番長が泣いた。男・清原、涙の残留だ! 巨人・清原和博内野手(37)が11月30日、東京・神田錦町の球団本部で涙の残留会見を開いた。清武英利球団代表(54)と約30分間の会談の中で、混乱を招いたことへの謝罪を要求された番長。さらには他球団とのトレード計画まで暴露される人生最大の屈辱に、会見では両目を真っ赤に充血させた番長。「巨人でやりたければ、謝った上でどうぞ」といわんばかりの状況に、引退を先送りにする決意を示した番長。復しゅうや。来季、清原が復しゅうの鬼と化す。〔写真:大好きな巨人の球団旗の前に座った清原は、残留会見で目を潤ませた。逆襲を誓い、来季は復しゅうの鬼になる=撮影・尾崎修二〕
額には脂汗がにじみ、見開いた両目はこみ上げてくる悔し涙で赤く染まった。
球団本部にベンツで乗りつけ、ビシッと決めたスーツ姿で清武代表との会談に臨んだ清原。しかし…。約30分後、会見場に現れた姿に威圧感はなかった。
「僕自身が行ったことにより、球団ならび監督にご迷惑をおかけしましたことを、代表におわびしました。皆様、いろいろお騒がせしてすいませんでした」
会見場がシーンと静まり返る。声の主はまぎれもない、清原だ。巨人の球団旗をバックに清武代表と並んで臨んだ会見。まず、頭を下げて言わざるをえなかったのは、節目の20年目となる来季への意気込みではなく『謝罪』の言葉だった。
11月8日、来季の処遇などを球団に問いただした異例の直談判で混乱を招いたことへの償い。また、堀内監督に対して、今後の謝罪も約束させられた。「直接、お話ししたい」と同監督には来春キャンプまでにはわびをいれる。
清原君、来年また巨人でやりたいのなら−。最終会談で思わぬ厳罰が待っていた。聞きたかったレギュラー確約などの話はなかった。『謝れば来年も巨人でやらせてやる』。そう言われているのと同じだった。
ギュッと唇をかんだ。それでも前を向くしかない。頭を下げた。平成16年11月30日。清原の野球人生の終えんが変わった。
「来年は集大成にする覚悟です」。報道陣から質問が飛んだ。『集大成とは引退の決意を含むのか』。清原は大きく首を横に振った。
「来季で巨人との契約が切れるわけですから、再来年もユニホームを着られるように、契約をしてもらえるような成績を残したいです」
来季限りでの引退をきっぱり否定。再来年以降の契約につなげる1年にしてみせる、と言ってのけた。
「僕自身、来季はマイナスのスタートかもしれないですが、プラスの方に持っていってチームのためになんとかしたいと思っています」
復しゅうの鬼と化す。すでに親しい関係者には「けがにも何にも負けない鋼のような肉体をつくってやるわ」と来春の宮崎キャンプまで無休トレーニングでの肉体改造を予告。精神面も強化するため、平成11年オフにこもった、鹿児島の最福寺で火の粉を浴びながら祈る護摩行も計画している。
「来季はグラウンドに立って大きなホームランと、勝利に貢献するヒットでファンに恩返ししたい」。目に涙を浮かべた番長の“人生最大のケンカ”が始まる。
■“やりたければどうぞ”VTR 平成元年10月19日、パ・リーグ史上初のV5を逸した西武・森祇晶監督らが国土計画(現コクド)本社を訪れ、堤義明オーナーに“V逸”を報告。堤オーナーは森監督らの顔を見ると「気まずい思いだね」と苦笑い。「森監督が来年もやりたいということなので、どうぞ…と言いました」。これが“やりたければどうぞ”と短縮され、のちに球界では屈辱的なケースを表す代表的な言葉として度々、用いられている。 |
◆巨人・堀内監督 「清原君もこの間、いろいろと悩んだと思う。代表からも報告を受けている。残留が決まったからには優勝に貢献できるように頑張ってほしい」
◆清原の残留決断に大阪・岸和田市の父・洋文さん 「申し訳ないですがなんとも答えようがありません」
