■その時 伊東監督夫人の加代子さん(41)は、都内の自宅でふたりの子供とテレビ観戦。歓喜に身を震わせた。「1試合1試合が本当に長くて、お疲れさまでした、と言ってあげたいです。シーズン中、主人がプレーしているわけではなかったけど、常にドキドキ、ハラハラしてみていました」。西武ドームでの第4、5戦はスタンドで観戦したが、チームが負けたため、名古屋行きを断念したという。落合監督夫人の信子さんとは対照的な“内助の功”だった。 |
◆西武・山口弘毅オーナー代行 「伊東監督、コーチ、選手のみなさん、日本一おめでとうございます。今季のスローガン通り、チーム全体で『挑戦』し、そしてつかんだ栄冠でした。応援していただいたファンの方々にお礼申し上げます」
◆根来泰周コミッショナー 「西武はプレーオフを通じて、もまれてきた強さがあったのではないか。中日にしても新人監督でリーグを勝ち抜いてきたのは大変だったと思う。(コミッショナーに就任して)初めてのシリーズだったが、非常に面白かった」
◆パ・リーグの小池唯夫会長 「プレーオフを勝ち抜いての日本シリーズ制覇は長い道のりでした。ファンの皆さまにも白熱したポストシーズンを楽しんでいただけたことと思います」
◆セ・リーグの豊蔵一会長 「驚異的な西武打線のパワーに脱帽です。中日もセの覇者の名に恥じない堂々たる戦いぶりだった。野球の面白さをアピールしてくれた意義深い7試合でした」
■データBOX (1)西武の日本シリーズ優勝は平成4年(4勝3敗=ヤクルト)以来で12年ぶり12度目(西鉄時代の3度を含む)。日本一12度は巨人の20度に次ぐ。3位はヤクルトの5度。 (2)伊東監督はシリーズ初さい配で日本一となった。これは平成14年の巨人・原辰徳以来で史上14人目。就任初年度の日本一も原以来で7人目。42歳の日本一は、阪急・上田利治(38歳=昭和50年)、巨人・川上哲治(41歳=同36年)に次ぐ歴代3位の年少記録。 |
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「こんなに苦しい戦いは初めてでしたが、昨日の大輔(松坂)の力投に便乗しました。起用してくれた伊東監督に恩返しできてよかった」
第1戦は7回無失点でチームに先勝をもたらした。3勝3敗で迎えたこの日も6回を無失点。二回一死一塁では谷繁のライナー性の打球が右ひざを直撃するアクシデントもあったが、約5分間、ベンチ裏で患部を冷やす応急処置だけで再び姿を見せ、鬼気迫るマウンドさばき。レギュラーシーズン2年間でわずか2勝の男が日本シリーズ13イニング無失点で2勝。長い眠りから覚めた先には栄光が待っていた。
昨年5月4日のオリックス戦で1勝した後、右肩痛で離脱。今年5月18日のオリックス戦で380日ぶりの復活白星をつかんだ。翌19日−。石井貴を支える夫人の美保さん(28)あてに大きな花束が届いた。贈り主は伊東監督。温かい気遣いに思わず涙がこぼれた。
その後もローテーションを守り続けたが惜しい敗戦が続き、結局は1勝どまり。「この2年間オレは結局ダメだった。けれど、最後に貢献したいと思っていた」。世代交代が進む中で、ベテランの自分に気配りをしてくれる伊東監督を何としても男にしたかった。そしてこの日、その男の思いは現実となった。
前夜24日の第6戦。第2戦で黒星を喫し、4度目の挑戦で初の日本シリーズ白星を挙げた松坂の姿に刺激を受けた。「アイツの“男”を見た。自分も大輔の男気に便乗していきたい」と、胸の内の炎をたぎらせた。
その夜、ホテルの部屋ではDVDを見た。シリーズ第1戦、自分が中日打線を相手に7回2安打無失点で抑え、マウンドで絶叫している姿。「自分の気持ちを高める意味でもね」。気迫で投げる男・石井貴らしい“最後の調整”だった。
「まさか賞をもらえるとはね。この2年間、故障しても我慢してリハビリしてきた結果だと思っている」。誇らしい復活のMVPロード。その右腕でつかんだ日本一のフラッグは、まばゆい輝きを放っていた。
〔写真:優勝決定の瞬間、誰よりも早くベンチを飛び出したMVPの石井貴(中央)。アッという間に歓喜の輪ができあがった=撮影・榎本雅弘〕
★松坂が1回無失点…プロ初体験の先発−中継ぎ連投
