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20040517(月) 鈴木さん(T_T)

> 「元祖いてまえ打線」担った近鉄・鈴木コーチが急死
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>  近鉄の平成元年パ・リーグ優勝時の主力打者で、現二軍打撃コーチの鈴木貴久氏が17日午前1時17分、急性気管支肺炎のため大阪府八尾市内の病院で死去した。40歳だった。急死だったことから解剖され、病死と分かった。自宅は大阪市平野区長吉川辺3の9の10の814。通夜は18日午後7時、葬儀・告別式は19日午前11時半、大阪市平野区長吉川辺3の8の43、平野中央メモリアルホールで。喪主は妻、ゆかりさん。
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>  突然の悲報だった。鈴木氏は、二軍打撃コーチとして参加していた15日の阪神戦(鳴尾浜)の試合前の練習中に腰痛を訴えて早退、翌16日は自宅で休養していた。球団によると、数日前から風邪で微熱があり、17日未明になって容態が急変した。
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>  17日のダイエー戦前、福岡市内の宿舎でのミーティングで、藤瀬管理部長が選手や球団関係者に報告。全員で黙とうを行った。この日からのダイエー3連戦は喪章をつけて試合に臨む。
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>  いてまえ一筋だった。鈴木氏は豪快な打撃で、87年から4年連続20本塁打以上。石井浩郎やブライアントらとともに、元祖いてまえ打線の一角を担った。00年オフに引退し、翌年から二軍打撃コーチに就任。次世代のいてまえ打線の育成に当たり、将来の幹部候補だった。
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>  ときには憎まれ役も買って出る熱血漢。「社会人や大学から入った選手は寿命が短い。早く矯正しないと、ダメになる」。大卒の大西や山下らをスパルタで育て上げたが、志半ばで無念の他界となった。
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>  後任コーチは当面、決めない方針。藤瀬管理部長は「数少ない大きな人材を失った。これからもチームの役に立ってもらおうというときに…」と沈痛な面持ちで話していた。
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> ■鈴木 貴久(すずき・たかひさ)
>  昭和38年11月20日、北海道旭川市生まれ。40歳。旭川大高から電電北海道(現NTT北海道)を経て、昭和60年ドラフト5位で近鉄入団。61年に一軍に昇格。62年から4年連続20本塁打を記録。平成9年4月8日には、大阪ドーム公式戦第1号アーチを放つ。10年に引退。11年から二軍打撃コーチ。通算成績は1501試合、打率・257、192本塁打、657打点。1メートル75、84キロ。右投げ右打ち。現役時代の背番号は2。
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>  ◆はごろもクリニック(横浜市中区)の富名腰文人院長(52) 「気管支肺炎だけで死に至ることは考えにくく、最初の症状の腰痛から考えられるのは、ピリン系の鎮痛剤を服用しなかったかということです。成人以降にぜんそくの既往があれば、発作を誘発し、気管支肺炎から心不全に至った可能性もあります」
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> ★パドレス大塚からも驚きの電話
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>  大阪市内でウエスタンリーグ会議に出席していた足高球団代表も福岡入りを取り止め、対応に追われた。「顔を見た時はたまらんかったね。将来的には一軍で、と思っていただけに…。惜しい人材をなくしました」と目に涙。元近鉄で米大リーグ・パドレスの大塚から電話があったことも明かし「彼も『本当ですか? いろいろお世話になったのに…』と驚いて声にならない様子でした」と話した。
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>  ◆元近鉄監督の仰木彬氏 「私が監督のときの主力で、10・19のメンバーだったしね。九回に梨田のヒットで本塁に滑り込んで、勝ち越しを決めたシーンは忘れられない」
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>  ◆近鉄・藤瀬管理部長 「大きな人材を失った。これからもチームの役に立ってもらおうというときに…」
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>  ◆西武・伊東監督 「ビックリしました。いい選手でした。将来的には一軍コーチや監督になる幹部候補生だったと思う。何度か対戦してますが、思いきりのいい選手でした。残念です」
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> ■最近の主な球界の亡者■
> 年 月  日 氏 名 年齢 所属 死因
> 平14. 8.23 武上 四郎 (61) ヤクルト 肝不全
> 平15. 3.19 小野 正一 (69) 中  日 胃がん
> 平15. 6. 2 小鶴  誠 (80) 広  島 心室細動
> 平15. 9.18 広田  順 (81) 巨  人 老衰
> 平15.11.19 滝  安治 (62) 巨  人 肝硬変
> 平16  3.26 野口 正明 (79) 西  鉄 心不全
> 平16  5. 4 新治 信治 (62) 大  洋 心筋症
> 【注】所属は現役最終所属
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> ■鈴木貴久・年度別成績■
> 年度 所属 試合  打数  安打  本  点   振  球  打率
> 61 近鉄  63  127   30   9  15  27   7 .236
> 62 〃   119  450  118  21  54  89  31 .262
> 63 〃   123  378   93  20  54  71  37 .246
> 平元 〃  118  412  118  20  57  64  36 .286
>  2 〃   122  422  114  22  71  59  45 .270
>  3 〃   127  431  116  18  63  75  60 .269
>  4 〃    61  167   31   9  26  42  25 .186
>  5 〃    86  276   58  10  37  45  25 .210
>  6 〃   120  430  113  19  73  74  51 .263
>  7 〃   123  423  107  16  50  69  51 .253
>  8 〃   122  426  114   9  50  76  52 .268
>  9 〃   125  436  114  10  53  67  44 .261
> 10 〃   108  278   76   5  36  38  23 .273
> 11 〃    73  101   22   4  16  10  10 .218
> 12 〃    11   20    2   0   2   6   0 .100