★渡辺前オーナーは無言
清原の残留決定を受け、滝鼻オーナーは安堵(あんど)の表情を浮かべた。都内のホテルで渡辺前オーナーと会食後、「残留? その通り。それ以上でもそれ以外でもないね。心配はしていないが、少し長過ぎた。短期で決着すべきだった」と問題の長期化には苦言も…。渡辺前オーナーは無言で車に乗り込んだ。
【来季の清原】
★体調 故障がちな両太もも、ひざの状態は良好だ。都内のジムでも重点的に鍛えている。問題は疲れがたまったとき。来春の宮崎キャンプからオープン戦にかけて全力で調整を続けた場合、開幕までもたずにパンクする危険がつきまとう。本拠地・東京ドームの人工芝は足に負担がかかるため、公式戦でも全試合出場は不可能に近い。
★ライバル 一塁のレギュラー争いは、ペタジーニの退団が決まったものの、ライバルは多い。左翼からのコンバートが予想される清水、一塁も守れる斉藤が“スピード”を生かして最右翼。右打ちもできる江藤に対する堀内監督の評価は高く、来季8年目の吉川も秋季キャンプで長打力をアピール。清原は圧倒的な力の違いを見せつけるしかない。
反逆は許さない−。巨人は残留を決めた清原に、球団、堀内監督への謝罪や服従を求める“厳罰”を課した。清武英利球団代表(54)はまた、オリックスなど他球団からトレードの申し入れがあり、水面下で話を進めていたことも示唆した。〔写真:残留を正式に表明した清原は、清武球団代表(左)とがっちり握手を交わした=撮影・尾崎修二〕
清原に対し、巨人は“厳罰”で応じた。清武球団代表は清原と並んでの会見で残留までの経緯を明かしたが、これは異例の公表だった。
「はたして長期契約を維持して清原クンにとどまってもらうことが、本当にいいことかどうか検討し、悩んだ」
わずか40試合出場で年俸4億5000万円。費用対効果の面で、やはり「構想外」だったことを明言。さらに「他球団からの強い期待もあった」と、清原へのトレードの申し入れがあったことも示唆した。
その上で、〔1〕契約期間が1年残っている〔2〕残留への強い意思〔3〕一から出直す決意表明があった〔4〕堀内監督を支えると約束した〔5〕一連の去就問題で球団、監督や関係者に迷惑をかけたことを謝罪する−5点の合意があったことで、残留を認めた。
「これらの表明があったから、来季もユニホームを着てもらうことにしました」
編成権や起用法の直談判に及んだ“反逆行為”は、球団として許せるものではない。11月8日の直談判ですでに、堀内監督の謝罪と年俸に見合っていないことを指摘。堀内監督の「スピーディーな野球」という新方針のもと、球団は構想外の現状も通告した。一方で4年契約があと1年残っているため、本人の希望を無視しての放出は不可能。だからこそ、前例のない“反逆”の謝罪は最低条件だった。
「契約はまだ。(来季年俸は)これから清原クンと話し合ってだね」
清武代表は複数年契約ながら、今季4億5000万円からの大幅ダウンの可能性を否定しなかった。清原はこの条件も飲んだとみられる。番長の“決死の反抗”はあまりにも高くついた。
【清原に聞く】
−−残留決断までの心の変化は
「自ら巨人のユニホームを脱ぐべきなのか、来年もう1年、巨人でプレーしてもいいのか、本当に悩みました。FAの時点で巨人に骨をうずめると会見しましたし、引退も考えました。ファンの皆様の期待に応えることなくユニホームを脱ぐのはあまりにもつらかったので、置かれている状況も厳しいかもしれませんが、なんとかプロとしてまた一から出直して来季につなげていきたいと強く思いました」
−−結論を出した時期は
「長引かせてはいけないと思っていましたので、自分では11月20日をタイムリミットに決めていました。正直、自分の身の振り方がわからない時期はトレーニングもままなりませんでした。これだけ精神的に追い詰められたのは初めてでしたし、球団にも迷惑をかけていましたし、心が痛かったです」