スタンドがどよめいたのは八回だ。「ピッチャー、松坂」。第6戦で8回2失点勝利のエースが登場。荒木に二塁打を浴びたが、1回を無失点に抑え、豊田に日本一のバトンをつないだ。
「五回に荒木さん(投手コーチ)から『行くぞ』といわれた。みんなも疲れているんで…。点差もあったし、これが日本一かな、という気もしました」
プロ入り後、中継ぎ−中継ぎでの連投はあるが、先発−中継ぎでの連投は初体験。それでも熱い身体は疲れを感じなかった。
プロではじめて経験する日本一。松坂にとってはプレッシャーの連続だった。2年前の巨人とのシリーズは2戦2KO。今回も第2戦でKOと、精神的に追いつめられたが、終わってみれば第6戦でシリーズ初勝利。6年目にして、初の日本一を味わった。
「6年かかってやっとです。かなり大きいものです。今後? (自分の)スイッチを切って休みます」。怪物・松坂の今季の戦いが、尾張名古屋で終わった。
★守護神・豊田が初の胴上げ投手に
シリーズの個人最多タイとなる3セーブをマークした守護神・豊田。九回、7点差で登場、味方の失策もあって2失点を許したが、初の胴上げ投手となった。「マウンドでは舞い上がっていました。ボクのことを当てにしていないから、(打線は)7点も取ってくれたんですね」。セーブ新記録はならなかったが、満面の笑みを浮かべた。
〔写真:胴上げ投手となった豊田は駆け寄るフェルナンデス(手前)、カブレラ(右)とともに歓喜のガッツポーズ=撮影・浅野直哉〕
■データBOX (1)石井貴は今シリーズ2試合に登板し、計13イニングを無失点。2勝を挙げた。1シリーズ13イニング無失点は、これまでのシリーズ記録(昭和41年、巨人・益田昭雄=12イニング無失点)を更新。1シリーズ2勝は、西武では平成2年の石井丈裕(2勝)以来。1シリーズ最多勝は、稲尾和久(西鉄=昭和33年)、杉浦忠(南海=34年)の4勝。 投手のMVP獲得は、昨年のダイエー・杉内俊哉に続いて史上21人目。西武の投手としては、平成4年の石井丈裕以来で6人目。 (2)前日の第6戦で先発勝利を挙げた松坂が、救援マウンドに立った。シリーズで2試合に先発した投手が、その後に救援登板したのは平成5年の西武・工藤公康(現巨人)以来で11年ぶり。 |
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「なんとか日本一になれました。自分が打とうが打つまいが、勝てればいいんです」。派手な笑顔はない。大仕事をやってのけた男の精かんな顔だった。
16日の第1戦、川上から左翼ポール際に放った1号ソロでチームに勢いをつけた。あとのない第6戦では逆転の3号2ランに、とどめの4号ソロ。2年前、巨人とのシリーズで15打数無安打に終わった男が、26塁打、8長打のシリーズ新記録に4本塁打の同タイ記録をマーク。歴史に名を残した。
『男は子供が女房のおなかにいるとき、強い運気になる』。そんな話をどこかで聞いた。すでに22日の出産予定日を過ぎているが、夫人の絵美子さん(24)は臨月。きょう、あすにも待望の第1子が生まれる予定だ。
チャンスに強い和田。。アテネ五輪がきっかけだった。1、2戦で7タコも第3戦のキューバ戦で先制2ラン。その夜、受話器に手が伸びた。国際電話で伊東監督に「ようやく1本出ました」と報告。「頑張れ!」というゲキに力がわいた。
キャプテンが引っ張った今年のシリーズ。この日の主役はカブレラだ。三回、左中間に3号2ラン。「真ん中のスライダー。狙いどおりだよ」。一挙5点のビッグイニングを呼んだ。
「監督を胴上げしたかった。日本一になれて自信にもなります」。男になった。そして、父になる。和田にバラ色のオフが待つ。
〔写真上:連投の松坂と抱き合って喜びを分かち合う和田。まさにMVP級の活躍だった=撮影・浅野直哉。同下:三回に豪快な特大2ランを放ったカブレラ。自慢の長打力で中日の投手陣を震えあがらせた=撮影・榎本雅弘〕
★赤田が大一番で3安打
プレーオフから2番打者として好調を維持していた赤田が、大一番で3安打の大活躍。「最後の最後に一番、いい仕事ができました。シリーズに出場できたのが大きかったです」。シーズン中は1番打者として39試合に出場した赤田だが、来季は2番定着を狙う。
