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20040619(土)

> 巨人、好継投で連夜の1−0勝利
> <巨人1−0阪神>◇19日◇東京ドーム
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>  延長11回2死満塁。代打後藤がカウント1−3から高めのボール球を選び、熱戦に終止符が打たれた。堀内監督は「上出来。出来過ぎだよ」と笑みがこぼれた。
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>  上原と福原の白熱した投手戦だった。上原が5月に左太ももを痛めた影響で120球と決められていた投球数を超えて9回まで投げ、阪神打線を4安打無失点に封じた。
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>  エースの踏ん張りに打線は7回までに3度、三塁まで走者を進めるものの均衡を破れない。監督は「きょうはチャンスをつくりながら点を取れなかった。嫌な感じがしていた。しかし、出ていった投手がよく頑張ってくれた」。上原だけでなく、10、11回に得点を与えなかった岡島、林の両左腕も高く評価した。
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>  今季5度目の阪神3連戦で初の勝ち越し、貯金も最多の8に伸ばした。苦手にしていた阪神に対し、連夜の1−0での勝利。巨人の勢いが増しそうだ。
> [2004/6/19/23:35]

先発の上原、福原、両投手の力投にシビレました(^-^)

> 安藤痛恨押し出し四球…阪神サヨナラ負け
> <巨人1−0阪神>◇19日◇東京ドーム
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>  阪神安藤は延長11回2死満塁から、痛恨の押し出し四球を与えた。チームはサヨナラで連夜の零封負けを喫した。岡田監督は試合後、「点が入らなきゃ勝てんのや」と語気を強めた。指揮官の勝利に対する執念も福原の好投も、勝利には結びつかず、やり場のない怒りだけが残った。
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>  怒りの原因は延長11回の審判の判定にあった。1死一塁で藤本の二ゴロを処理しようとした仁志と、一塁走者の沖原が塁間上で接触。仁志は一塁に送球したが、堀内監督の抗議を受けた審判団は守備妨害と判定し、沖原をアウトにした。
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>  岡田監督は「その時点で審判がアウトとせなあかんのに、アピールでひっくり返すもんじゃない」と主張。抗議は12分間にわたって行われたが、判定は覆らなかった。
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>  阪神は3連敗で首位巨人とのゲーム差も今季最大の6に広がった。後味の悪い1敗で、巨人の背中が遠のいた。
> [2004/6/19/23:35]

確かにビデオで確認した限り、あれは沖原の守備妨害ではなかったです。
そのままツーアウト二塁で再開すべきだと思いましたが…

> 森氏、合併問題をオマリー氏に聞く
> <森祇晶の緊急提言(上)>
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>  近鉄、オリックスの合併問題について、日刊スポーツ評論家の森祇晶氏(67)が緊急提言を行った。ヤンキース−ドジャース戦取材のためのロサンゼルス滞在中に、ドジャースの元オーナー、ピーター・オマリー氏と再会。オマリー氏も球団経営に苦労し、赤字拡大のため98年に愛着ある球団を売却せざるを得なかった。会談で球界全体の経営、改革における視点や哲学などについて確認し合った森氏が、3回にわたり提言する。
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>  ファンの盛り上がりを身近に感じたことで、あらためて「改革」するうえでの視点の重要性を痛感した。23年ぶりに実現したヤンキース対ドジャースの直接対決。今年で8年目を迎え、各地で観客動員を伸ばしているメジャーの交流戦は、94年のストライキから始まったファン離れに危機感を抱いた大リーグ球界が、97年に変革の一環として実施に踏み切ったものだった。
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>  今回、ロサンゼルスを訪れたのは、巨人の現役時代だった61年以来、旧知の仲でもあるオマリー氏との再会が目的の1つだった。図らずも今の日本球界は近鉄とオリックスの合併問題、さらに1リーグ制への移行もウワサされ、大きく揺れ動いている。ドジャースの基盤を築き上げ、親日家でもあるオマリー氏に、早速、球団経営のビジョン、日本球界の現状に対する意見を聞いてみた。
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>  結論を言えば、オマリー氏は日本の球団合併に、一切、批判的な言葉は残さなかった。ばく大な赤字を抱えながら球団を持ち続ける労苦は、チームを売却さぜるを得なかった自らも経験したからだろう。ただ、今でもなお、ドジャースタジアムが見える高層ビルの一角にオフィスを構え、歴代のドジャース選手の写真を壁一面に飾る彼の言葉には、野球に対する愛情に満ちあふれていた。
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>  オマリー氏「野球の試合そのものは、今でもパーフェクトで素晴らしい。だが、今はフィールド以外のことばかりが注目される時代。いろいろな問題を解決するためには、オーナー、監督、コーチ、選手だけでなく、審判やアマチュアも一緒に行動を起こさなくてはいけない。1つのチームだけが良くなるのではなく、どのチームも同じレベルにならないといけない」。
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>  実業家としては、赤字を見逃すわけにはいかない現実はある。だが、彼の心の中に「自分のチームさえ良ければ」という思いは、みじんもない。幼いころからキャンプ地ベロビーチでマイナーのチームの下働きをしていたピーター少年のドジャースへの愛情、球界への思いは今も変わっていない。彼は、そんな自分の考え方を「そんなことは常識」と言って笑った。
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>  かつてドジャースは、ニューヨークのブルックリンからロサンゼルスへ本拠地を移し、西海岸にメジャーの野球を広めた。初の黒人選手となったジャッキー・ロビンソンと契約し、さらにその後はメキシコのバレンズエラ、日本の野茂、韓国の朴とマイノリティーにも門戸を開き、常に球界の流れを見出し、つくり上げてきた。そこには、先を見据えた確かな視点と、変革への勇気があったに違いない。
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>  メジャーの交流戦は、変革のうえではほんの一部だったかもしれない。ただ、少なくとも目先の利益だけを見ていたわけではない。急展開で動く日本球界の再編問題も、目に見える形だけでなく、長期的な視点が伴ったものでなくては、何の発展にもつながらないように思う。(日刊スポーツ評論家)
> [2004/6/20/10:20 紙面から]


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