−−以前、「必要とされているかを重視する」と言っていたが
「正直、話し合いの中では自分の置かれている状況の厳しさを認識しました。口でナンボいってもしようがないんで。選手はやはりユニホームを着てプレーで表現するのがプロなので、グラウンドで示したいです」
−−堀内監督への思いは
「あらためてきちんと自分の口から直接、監督にはお話ししたいと思います」
去就が注目されていた巨人清原和博内野手(37)が11月30日、東京・神田錦町の球団事務所で清武英利球団代表(54)と会談を行い、4年契約最終年の来季も残留することが決まった。清原は去就騒動で迷惑をかけたファンや球団に謝罪。ドラフト入団時に巨人の指名を受けず、涙を流した「運命のドラフト」と同じ日に決意したことを明かした。来季はプロ20年目。「集大成と思ってやる覚悟です。一から出直すつもりでファンの方へ恩返しする」と復活を誓った。一連の騒動は23日目で決着した。
男の夢を貫いた。
午後4時。清原が球団に姿を見せて清武代表と約20分間の会談に臨んだ。記者会見で「球団、監督、ファンの方に迷惑、ご心配をかけたことをおわびした」と謝罪の言葉を述べた上で、清原は巨人の一員として原点から出直す決意を言葉ににじませた。「希望した巨人でプレーできることに感謝してます。来季は巨人で最高の成績を残せるように頑張ります」。最後は同代表と握手を交わし、スッキリした表情を見せた。
オフに入ってから間接的に伝わってきた戦力外の情報。困惑の日々を断ち切るように11月8日、覚悟を決めて球団に乗り込んだ。「必要な戦力なのか。編成は球団か監督なのか」。家族や応援してくれる人々の意見にも耳を傾けた。それでも去就は決まらない。1カ月近く悩んだ胸の内には引退の二文字もよぎった。
清原「巨人のユニホームを脱ぐべきか、来年も巨人でプレーしていいのか悩んだ。昨年は体調が悪くて原監督が辞任された責任も感じていた。今年1年も故障(骨折)で3カ月近く戦列を離れ、その中でこのまま巨人でプレーしていいのか悩んだ。引退も考えた」。
直面した野球人生の岐路。残留しても来季出場の保証はない。それでも巨人でのプレーを選択したのは子供のころからの夢とファンの声援だった。
清原が明かす。「11月20日が1つのタイムリミットでした」。PL学園時代の85年11月20日はドラフト「運命の日」を指していた。相思相愛と思われた王巨人は同僚桑田を1位指名。涙を流した当時の思いを回想すると、このまま夢を終わらせることはできなかった。「巨人でやらなあかん」。決断に迷いはなかった。
11月23日のファン感謝デー。5万人観衆の「キヨハラコール」を受けてあらためて決意を固めた。「こんなに精神的に追い詰められたのは初めてだった」。逆境の中で逃げ出すわけにはいかなかった。それがこの男の生き方だった。
清原「ファンの声援に応えないでユニホームを脱ぐのはつらかった。2000本安打をはじめ、僕を支えてくれたのは大きな声援だった。来季は必ずプレーでグラウンドで、大きなホームラン、勝利に貢献するヒットで恩返しをしたいです。そんな気持ちをプレーで表現するのがプロ。それを示したいです」。
ペタジーニが去っても、「スピード野球」の方針を掲げる堀内監督からレギュラーの座が保証されているわけではない。通算492本塁打の実績を捨ててでも、一から出直す。泥水を飲む覚悟で…。「置かれている状況が厳しいのは、認識しています。ただマイナスからのスタートになるかもしれないですが、必ずプラスに持っていく」。
確執がささやかれた堀内監督とはキャンプ前に調整について話し合いをする意向。「みなさん(報道陣)を通じて監督と話をするのは失礼だから、直接やります。もうスッキリしています」。来季は節目のプロ20年目。復活。それが応援してくれたファンへの最大の恩返しとなる。【平井勉】