◆三回、中前タイムリーを放った勢いで一、二塁間に挟まれたが、それが井端の失策を誘い、2者を生還させた西武・フェルナンデス 「暴走だったけど、赤田まで生還できてよかった」
◆三回に先制タイムリー内野安打を放った西武・佐藤 「先制点が欲しかった。あれで相手も焦っただろうし、大きかったと思う」
◆七回、7点目となる1号ソロを放った西武・平尾 「たまたまですけど、うまくライトに打ち返せました」
■データBOX (1)西武の今シリーズ、チーム合計68安打は、昭和53年の阪急、57年の西武に並ぶ1シリーズ最多安打記録。また、チーム11本塁打は(1)ヤクルト(13本塁打=昭和53年)(2)巨人(12本=同56年)に次ぐ歴代3位タイ。 (2)西武のチーム28長打(本塁打11、三塁打2、二塁打15)はシリーズ最多新記録。従来の記録は昭和53年の阪急、平成10年の横浜がマークした23長打。チーム120塁打も、昨年のダイエー(113塁打)を更新するシリーズ最多新記録。 (3)優勝決定試合で5点差がついたのは、平成12年第6戦(巨人9−3ダイエー=6点差)以来で4年ぶり。優勝決定試合の最多得点差は「14点差」(昭和38年第7戦=巨人18−4西鉄)。 |
★ビール1200本が10分間で空き瓶に
名古屋市内の宿舎に設置された祝勝会場で、ナインは日本一の喜びを爆発させた。伊東監督が「シリーズで頑張れなかった人は、ここで頑張ってください」とあいさつ。選手会長・和田の掛け声をきっかけに、さあ、スタート! スパイダーマンやドラゴンボールのコスプレで参加した中島、赤田らは大ハッスル。用意されたビール1200本は約10分間で空き瓶になった。
★「感謝セール」を26日から3日間開催
西武の日本一を記念した「感謝セール」が所沢、池袋、横浜地区のそごう、西武百貨店、全国のパルコ17店舗で、26日から3日間、開催される。西武線沿線のレジャー施設(西武園ゆうえんち、としまえんなど)でも同期間で謝恩サービスが行われる。そのほか、西武グループのゴルフ場や西武観光など、各グループ社で特別企画が展開される。
【名言迷言】
◆中日のマスコット・ドアラに、頭を下げて握手する西武・赤田 「きょうも打たせてね」
広岡、森両監督の下、投手では東尾、工藤ら。打者では秋山、清原、デストラーデらの大砲に加え、石毛、辻といった足と守備のスペシャリストもいた。日本シリーズで藤田巨人を4タテした平成2年と平成16年を比べてみた=別表。
当時に比べると小粒で若手中心。ネームバリューもない。しかし、18年間、打撃投手を務め、秋山、松井稼、現在は和田らを担当する中島打撃投手は「黄金期のチームは、個々が完成されていた。それに比べて今のチームは試合を重ねるごとに自信をつけている。まだ“伸びしろ”はあるし、この先が楽しみ」。第2期黄金時代の幕は開くのか−。
■平成2年 【主なニュース】▽東西ドイツ統一▽日本人初の宇宙飛行▽大阪で「花の万博」▽トリカブト殺人事件▽千葉県で竜巻が発生、1700戸以上の家屋が倒壊▽長崎県雲仙普賢山噴火 【世相】▽ゲーム機スーパーファミコン発売▽流行歌『おどるポンポコリン』など▽映画『プリティー・ウーマン』など▽人気テレビ番組『マジカル頭脳パワー』など▽流行語『アッシーくん』『ボーダーレス』『成田離婚』 |
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「選手は約束を果たしてくれたが、監督が最後の約束を果たしてやれなかった。こっちの責任。宿題を2005年に残してしまったな」
二回一死二塁から、ドミンゴが石井貴への投球中にボーク。二死三塁から佐藤の内野安打で先制される。その後、適時打を放ったフェルナンデスの暴走を挟殺しようとした井端が、悪送球。代わった山井がカブレラに2ランを被弾。まさか、まさかの一挙5失点。
「7戦目の難しさ? それはない。ただ、勝負どころを見誤っていた。7戦すべてを通して」
ブルペンには第5戦先発で中2日のエース川上もいた。総動員できる第7戦。代えどきは正しかったか? 別の方法はなかったか? 何よりも悔やんだのは、この日の先発になってしまったドミンゴ。精神的にもろい右腕。今年唯一といえる補強選手は、勝負どころで耐えてくれなかった。