> 通算15年1501 4777 1226 192 657 812 497 .257
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> 「いてまえ魂」で近鉄逆転、天国の鈴木さんに勝利よ届け
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>  (パ・リーグ、ダイエー4−6近鉄、9回戦、ダイエー5勝4敗、17日、福岡ドーム)。ウイニングボールよ、天国に届け! 鈴木貴久二軍打撃コーチの突然の悲報を受けた近鉄ナインは、喪章をつけてダイエー戦(福岡ドーム)を戦い、弔いの逆転白星を飾って、元祖いてまえ打線の一角を担った先輩に贈った。〔写真:この球を霊前に供える。鈴木氏の弔い合戦を飾った近鉄・梨田監督は表情をゆがめ、中村からウイニングボールを受け取った=撮影・林俊志〕
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>  泣いていた。目頭を押さえても、こみ上げる熱いものを抑え切れない。試合後、ロッカーから出てきた梨田監督は目を真っ赤にして、天国の“鈴”にそっと感謝した。
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>  「自分たちと同じユニホームを着た人が亡くなるのはね…。きょうは鈴が勝たせてくれた」
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>  何としても負けられなかった。この日、福岡に届けられた、鈴木二軍打撃コーチの突然の悲報。試合前に黙祷(もくとう)をささげ、全員の左肩に喪章をつけて臨んだ。
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>  しかし、動揺は隠せない。勝たなければいけない思いが力みとなり、三回までグーリンの前に無安打。元祖いてまえ打線の一角を担った誇りを持ち、時には後輩に対して鬼になった鈴木コーチの姿が脳裏をよぎる。普段は温厚な紳士として知られる指揮官は、あえて円陣を組ませ「みんないろんな思いがあるだろうけど、リラックスして打たないと」と檄(げき)を飛ばした。
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>  天国に哀悼の思いを届けたのは七回だ。1点差とすると、なお一死二、三塁で水口が左翼線を破る2点二塁打。「あの回に気持ちが集中していた」。二塁ベース上で左肩の喪章をぎゅっと抑えてみせた。さらに礒部の2点適時打もあり、打者一巡で一挙5点で逆転。まさに、鈴木コーチの継承してきた『いてまえ魂』での逆転勝利だった。
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>  10年間現役をともにしてきた水口は「スタイルがすべて手本でした。師匠ですからね…」と涙で言葉を詰まらせた。がむしゃらに練習し、打席では常に勝利を信じて豪快にバットを振る。いてまえの魂をその背中で学んだ。「オレのまねばっかりしやがって!」。最高の“ほめ言葉”が思い起こされる。黄色いタオルで何度も、何度も、ほおをぬぐった。
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>  「このボールをあさって(19日)、霊前に供えてくる。きょうはみんなで勝った1勝です」
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>  指揮官は、右手のウイニングボールを握り締めた。昭和63年、伝説の“10・19”ロッテ戦のダブルヘッダー第1試合で自らが決勝打を放ち、鈴木コーチを本塁へ迎え入れた思い出がまざまざと胸に浮かぶ。この年、最終戦の第2試合に引き分けて西武に優勝を譲り、翌年、雪辱のV。しかし、悲願の日本一はいまだ果たしていない。旅立った“弟”に、Bクラスからの逆襲を心に誓った。
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>  19日に大阪市内で行われる葬儀。継承し続ける『いてまえ打線』でもぎ取った福岡ドームでの今季初勝利に、きっと鈴さんも浮上の手応えを感じて、天国からほほえんでくれるに違いない。
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> (澄田垂穂)
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> ★ナイン追悼コメント★
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>  ◆近鉄・中村 「鈴木さんの気持ちがここまで届きました。さみしいというか悲しいというか…。まだまだ教えてもらいたいことがたくさんある」
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>  ◆近鉄・的山 「去年の秋季キャンプもつきっきりで打撃を教えてもらった。背番号『2』も継いだし、特別な思いがありました」
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>  ◆近鉄・大村 「一緒に中堅と左翼で守ったし、大阪ドームのロッカーも隣の隣。体が強いから、オレは大丈夫って思ったんじゃないですか。明日も勝って、今日の勝ちを意味あるものにしないといけない」
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>  ◆鈴木コーチのまな弟子だった近鉄・大西 「今のボクがあるのは鈴木コーチのおかげ。ヒット1本じゃ褒めてもらえないと思いますが、勝ってよかった」
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>  ◆近鉄・礒部 「捕手から外野になって、ボクらが引退させたようなもの。去年の秋季キャンプでいろいろ教えてもらったし、今でも信じられない」
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>  ◆鈴木コーチと同期入団の近鉄・山下バッテリーコーチ 「とにかく勝ってよかった。まだ信じられない。コーチで入ってきて4年間、同期でよく遊んでくれた。今日が一番つらかった」
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> ★パウエル笑顔の今季初勝利
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>  パウエルが9度目の先発でようやく今季初勝利。「長かった。点を取られた後も低く投げようと心掛けたのが良かった」と喜んだ。救援陣が打たれたり、不運な面もあったが、これで流れも変わりそう。「(昨年10月に生まれた)長男にようやく白星をプレゼントできたし、鈴木さんにも勝ちを贈れて良かった」と笑顔を見せた。
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>  ◆初勝利のパウエルに近鉄・久保投手コーチ 「冷や冷やだったが、ベンチも本人も辛抱した。丁寧に投げていた。白星がついたので、これからでしょう」


猛牛打線の一翼を担った鈴木さんがお亡くなりになりました。
40歳。
あまりにも早すぎる。
うぅ…鈴木さん(T_T)

6番ライト、鈴木。背番号2
藤井寺球場に響くウグイス嬢の声を僕は、忘れません。



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