[2004/12/1/08:58 紙面から]
写真=清武球団代表との会談を終え、厳しい表情で会見に臨む清原
会見後、握手を交わした清武代表と清原は満面の笑みを浮かべた。しかし会見中の清原の硬い表情がここまでの経緯を物語っていた。巨人が残留の条件の1つに挙げたのは、清原からの「ケジメの謝罪」だった。直談判によって、監督の采配や選手起用という「領域」に踏み込まれた堀内監督に対して、球団は仲介策に走った。同代表は結論が長引いた経緯を説明した。
(1)球団としても契約期間が1年間残っていること。
(2)清原に残留したいという強い意志があること。
(3)そのためにやり直すという表明があったこと。
(4)堀内監督を支えると約束してくれたこと。
(5)一連のことについて心ならずも球団や監督、関係者に迷惑をかけたと謝罪すること。
先月11日には異例のキャンプ訪問を行った滝鼻オーナーが堀内監督、同代表と3者会談を行った。それでも現場、フロントは「戦力」と明言することを避けてきた。契約を1年残しながらも、他球団へのトレードを画策していたのも否定できないはずだ。
一方で、清武代表は直談判の時点で「1つの神話をつくった選手なので大事にしたい」と発言したように、長嶋終身名誉監督が8年前に自らFA獲得した清原の意向を慎重にくみ取る作業も極秘に続けていた。
事態を収束に向かわせたのが、23日のファンフェスタだった。5万人から大声援がわき起こり、球団は人気のすごさをあらためて実感させられた。そこで球団が選んだのは、現場、清原にとっての「痛み分け」。つまり本人の残留希望を受け入れる代償として、堀内監督への謝罪を求めたとみられる。同代表は「『何としてでも残りたい』と。そのためには監督を支えると…、一からやり直すと…。私にもよく伝わりました」と経緯を説明した時、心なしか清原の表情がこわばった。
清原は会見で何度も「チームのため」と繰り返した。滝鼻オーナーも「しこり」を残さないことを厳命している。「時間がかかったことについては編成の責任者としては誠に申し訳ないと思っております」。同代表も謝罪し、23日間にも及ぶ騒動の幕は下りた。【沢畠功二】
[2004/12/1/09:11 紙面から]
<清原残留会見の一問一答>
清原「球団に行ったことにより球団ならびに監督にご迷惑おかけしたことを代表におわびしました。そして自分の希望であった来季もまたジャイアンツでプレーすることができましたことを心より感謝します」。
−−「自分を必要としてくれるのか、いないのか」という部分での説明は
清原「話し合いの中では自身の置かれている状況の厳しさも認識しました。来季はマイナスからのスタートかもしれないが、必ずプラスの方に持っていってですね、チームのために何とかしたいと思っています」。
−−一部報道で「泥水を飲む」とあったが、その気持ちは来季厳しい中でもう1度復活しようという意気込みなのか
清原「そうですね。そう思ってくれて結構です」。
−−監督に対して「編成主導なのか、現場なのか」という発言があったが、今はスッキリしているのか
清原「そういう形で僕自身も来季のことに関して不安があったことですから、代表と話をして僕なりに消化をしてですね、どういう厳しい条件であろうとも立ち向かうと自分自身決心しましたので、今はスッキリした気持ちです」。
−−引退を考えたのか、他球団への移籍を考えたのか
清原「ユニホームを脱ぐというのは引退も1つは考えました。僕はFAの時点でジャイアンツに骨を埋めると、そういうふうに皆さんの前で会見させていただきましたから、そういうふうに考えました」。
−−集大成と言ったが引退をかけてやるととらえていいのか