ダイエーか西武か。パのプレーオフ期間中、何度も西武と戦う夢をみた。中日で現役時代の昭和63年、初出場の日本シリーズで西武相手に1打点も挙げることなくジ・エンド。シリーズ3度出場で通算打率.286、本塁打0、1打点。短期決戦の怖さを知る男が、またも跳ね返された。
「選手には、お疲れ様といったよ。69年の歴史のなかで誇れるチームだ。もっともっと、たくましくなる。ただ、きょうは何も考えたくない。あしたから考えるよ」
妻・信子さん(60)には「負けちゃってゴメン」と謝った。散ってしまったオレ流の夢。もう1度、はいあがるのみだ。
〔写真:50年ぶりの日本一を逃したオレ竜。落合監督(右端)が下を向けば、コーチ、ナインは唇をかんだ=撮影・榎本雅弘〕
◆中日・白井文吾オーナー 「勝てなかったのはファンに申し訳ないが、僕はあまりがっかりしていない。大変よくやったと思うし、来年はもっといい試合をお見せできるんじゃないかな」
■データBOX 中日は昭和49年から57、63、平成11、そして今年と5回連続で日本シリーズに敗れ、阪急(現オリックス)と西武の持つワースト記録に並んだ。阪急は西本監督がV9巨人の厚い壁にはね返された。西武は今回、ワースト記録にピリオドを打った。 |
■風呂場でビールよ スタンドで声援を送り続けた落合監督の夫人・信子さんは「去年の監督就任からあっという間の1年でした。セ・リーグの優勝も成し遂げたし、よくやったという気持ちでいっぱいです」と戦い終えたチームをねぎらった。日本一は来年までお預け。歓喜のビールかけはできなかったが「風呂場でビールかけをしてあげたい」 |
★谷繁9打点も日本一逃し涙
7試合のシリーズで最多打点記録10にあと1と迫っていた谷繁はこの日、打点なし。九回、左翼への打球が拙守にも助けられて二塁打となり、優秀選手に選ばれたが、横浜時代の平成10年(対西武)に続く日本一を逃して無念。「来年、再来年と同じ舞台に立てるようにやっていきたい」と雪辱を誓った。
〔写真:9打点と大暴れの中日・谷繁だが、日本一を逃して試合後は涙ぐむ姿も見せた=撮影・榎本雅弘〕
★井上が完封負け免れる意地の一打
意地の一打は井上。九回無死二、三塁で豊田から、詰まりながらも中前に落とし、完封負けを免れた。「0点で終わりたくないという気持ちだった」。打率.412で8打点。敢闘賞に選ばれ「負けたことは仕方ない。自分はシリーズを通して集中できていたから、賞は素直にうれしい」と顔をほころばせた。
★川上無念…ブルペン待機で終了
第5戦先発から中2日だったエース川上は、ブルペン待機で終了。「よほどのことがない限り(出番は)なかったと思う。でも、だれも手を抜いていない。みんな一生懸命やったよ」。今季17勝の沢村賞男は「来年は日本一? リーグ優勝が難しい。甘くない。今年以上に頑張らないと」と早くも気持ちを切り替えた。
◆3度目のシリーズも敗れた中日・立浪 「全力でやった結果だけど…。今ひとつ働けず、申し訳ないです。これを肥やしに、来年は調子の波がないようにしたい」
◆7戦中5試合登板で無失点の中日・岩瀬 「残念ですけど、こればかりは仕方ない。7戦やって、本当にいい経験ができたと思います」
◆今シリーズで打率.389、2本塁打と活躍した中日・リナレス 「来年のこと? まだわからない。30日の(リーグ優勝)パレードには出る」
【名言迷言】
◆女子アナウンサーに満面の笑みで話しかけられた中日・谷繁 「おれもゲーム中、あんなにニコニコしたいよ…」
◆試合前の取材に答える中日・井上 「笑っても笑ってもきょうで最後」
★タイロン・ウッズ獲得へ
中日は、横浜退団が決定的なタイロン・ウッズ内野手(35)の獲得に動くことが25日、わかった。昨年オフは落合博満監督(50)の方針で補強を封印していたが、一塁手は昨年からの補強ポイント。同内野手には阪神も興味を示しているが、水面下では好感触をつかんでいる。また、ドミンゴ・グスマン投手(29)は残留の方向。マーク・バルデス投手(32)、マーチン・バルガス投手(27)は退団が濃厚。オマール・リナレス内野手(37)の去就は未定。
大久保 「ボクはこれほど勝負の行方が分からなかったシリーズはないです。西武の疲れは極限にきていると関係者から聞いてたのに…」
