親子かなと思う。













 9月2日(金)「今日はアンドラを出てスペインに入り、450km走ってソリア南部まで来た。走り出すと早くマドリードに着きたくなって、つい長く走ってしまった。日が沈むと寒くなってきたので、野宿はやめた。ど田舎のドライブインの横のホテルを取ったら、2,560ペセタ(約 \3,800 )だった。朝食なし、COタイムは10時。ここは値段の割にダブルルーム、シャワー付きですごくきれい。親子で経営してるみたいで、お父さんらしきオッちゃんと、その子供らしき男の子2人(兄弟)が働いていて、他にはだれもいない。」(日記より)









羊の群れを率いていた老人 (思わずバイクを止める)



 翌日、この距離ならば確実に数時間でマドリードへ到達できるはずだ。久々の大都市だから、とてもわくわくした。そう言えば・・・大都市ロンドンを出発してからは結構な距離を走って来たけど、途中あまり大都市は訪れていなかったと思う・・・。晴天の中、スペインの乾いた空気を感じながらMBX−125Fは難なく約200キロを走り、美しいマドリードの街へと滑り込んでいった。マドリードの中心街は古くて複雑。かなりごちゃごちゃとしている。坂も多いし、石畳でガタガタの道もあったりする。僕はこの街の感じがとても好きだ。毎度の事ながら、とりあえずホテルを探す。はやくこのバイクに積んだ重い荷物を下ろして、ブーツを脱いで、汚れた服を脱いで、シャワーを浴びて、そして街に出てみたい! ツーリング中に走っている格好と、町中を走る格好は全然違うし、気分も全然違う。ホテルにチェックインしてからその夕方、マドリードの街中は、ノーヘルと軽いバスケットシューズという格好で、ゆっくり走って回った。これもう最高っ。かなり狭い下町をゆっくり見て回る。下町は道が覚えられないぐらい、入りくんでいる。狭い路地で、一方通行も多かった。建物はみな古いけど、結構高層の建物が多いので(3〜4階建てぐらい)、下町の路地は「暗い」という印象をうける。そして坂と石畳。そうこうしているうちに夜になった。マドリードの夜を知っています? キャンペーン中のサラダを食べるためにマックドナルドに入ったんだけど、夜の12時になっても、人で埋め尽くされているの! この店だけじゃない、街の中心部は人・人・人で賑わっているのだ。え〜! これは当時東京でも見ない光景だった。最近では渋谷とか、あるけどね。でも渋谷なんかの夜はあくまで夜だけの顔で、特殊でしょ。マドリードは昼間並に飲食店もやってるし、12時を過ぎても、小さな子供も遊んでる(!) そして男達は、BARで一杯やっている。結構面白い光景です。もしかして、夏休みだけなのか、その辺はわからないけど。夏の間は多分ずっとこんな感じなのかもしれない。スペインって昼間はすごく暑いので、午前中店を開けてても、昼頃になるとシエスタ(昼寝)があるので数時間、休業になるらしい。そして夕方からまた街は活気を取り戻す。そして夜中まで活気が続く。この街は、全然、生活のリズムが、違うようだ!
ますます面白いと思う。






プエルタ・デル・ソルの広場の近く


 さて、僕が昼間、バイクを押してプエルタ・デル・ソル近くの歩道を歩いていると、突然、声をかけられた。「こんなところで、何してんの!」って。いや、観光なんですけど…(^^; 相手は、ポルトガルから来たという日本人の3人だった(男性1、女性1、女の子1)。マドリードへはちょっとした旅行で来ていたようなのだけど、日本顔の子供(?)が1人でバイクなんぞ押して歩いてたので、マドリーの街に馴染まないその光景に激しく「何だコイツは?」と思ったと言うことだった。夜はその人たちが泊まっている部屋に誘われて、数時間、楽しくいろいろな話をした。三浦さんというその男性もバイクが好きらしい。ポルトガルのカスカイスという街にいるとのことだった。女性がしきりに、「ポルトガルへ来ればいいのに。カスカイスへ来ればいいのに。貸す・返すって覚えてね(笑)」なんて言っていたのが印象に残る。結局、僕はカスカイスへは行くことはなかった。日本に帰ればバイトも待っていたし、そう時間もないと思って・・・。 あれ以来、三浦さんと会うことは二度となかった。あの人たち、今頃どうしてるのかなあ・・・と、たまに思うことがある。その度に、ちょっと胸が痛み、ポルトガルへ行けば良かったな、と思ったりする。バイトなんか、ちっぽけなことだ。ポルトガルへ行って見ることの方が、よっぽど良かったなと。いま、社会人になって思うんだけど、こんな機会は、二度とない。まずない。それに気づかなかったのは大いに残念だ。大人になって社会に出たら、いろいろとあってそんな訳にはいかなくなるのに・・・。





次回は、マドリードの後編(少し)、そして今度は北へ向けて出発。を、お送りします。北って、どこを目指すか、わかります?(笑)
この旅日記は、あと2回ほどでオワリになりそうです。 これが次に向かうところのヒントでもあります。 お楽しみに。









   ↑ オリンパス AF-1 のタイマーで撮った写真










   ↑ ベルギー人の Frank Arain さんに撮ってもらった写真










                   ↑  Photograph by Frank Arain  SEP. 1988


I haven't written the 7th page yet.
After this I took the ferry from Santander back to England.









                  ↑  Photograph by Frank Arain  SEP. 1988


I haven't written the 7th page yet.
After this I took the ferry from Santander back to England.







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