清原「来季でジャイアンツの契約も切れるわけですから、再来年またユニホームを着れるように、もう1回契約をしてもらえるような成績を残したい」。
−−監督へのメッセージは
清原「監督に対してのメッセージはこの場で電波を使い、新聞の皆さまを使ってコメントすることは監督に対して失礼なので、あらためて自分の口からはきちんと監督にはお話ししたいと思っています」。
[2004/12/1/07:15 紙面から]
巨人堀内監督も「清原問題」を終結させた。騒動の過程で清原についてコメントを避けてきたが、残留決定を受け、球団を通じてコメントを出した。「清原君もこの間、いろいろと悩んだと思う。(清武)代表からも報告を受けている。残留が決まったからには優勝に貢献できるように頑張ってほしい」。自らもV奪還に進退をかける来季へ向け、エールを送った。
スピード感のある野球を目指す考えは球団首脳と一致している。ペタジーニを外し、守れる外野手キャプラーを獲得。V奪回布陣をつくる一方で、清原の起用法について「来季戦力」という言葉を発しなかった。
シーズン中からも2人の関係がぎくしゃくしていたことは、雑誌などで同監督も示唆していた。だが球団首脳や日本テレビ氏家会長が両者の歩み寄りを説き、清原も「ケジメの謝罪」を約束。堀内監督も騒動の収束に応じたとみられる。「言った発端は清原だろう。会見なりして示しをつけるのは本人だ。それがちゃんと終われば発言するよ」と29日も話していた。
来年2月のキャンプまでには清原と直接話し合う可能性が高い。もちろん両者の溝が埋まったと言えないのも事実だ。堀内監督は球団が「戦力」と判断を下した清原をどう起用するのか。優勝奪還へ、大きなウエートを占めそうだ。
[2004/12/1/08:31 紙面から]
険しい表情で残留に至った経緯を語る清原 |
清原が“残留5カ条”をのんだ。巨人の清原和博内野手(37)は30日、東京・神田錦町の球団本部で清武英利球団代表(54)と会談し、チーム残留が正式に決まった。確執が取りざたされる堀内恒夫監督(56)を支えることを約束し、一連の去就騒動について謝罪するなど、球団側から出された5つの条件を受け入れての残留発表。4年契約の最終年となるプロ20年目、清原はイバラの道を歩むことになった。
笑顔はない。約20分間の会談後、球団本部のプレスルームで清武代表と並んで会見。清原は険しい表情で残留の経緯、そして決意を語った。
「球団ならびに監督にご迷惑をかけたことを代表におわびしました。来季もジャイアンツの清原として頑張らせていただきます。プロ20年目にして最高の成績を残すつもりで頑張りたい」
自らの置かれた立場の説明を求めて清武代表に直談判したのが8日。その3日後の球団トップ会談で出た答えは「構想外」だった。移籍か残留かの決断を委ねられ、起用法をめぐる堀内監督との確執もあり「正直、これほど精神的に追い詰められたのも初めてだった。自らユニホームを脱ぐべきか。引退も1つ(の選択肢に)は考えた」という。それでも、子供のころからのあこがれの巨人、骨を埋める覚悟でFA移籍してきた。何より自分を支え続けてくれたファンに恩返しがしたいという思いが、決断につながったと説明した。
悩みに悩んだ末に固めた決意。ただ、自らの意思を通すにあたって清原は球団から出された5つの条件を受け入れざるを得なかった。清武代表が説明したのは(1)契約期間が1年残っていること(契約を全うする)(2)残留したい強い意志があること(その意志を持って来季に臨む)(3)一から出直す決意表明があったこと(4)堀内監督を支えるとの約束を交わしたこと(5)一連の去就問題で球団、監督や関係者に迷惑をかけたことを謝罪する――の5点。一連の去就騒動は球団・監督批判にもつながることから、清原は会見で深々と頭を下げ、堀内監督の言う「示し」をつけた。