江本 「まあ、西武は最後に松坂、石井貴がキッチリ放ったということや。中日はキッチリした投手はそう打てないんやから。あとは本塁打の脅威という点で西武が上回っていた。これも中日にはプレッシャーになってたと思うで」
大久保 「伊東監督もずっと言ってましたが、プレーオフの影響が大きいですよ。シリーズ直前まで、真剣な戦いができていたわけですから。それで勢いがついたんでしょう」
江本 「まあ、それにしてもさい配では、どちらも目立ったものはなかったね。いつものメンバーを並べて…。投手がやられたら、やられっぱなしというか、本当の意味での競り合いがなかったんじゃないか」
大久保 「それでも“ピンチはチャンス、チャンスはピンチ”ですよ。これは西武時代、根本元監督(故人)の教えなんですが、巨人戦でもないのに、視聴率が20%を超えたんですよ。この数字はプロ野球にとってチャンスなんです」
江本 「まあ、確かに個々のプレーではシリーズらしいファインプレーもあったな」
大久保 「西武はプレーオフでたくましくなった。来年はセ・リーグもやるべきですよ。西武の日本一はパ・リーグファンにとって最高の喜びでしょう」
「カブレラは台湾でも、いいバッターという評判だった。台湾時代? うん、あまりいい思い出はないね」。第7戦の先発マウンドに立った中日・ドミンゴがつぶやいた。平成13年の1年間、台湾・和信でプレー。5勝8敗、防御率3.39を残した。
西武・カブレラは2年前の平成11年、和信で打率.325、18本塁打、64打点と堂々の成績を残した。「特にないよ。今の野球が大事だから…」。2人とも、台湾時代を多くは語らない。
夢だったメジャー昇格を果たせず、挫折を感じながらの台湾球界入り。それだけに口は重い。だが、逆境で得た技術、精神力がいまを支えている。カブレラは、ヒビの入ったバットにテープを巻いてティー打撃を行うこともある。用具にも恵まれない厳しい状況があったからこそ、バットを大事にする。
今季、10勝(5敗)を挙げたドミンゴは言った。「野球人生の中で初の2ケタ勝利。今年は最高のシーズン。いまが最高に幸せなんだ。この気持ちはほかの(日本人)選手とは違うはずだ」。
三回、そのドミンゴが3失点で降板した直後、カブレラが3号2ラン。くしくも、すれ違いのコントラストは日本シリーズで再現された。
<日本シリーズ:西武7−2中日>◇第7戦◇25日◇ナゴヤドーム
42歳の青年監督が5度、宙に舞った。ヤングレオ軍団を率いる、伊東勤監督の「一丸野球」が開花した。3勝3敗の五分で迎えた敵地での最終決戦。3回にカブレラの1発などで5点を先制。投げては先発石井貴が6回無失点でシリーズ2勝目。8回からはエース松坂を連投で起用し、最後は守護神・豊田を投入する豪華リレーで逃げ切った。50年ぶり日本一をもくろんだ中日を打ち砕き、西武が12年ぶり12度目の頂点に。球界再編で揺れた04年シーズンの幕が下りた。
カブレラがウイニングボールをつかむ。ナインがマウンドに駆け寄る。伊東監督は、少し遅れて歓喜の輪に向かった。ナゴヤドームの天井が、近づいては離れて行く。2度目の胴上げは5度。リーグ優勝より1回多い浮遊感覚に、すべての疲れが吹き飛んでいた。
普段は冷静な指揮官が、お立ち台で最後に雄たけびを上げた。「勝ったぞー!」。就任1年目の伊東監督が日本一を奪い取った。リーグ2位から2度のプレーオフを勝ち抜き、中日も撃破。それもすべて最終戦にもつれこむ死闘だ。選手時代に7度、味わった頂点の座。チーム12年ぶり、監督として初めて味わう美酒は、格別のものだった。
少し声を詰まらせながら振り返る。「ここまで来るには日本ハムに勝ちまして、ダイエーにも。感謝してますし、シリーズの中日にも感謝してます。今ここにいることが信じられないんですが、感謝したいと思います」。最も好きな「感謝」という言葉が、何度も口をついて出た。
悔いは残したくない。できることは、すべてやる。シリーズ中、関係者に投打走とも「中日が上」と吐露していた。だからこそ石橋をたたく継投に出た。前日134球を投げた松坂を8回から投入した。「あの点差だったけど、早めにトヨ(豊田)の前につなごうと思っていた」。シーズン中には考えられない仰天継投は、信頼感の高い投手を逆算して投入する、熟慮の末の采配だった。
