(第四回) スイス   2000年 8月 掲載

Page 4  Switzerland

1988年8月24日(水) 西独、ウルムからは直線で150kmほど南にある小さな国、リヒテンシュタイン王国に向かった。果たしてそこには、どんな国があるのだろう? ハイジゆかりの地も、どうやらこの近くらしいと聞く。アウトバーンが終わり、片側1車線の道に入る。MBX-125Fは快調。少し山が多くなってきた。そしてついにオーストリアに突入したようだが、国境の検問のようなものがない。変だなぁ、こんなのでいいのかな? だんだんカーブが増えてきて、ドイツとは違う国に入ってきたんだな、という雰囲気が高まってきた。そして・・・いまかいまかと走っていると、スイス国内の案内標識が現れた。あれ?・・・もしかして、通りすぎた? 色々確かめようとするが、どう見てもスイスに突入していた。ちょっと待ってよ、国境、どこにあったの!? 結果から言うと、国境はノーチェックだったようです。あとで知ったけど、国境には旗が立ってるだけで、何も無いそうで・・・。ガク。その辺りから、僕は怒っていた。今では理解できないけど、なんだかムカムカしながら、そのままヤケクソで、次の次の目的地だったルッツェルンまで走ったのを思い出す。なんでもないことなんだけどなぁ、ちょっと戻れば良かっただけで。ま、若さゆえの勢い、みたいな?(笑)


スイス連邦
面積: 日本の約10分の1
人口: 679万人 ('95年のデータ)
言語: ドイツ語、フランス語、イタリア語、ロマンシュ語 ・・・でも通りすがりだからヘタな英語で通す
通貨: スイスフラン (1SF=74円前後) ・・・'88年当時のレート等は記録がない 
大きな川にかかるカペル橋は、ルッツェルンのシンボル。

ルッツェルンの旧市街 カペル橋からの風景
カペル橋はなんと木で出来ていて、ルッツェルンの観光名所になっている。


8月24日(水)夜 そんな訳でルッツェルンまで来てしまった。もうクタクタに疲れて、この日は宿をとったら何もせずにすぐに休息に入った。リヒテンで泊まらなかったせいで、およそ500kmを一気に走ったことになる。バイクで走る500kmは、クルマで走る500kmとは全然違う。昼間は暑く夜は寒いので、常に身体は体温調整機能をフルに働かせてるし、風圧や振動などによって疲労は相当なものになるのです。ルッツェルンはスイスのまん中に近い位置にあるフィーアバルト・シュテッテル湖のほとりにある街。僕がこの街に居た間はずっと天候が悪くて、曇りばかり。ここに来るまでは、ピラタス山に登ろうかなって思ってたんだけど、どうも気が乗らなくてやめた。山の頂上は晴れているのかも知れないけど。それでもルッツェルンは結構気に入って、3泊。ゆっくりと旧市街を散策して歩いたり、国鉄の駅にも行って、特急(TEE)の電気機関車なんかの写真を撮ったりもした。



ルッツェルン旧市街は屋根のとんがったヨーロッパ風の建物が、狭い路地にたてこんでいる。僕が取った宿屋もその中にある。

旧市街で宿をとった  翌朝窓を開けると、すぐ隣にデッカイ時計台
自室の窓を開けると、ルパン三世が走って逃げて行ってそうな、屋根が並んでいる。
見れば見るほど、この時計台は面白い。時計台の上に、また時計台がある。



旧市街は石だたみの細い道を挟んでいろいろな商店が軒を連ねる。今回の旅でも僕のお気に入りの場所かな。 ここの写真を撮ってないので、うまく想像してもらえるかどうか自信がないけど・・・。 こじんまりとしてて、古くて、綺麗な街なんです。 スイス料理の店とかあるけど、日本(関西)で言えば、古い商店街にあるお好み屋さんとか、定食屋みたいなノリ。 この旧市街で特にお気に入りは、おもちゃ屋さん。 おみやげに、鉄道模型(Nゲ−ジ)の車両を3つぐらい買った。



山々の急斜面は緑で溢れている。道路脇にはガードレールではなく、サクが木で作られている。ここから更に山はどんどん深くなっていく。

ユングフラウ をかすめて、南へ

出会うバイクのほとんどが 900cc とか 1100cc。 いわゆる ナナハン以上の ビッグ・バイク。
さすがに小さな125ccをツアラーとして使っているライダーは他には居ない。
右側に止まっているバイクが僕のMBX-125F 。 ちょっと酷使している。




8月27日(土) 骨休めもほどほどに、いよいよ南へ向けて出発した。ここから険しい山脈を超えて、一路イタリアへ向かう。スイスとイタリアの国境には、日本を出る前から楽しみにしていた「シンプロン峠」がある。行ったことは無いけど、以前バイク雑誌(別冊モーターサイクリスト)の白黒記事で見たことがあって、どんな素晴らしい景色なのかなって。想像をめぐらしていた。ところで、その国境付近には宿屋はあるのだろうか? 前の晩の日記を見ると、シンプロン峠を超えた辺りで 「宿を探すか、暖かかったら野宿しよう」 と書かれている。

山の急斜面も上のほうを見上げると、緑ではなく、ゴツゴツとした岩肌を、空に向かって突き出している。夏というのに、所々に雪を積もられているのが見える。

山を登っていけば少女ハイジに出会えそうな気がする風景




標高は千メートルか、2千メートルか、わからないけど、ちょっとした草原があったのでバイクを止めた。
ふう〜 ちょっと休憩
バックミラーに写っている丸い物体は・・・まさかUFO? (ドキドキ)
・・・と思ったけど、どうやら自分の荷物の上に載せてたオイル容器のようだ。









8月27日(土)夜 イタリア領、ノバーラの北、数十キロあたりの地点で野宿することにした。山岳地帯を抜けて、マジョーレ湖の横を抜けると、ほんのり暖かくなってきて気候の変化を感じた。GSでガソリンを給油したついでにミネラルウォーター(炭酸入りの物しかなかった!)を購入。田園地帯で脇道にそれ、用水路のそばにバイクを止めて、寝袋を敷いた。夕食は、非常食である「サッポロ一番・塩ラーメン」。 固形燃料に火をつけて、ハンゴウでミネラルウォーターを沸かす、なんてことをする。 虫が多いので、かとり線香を取り出して火をつける・・・ 用意周到である(笑) 

日記によれば、
「ラーメンは大成功。イタリアの夕日を見ながら作った塩ラーメンはすごく存在感のある味だった。広大な畑のど真ん中を突っ切る幅7〜8mの用水路の横で、かとり線香を4つ同時に使って、固形燃料の暗いあかりで今これを書いている。あっ、カンペキに日が沈んで、反対側にデカい月が見えている。わっ、今時計を見たら9時前だ!遅くまで明るいもんだ。あとで地図みよーと思ったけどやめ、今日は早めに寝る。」 ・・・となっている。



イタリア領の山は、岩肌の色がスイスとはかなり違う、赤っぽいものに感じる。

イタリア領に入ると岩山が目立つようになり、スイス側とはイメージが違う
シンプロン峠を南へ降りてきたところ辺りの風景。






さて、この先の予定は日程の関係でイタリア領をかすめて、地中海に面するフランス南部へと向かうことになります。なんせ日本へ帰ったら、またアルバイトの予定が入っていたので、いつまでものんびりしている訳にいかなかった。この辺りが後悔の残るところで、せっかくここまで行ってるんだから、ローマとかフィレンツェとか、回ってきたら良かったのに! なんて、今は思ってしまいますね。 
つづく







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