何より(4)は、残留する上で最大のネックとなった堀内監督との確執を解消するための条件。滝鼻オーナーの「しこりの残らない方法論をとりたい」との意向に沿って、清原が指揮官に忠誠を誓うという“異例の約束”となった。ファンの反発を危惧(きぐ)して残留を決定した球団側だったが、構想外となった選手を無条件に残留させるわけにいかず、チーム内に強い影響力を持つ清原を“残留5カ条”で抑えるという思惑もある。
そんな状況をすべて理解して清原は言った。「置かれてる状況の厳しさは認識しました。でも、あえてその中に飛び込んで、来季は自分の集大成と思ってやる覚悟です」。保留者名簿の提出の期限ぎりぎりの残留会見。プライドを捨て、泥水を飲む覚悟を決めた清原は、引退を懸けて来季に立ち向かう。
≪堀内監督「頑張って」≫堀内監督はこの日は所用で都内にはおらず、球団広報を通じてコメントを発表。「清原君もこの間、いろいろと悩んだと思う。代表からも報告を受けている」とした上で、来季に向けて「残留が決まったからには優勝に貢献できるように頑張ってほしい」と結んだ。前日には「戦力外とは言っていない」と“構想外”の方針を撤回。残留決定を受け、直接会談も行われる見込みだ。
◆清原選手に聞く ―巨人残留が決まって。 「球団に僕自身が行ったことにより、球団並びに監督にご迷惑をおかけしたことを代表に謝りました。去年、一昨年と僕を支えてくれたファンのみなさまにもご恩返ししたいので、来季は必ず優勝して僕自身、プロ20年目にして、最高の成績を残すつもりで頑張りたいと思います」 ―11月8日、球団に出向いた時から現在に至るまで時間がかかりました。 「自らジャイアンツのユニホームを脱ぐべきなのか、来年もう1年ジャイアンツでプレーしてもいいのか、本当に自分が悩みました。それでもやはり(残留を決めたのは)、応援してくれるファンのみなさんのあれだけの声援をもらって、その声援の期待に応えることなく、このユニホームを脱ぐことはあまりに自分自身つらかったので」 ―(11月23日の)ファンフェスタでの声援がすごかったですが? 「そういう面でも決意を新たにした部分はありました。ファンの声援を受けて、より一層気持ちが固まったというか、来年どんなに苦しいことがあっても、負けずにやっていこうと思いました」 ―泥水をのむ覚悟とありましたが? 「そう思っているのは事実です」 ―残留を決断した決め手は? 「僕は大阪出身なんですけど、小さいころからの夢であったジャイアンツでプレーをする。そういうものを最後まで貫き通したいという気持ちでした」 ―巨人残留を決断した今、目標、ファンの方々に? 「ただ全力を尽くしてやる。口でなんぼ言ってもしようがないので。2000本安打を始め、今年本当に僕自身を支えてくれたのは、ファンのみなさんの大きな大きな声援でした。それ以外に僕を今年支えてくれたものはありません。そのファンのみなさまに必ずプレーで、グラウンドで、大きなホームランで、チームの勝利に貢献するヒットで、恩返ししたいと思います」 ―集大成のつもりでやる―。それは不退転の決意ととらえていいのか? 「来季でジャイアンツの契約も切れるわけですから。再来年、ジャイアンツのユニホームをまた着られるように精いっぱい契約をしてもらえるような成績を残したい」 ―監督にメッセージは? 「マスコミのみなさまを使い、監督に何かを言うのは失礼なので、あらためて直接会って言いたいと思います」 |
◆滝鼻オーナー「大人だから」 都内のホテルで巨人・滝鼻オーナーが30日、渡辺前オーナーとの会食後、残留が決定した清原に対して「さっき聞いた。その通り。それ以上、それ以外でもない」と話した。堀内監督と清原との確執については「大人だから、うまくやってくれるでしょう。あまり心配してない。話し合いはちょっと長すぎた。もっと短期に決着すべき問題だったんじゃないかな」と言い残し、車に乗り込んだ。 |