00年4月23日。選手として2000試合出場を達成した試合で、松坂の球を受けた。試合後、野球人としての「喜び」について「最近は松坂くんとバッテリーを組むことかな」と言っている。常勝時代、幾多の名投手の球を受けてきたが「(松坂は)5本の指に入る」。日本球界を背負うエースになってもらいたい、最高の喜びを味わわせたい−。チームを支えてくれた右腕への、感謝の連投指令でもあった。
チーム初の生え抜き監督だった。昨年10月、堤オーナーと会談した際「ずっとやっていただいた方がいいと思います」と“永久政権”を示唆された。その直後、堤氏は球団関係者に「私が伊東をかわいがっていることが伝わっただろうか」と、もらしている。愛情を注がれたが、西武鉄道の問題で、同オーナーは今シリーズ後の辞任を表明していた。日本一が、せめてもの恩返し、そして「感謝」のしるしだった。
148試合目。シビアな日々が終わった。「すべてうまくいったというか。選手たちが、ついてきてくれたというか、それに尽きると思います」と選手をほめあげた。2位からの日本一は、常勝復活の始まりを予感させる。いくつもの課題を克服しながら、強くなってきたヤングレオ軍団。伊東監督の心は、ファン、そして選手への感謝の念であふれていたに違いない。【今井貴久】
[2004/10/26/09:09 紙面から]
写真=12年ぶり12度目の日本一に輝き、祝勝会でビールを浴びる伊東監督(撮影・塩畑大輔)
<日本シリーズ:西武7−2中日>◇第7戦◇25日◇ナゴヤドーム
5度、宙を舞った西武伊東監督の目は真っ赤だった。就任1年目で日本一。「実感がわかない。すべてがうまくいった。どっちに転んでも、選手が一生懸命やっている姿だけで満足していたよ」と謙虚。プレーオフ、日本シリーズと計15試合の激戦を戦い抜いた選手に感謝した。
捕手として日本シリーズに13度出場、日本一を7度と西武の黄金期を支えた。ベンチのすぐそばに広岡、森という名将がいた。
自らの考えと両監督の選手起用を比較し「おれだったらこうする」で片付けず、自宅に戻って冷静に「なぜ?」と考えた。勝利に徹する両監督の起用法を書き留めた。その7、8冊のノートも参考に、プレーオフを日本シリーズと想定し、日本ハム、ダイエーとの激闘を制した。この日の松坂の連投での投入も、すべては勝つために万全を期すための策。今シリーズ、新人監督同士の戦いではあったが、短期決戦での「経験」と「実績」では伊東監督が1枚上回っていた。
[2004/10/25/23:31]
写真=ナインに胴上げされる西武・伊東監督(共同)
<日本シリーズ:西武7−2中日>◇第7戦◇25日◇ナゴヤドーム
故障に泣いた男が、最後に笑った。シーズン1勝に終わった右腕が、MVPに輝いた。西武石井貴投手(33)が第1戦に続く好投で2勝目をマーク。チームを12年ぶりの日本一に導いた。前半の大量リードにも気を緩めず、6回を3安打無失点。第1戦と合わせ13イニング無失点の完ぺきなピッチングを披露した。前日第6戦の松坂の好投に刺激を受け「あの男気に便乗した」。肩痛からはい上がった苦労人が、大輪の花を咲かせた。
お立ち台に足をかけると、左足のすねがうずいた。2回に谷繁の打球が左足を直撃。冷却スプレーで応急処置を施しマウンドに戻ったが、試合後に「相当痛いよ、無理だよ」と言うほど、本当は痛かった。それほどの激痛も忘れるほど、試合中は集中した。2試合、13回を投げ中日打線に1点も与えなかった。シリーズMVPを受賞し、石井貴はようやく現実に引き戻された。
公式戦わずか1勝の投手が、シリーズで2勝をマークした。シリーズの勝ち星が、シーズンを上回るのは史上初だ。「まさかね、こんな賞をいただけるとは。この2年間、肩が痛くて、我慢した結果、いい仕事ができた」。本音だった。
芸術的な投球だった。前夜の松坂の好投を受け「大輔のおとこ気に便乗した」という。だがその松坂が変化球主体の投球に活路を見いだしたのとは対照的に、直球を多投した。4回無死二塁のピンチでは、制球力を生かし、内外角をフルに活用してしのいだ。2番井端の初球、外角低めにボールのスライダーで入った。2球目は内角に141キロのシュートをズバリ。続いて内角高め、外角低めの直球でストライクを取る。カウント2−2。焦点を絞らせない。勝負球は外角低め、138キロのスライダーだ。井端に1球もバットを振らせず、見逃し三振を奪った。