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去就問題に揺れた巨人・清原和博内野手(37)の謝罪残留が決定した。30日、清原は東京・神田錦町の球団事務所を訪れ、清武英利代表(54)と会談し、『残留容認のための5項目』で“合意”。ケジメの謝罪会見を開いた。
自らの希望を貫いての残留決着には、避けては通れないケジメの儀式だった。
「球団に僕自身が行ったことにより、球団ならび、監督にご迷惑をおかけしたことを、代表におわびしました。来季もジャイアンツでプレーできますことを、心より感謝しています。皆様、いろいろお騒がせしまして、すみませんでした」
前代未聞の球団事務所への直談判から22日目。再び同じ場所を訪れた清原は、神妙な顔つきで頭を垂れ、自らの行為を謝罪した。
球団に乗り込み、「今後のチーム方針なり編成は、球団主導か現場の監督がやるのか」と直談判した行為の代償は大きかった。堀内監督との確執が表面化し大騒動を招いたことで、謝罪を含む、要求を突きつけられた。
清武代表によると、最終的に残留でまとまったのは(1)契約が1年残っている(2)清原が残留を強く希望(3)一から出直す決意表明があった(4)堀内監督を支えることを約束した(5)球団、監督や関係者へ謝罪する―の5点で“合意”したからだった。
来季の出場機会の確約はない。堀内監督が掲げる来季の構想は「スピード感あふれる野球」。一時は引退の二文字も頭にはあったという。悩んだ末に自身は11月20日に残留の決断を下したが、結論には時間を要し、不安な日々を過ごした。
それでも、清原は子供のころからあこがれ続けてきたユニホームを着続ける選択をした。「自分の置かれる状況の厳しさは認識してますが、あえて、その中に飛び込んで、来季はマイナスからのスタートかも分からないが、チームの優勝のために何とかしたい」。悲壮な覚悟での残留だった。
ただ、火種が今後もくすぶり続けるのは確実だろう。26日の納会の宴席では清原が堀内監督へのお酌を“拒否”。「監督にも迷惑をかけた」と話したが、完全な和解には至っていない。
監督へのメッセージを求められた清原は、皮肉っぽい笑みを浮かべ「この場でみなさんを使ってコメントするのは失礼なので、改めて監督には直接、自分の口からお話ししたい」。第2幕の可能性を秘めながら、大騒動はひとまず幕引きした。
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清原と同席しての会見に臨んだ巨人・清武代表は、およそ3週間にわたった清原騒動のてん末について語った。
来季に4年契約の最終年を残しながら、大騒動となったことを「今季の体調とか試合出場数を考えると、果たして長期契約を維持して球団にとどまってもらうことが、清原君にとっていいことか検討し、悩んだ」と説明した。
巨人は清原と、02年から05年まで、4年間の長期契約を結んでいる。それでも、今季は清原が40試合の出場にとどまるなど、4億5000万円の高年俸に見合わないと判断。費用対効果を説く新体制の方針から、清原の契約解除が可能かを検討。またトレード先を模索し、他球団からの打診もあった。しかし契約の解除は難しいと判断。本人の意思も尊重し、残留決定となった。
一方で清武代表は、球団のメンツを保つ意味でも、“造反行為”には厳しい態度で臨んだ。堀内監督と清原の“仲介役”となると公言していただけに、清原に謝罪などを要求し、確約を得た。
騒動が拡大化し、長期化したことに清武代表は、「編成の責任者として申しわけない」と謝罪した。
巨人・堀内恒夫監督(56)が30日、残留が決まった清原に“ゲキ”を飛ばす余裕を見せた。
「清原君もこの間、いろいろと悩んだと思う。代表からも報告を受けている。残留が決まったからには優勝に貢献できるように頑張ってほしい」とのコメントを、球団広報部を通じて発表。清原が11月8日に編成が球団主導か、現場の監督主導かを迫り移籍も示唆。自らと清原の対立も表面化した。だが清原が一連の騒動に関して清武球団代表に謝罪するなどしたことで、結果的には堀内監督の“勝利”に終わった。指揮官は、清原の苦悩に配慮する余裕をのぞかせた。
コメントでは起用法にまでは言及しなかったが、堀内監督が来季目指すのは、スピード野球。今後、堀内監督が清原をどう扱うのかに、注目が集まりそうだ。
滝鼻オーナーも『清原問題』が一応の決着をみたことに胸をなで下ろした。来季以降も懸念される清原と堀内監督の確執についても「大人だからうまくやってくれるでしょう。心配していない」と期待を込めた。だが、問題が長期化したことには「ちょっと長すぎたね。もっと短期に決着すべき問題だった」と、反省の弁を述べていた。
残留が決まり、会見で一連の騒動について謝罪する清原=東京都千代田区神田錦町の球団事務所で(市川和宏撮影) |
去就が注目されていた巨人・清原和博内野手(37)の残留が30日、正式に決まった。東京・神田錦町の球団本部で清武英利球団代表(54)と会談した清原は、その後2人で会見に臨み残留を発表した。形の上では決着した“清原騒動”だが、残留は堀内監督ら関係者への謝罪が条件という屈辱的なもの。構想外という球団方針は変わらない上、指揮官との確執も消えたわけではなく、来季の堀内巨人は、火種どころか爆発寸前の爆弾を抱えることになりそうだ。
処遇を問いただすため、球団に乗り込むという異例の行動から23日目。球界を大きく揺るがした清原騒動が、一応決着した。
「僕自身が球団に行ったことにより、球団ならびに監督にご迷惑をお掛けしたことをおわびしました。希望していた、来季もジャイアンツでプレーできることを心より感謝します」
球団のプレスルームには100人以上の報道陣が殺到し、異様な雰囲気の中で行われた会見。残留を宣言した清原の目は赤く充血していた。
自分はチームに必要とされているのか−。今回の騒動は、堀内監督と強く対立した清原が、来季への不安を持ったことが発端だった。「引退も考えた」というほど悩んだが、結局は巨人への愛着を捨て切れずに残留。だが、清原の立場はこれまでと変わらない。それどころか、騒動を起こしたことで、これまでよりも厳しい状況となった。
清武代表は、契約を1年残しながら打ち切ろうとしたことや、トレードを模索したことを明かした。いわば清原は戦力外であることを“暴露”したほど、球団の反応は冷たいものだった。そして清原が望んだ残留の条件として、堀内監督を支える約束や、監督ら関係者への謝罪を突きつけた。
これらの屈辱的な条件をのむことで残留した清原だが、堀内監督への敵対心は隠せない。残留を決意した理由については「去年も原監督からあれだけ期待されながら優勝を逃し、原監督が辞任されたことに責任を感じた。今年も優勝を逃し、ケガで3カ月も戦列を離れて責任を感じた」と、堀内監督の「ホ」の字も出さず。さらに堀内監督へのメッセージを求められると「フッ」と吐き捨てるように笑い、やんわりとコメントを拒絶した。
「しこりを残さないように」と滝鼻オーナーは要望したが、しこりや火種は大きく残っているのが明白。形の上では騒動は決着したが、清原の存在が、今後も堀内巨人を大きく揺るがしそうだ。 (井上洋一)
前日 前日(岩隈は何処へ?&飯田、関川、紀藤選手らイーグルスへヽ(゚▽゚*)ノ&サヨナラ藤井寺(つД`)ノ&アホ坂太一郎問題&あきのぶちゃん大丈夫(?゚▽゚) ほか) |
同日 同日(岩隈、決意固く&ペタ巨人退団ヽ(゚▽゚*)ノ ほか) |
翌日 翌日(ダルビー入団交渉前進&今日の岩隈情報&尚成の慢心に反吐 ほか) |