復活を期したシーズンだった。昨年5月に右肩を痛め、昨季は1勝2敗。シーズンオフはなかった。11月、無人の西武第2球場を黙々と走り続ける石井貴の姿を、多くの関係者が目撃していた。年明けには熊本で山ごもりにも挑戦した。
右肩に負担のかからない投球フォームにも挑戦した。アドバイスを求めたのは、投手コーチや選手ではなく、用具係の熊沢当緒琉氏だった。外野手だった熊沢氏は98年に現役を引退。将来の指導者を目指し、球団に残っていた。その熊沢氏と野球談議をしている時、ヒントを得た。専門家でなくても、身になる話には素直に耳を傾けた。そんな石井貴の姿勢が、最終決戦での制球力を生んでいた。
後ろポケットには25年前に他界した、父秀さん(享年42)の数珠を忍ばせていた。小学生だっただけに「会話した記憶はない」と言う。そんな石井貴にも、今では3才の愛娘、百合花ちゃんがいる。「彼女もオレが何をやってるか分からないだろうけど…」。そう笑う「石井貴」の3文字は、シリーズ史の記録と記憶に確実に刻まれた。【中村泰三】
[2004/10/26/09:10 紙面から]
写真=MVPに輝いた石井貴(中央)は、犬伏(左端)にユニホームを引っ張られながらも、真っ先にベンチを飛び出す。後方は拍手する松坂(撮影・清水貴仁)
<日本シリーズ:西武7−2中日>◇第7戦◇25日◇ナゴヤドーム
初戦と第7戦で勝ち投手となり、シリーズMVPとしてお立ち台に上がった石井貴は「まさかこんな賞を取れるとは…」と口にした。計13イニングを無失点の抜群の安定感。レギュラーシーズンで1勝の投手が、大舞台で2勝を挙げた。
第1戦は気迫を前面に出し、7回を2安打、無失点で大事な初戦をものにした。この日は疲れからか、直球が走らない。それでも、数年前から肩の衰えをカバーするために覚えたシュートやスライダーで揺さぶる投球でしのぐしたたかさで6回無失点で切り抜けた。
前日は、弟分の松坂が134球の熱投で希望をつないでくれた。「大輔に便乗したって感じかな」と照れたが、心の中には当然、期すものがあった。
「なかなか勝てずに迷惑をかけた。これで使ってくれた監督に、少しは恩返しができたかな」と、笑顔を見せた。
[2004/10/25/23:20]
写真=シリーズ2勝目を挙げ、MVPに選出された石井貴(共同)
<日本シリーズ:西武7−2中日>◇第7戦◇25日◇ナゴヤドーム
6年目の悲願達成だった。西武松坂はプロ初の日本一を実感するのに少し時間がかかった。「あっけないというか…。最後に(スコアボードに)日本一と出ているのを見て、実感がわいてきました」。98年に横浜高で甲子園春夏連覇の経験はあるが「そのときとは全然違いますね。プロ入って6年でやっとですから」。
伊東監督の起用に疲れも吹き飛んだ。「5回ぐらいに、『7回か8回にいけるか』と言われました」と喜んで連投を受け止めた。日本一チームの大黒柱は、最後まで仕事をまっとうした。今年はアテネ五輪も、プレーオフもあった。今、1番したいことに「自分の中のスイッチをしっかり切ってしまうことですかね」と話す。04年の戦いは最高の形で終わった。
[2004/10/26/07:31 紙面から]
<日本シリーズ:西武7−2中日>◇第7戦◇25日◇ナゴヤドーム
第6戦に先発し、134球を投げた西武松坂が8回からリリーフで登板。2人の走者を出したが無失点で切り抜け、守護神の豊田にバトンをつないだ。
松坂は「5回ぐらいから準備をしていた。一人一人の打者に集中して、普段通りに投げられた」と充実感いっぱいの表情を見せた。
入団6年目で初の日本一をつかみ取った“怪物”は「オーロラビジョンに(日本一と)映し出されたのを見て、実感がわいてきました」と喜びをかみしめていた。
[2004/10/25/23:34]
<日本シリーズ:西武7−2中日>◇第7戦◇25日◇ナゴヤドーム
優勝は、日本一は、オレが手繰り寄せる。3点を先制した3回2死二塁。西武カブレラは狙っていた。第4戦でまったく打てなかった山井のスライダー。その軌道の残像をはっきりと脳裏に浮かべていた。外角低め。決して簡単な球ではなかったが、イメージ通りだった。打った瞬間、結果が出た。バットを放り投げ、両腕を突き上げた。4階席を直撃し、勝負の行方を決定づけた特大2ラン。やっぱり頼れる男だった。
「第4戦でやられた時に、自分の中では、山井はスライダー投手というイメージだった。だからスライダーを狙っていたんだ」。敗戦の中から学んでいた。もう、やられるはずがなかった。完ぺきに対応し、チームを日本一に導いた。「2年前、日本一を逃した悔しさがあった。今年は絶対優勝しようってみんなに言ってたんだ。最高にハッピーだ」。達成感が、体全体にあふれ出た。
有言実行だった。ダイエーとのプレーオフ第2ステージを控え、カブレラの右腕が悲鳴を上げた。3月に骨折した右腕尺骨に痛みが出た。欠場も考えた。そんな時、ともにチームを支えて来たフェルナンデスが声を掛けてくれた。「君はラインアップにいるだけでいいんだ。それが重要なんだ。後ろに君がいれば、相手は僕と勝負してくれる」。その言葉に、カブレラは出場を決めた。「今は60%の状態だけど、日本シリーズまでには必ず100%にする」と誓っていた。
プレーオフでは、そのフェルナンデスが打ちまくった。そして、迎えた日本シリーズで、カブレラは約束を果たすかのように100%の活躍を見せた。3本塁打、9打点。最後の瞬間、投手の豊田の頭上に上がった打球を必死に捕りに行った。奪うようにしてウイニングボールをつかんだ。「これは宝物。ウチに持って帰るんだ」。伊東監督に渡すこともせず、そっとバッグに忍ばせた。最後に1つだけ、わがままを貫いた。最強の助っ人は無邪気に、心から優勝を喜んだ。【竹内智信】
[2004/10/26/08:22 紙面から]
<日本シリーズ:西武7−2中日>◇第7戦◇25日◇ナゴヤドーム
日本に来て4シーズン目。初めての日本一となるウイニングボール、渡辺の飛球をカブレラが自らつかみ捕りにいった。豊田と抱き合い、押し寄せたナインの歓喜の輪にもみくちゃにされた。
昨季までの3年間で154本塁打、今季も64試合で25本塁打した豪打は、今シリーズでも十分に発揮された。第3戦の満塁本塁打を含む2発に続き、この夜は3点リードの3回に左中間席はるか上の4階席を直撃する特大2ラン。「ウイニングボールはうれしかった。チャンピオンになれてうれしいよ」とほえるように、まくしたてた。
巨人に4連敗した2年前のシリーズでは2本塁打と孤軍奮闘。今回は自身のバットが、チームの9年ぶり日本一につながった。観客をその猛打で今季も魅了してきた怪力カブレラは「今度こそ日本一になる、とみんなに言い続けてきたからね」と、目を輝かせて勝利に酔いしれた。
[2004/10/25/23:53]
写真=3回に2ランを放ちバットを投げ手を上げるカブレラ、天を仰ぐ捕手・谷繁(共同)
<日本シリーズ:西武7−2中日>◇第7戦◇25日◇ナゴヤドーム
西武自慢の選手会長・和田が優秀選手賞に選ばれた。第7戦こそ無安打だったが、第6戦まで26塁打、長打8本はシリーズ新記録で、4本塁打はタイ記録。これだけ打ちまくれば、3併殺打の新記録があっても立派な優秀選手賞だ。「勝ててよかったですよ。短期決戦だったしね」。「疲れましたか」の質問には「もう疲れは出てます。疲れた〜」と、苦笑いもこめて思いっ切り表情を崩した。
忙しくて、大活躍の1年だった。カブレラの故障で開幕当初は4番を任された。いくら打っても「4番はカブレラですから」と答え、主砲が帰ってくると5番に戻り、また打った。8月にはアテネ五輪でまた打った。長嶋ジャパンに白星をもたらす一発もあった。
強行日程を終え、帰国すると球界再編問題でも奔走した。西武は堤オーナーが1リーグ推進派だけに、球団と選手会の板挟みにもなった。「僕らはオーナーとケンカしようと思っていたわけじゃない。選手会として12球団を維持した方がいいということになったから。だから活動したんです」と、複雑な立場にも負けなかった。
迎えたプレーオフ。第1ステージ第3戦でサヨナラ本塁打を放つなど、またも打ちまくった。2年前に無安打に終わった日本シリーズでも記録ずくめの大暴れ。こんなに立派な選手会長はどこにもいないのに、一息つく間もなく、ソワソワし始めた。第1子誕生の予定日から4日が過ぎている。オフは、新米パパとして忙しくなる。【久我悟】
[2004/10/26/08:22 紙面から]