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ありがとうございました。さて、前回Jにインタビューさせてもらった時に、「パンクのおかげで、資本主義社会の、全てを用意済みのものの中から選ばされるような人生とは別の生き方を選んでもいいんだっていう事が分かった」という発言を聞いたんですが、実際にはアメリカの資本主義の中で別の生き方を選ぶってことはすごくタフなことなんじゃないかと思ったんですけど、どうでしょう? J:さぁ、どうなんだろう?。 Mike:西洋社会の消費資本主義は本当にひどいから……。 J:う〜ん……でも、これは白黒がハッキリ区別された、アニメのように単純な政治的スタンスとは違うんだよね。僕にとっては……僕にとって一番大事なのは、違う考えを持った人たちがそれぞれの立場を尊重しあって、コミュニケーションを計れるような社会――つまり、僕が望む社会――であって。でもそれとは反対に、ただ単に物を消費するだけの社会――つまり、今の社会――というものがある。今の時代、自分の望む社会を築くことは到底ムリな状況にあると思う。今の世界はそういう風には作られていないから。うーん……でも社会はシェア出来るものであり、自分自身も社会作りに貢献できるという概念を忘れてしまうのは悲劇だよ。うん、確かに君の意見に賛成する。何をしたらいいのかっていうステートメントを表明することもハードな時代だし、こういうスタンスでポリティカルになるのはハードだね。 やっぱり「パンク」っていう言葉を起点に語ってしまいがちなんですけど、そういういわゆる資本主義的な社会に対する自分の対処の仕方っていうのか、自身のあり方っていうものについては、SEIKIさんもバーニング・エアラインズのスタンスから影響というか刺激というか、何か考えさせられたりする部分はありますか? Seiki:日本にいてってことですか? ええ。 Seiki:うーん……おそらくそこまで深くは思ってないと思うんですけど……。僕は、地域にいて影響される政治的なことはあまり自分の音楽に持ち込みたくないんですよ。それよりも、もっと良い曲を書いたり良いメロディを作ることの方が重要なわけで。『パンク・ロックだからこうしなきゃいけない』とか『パンク・ロックだからこういう佇まいをしなきゃいけない』っていう事は基本的にはあまり意識しないですね。意識しないっていうか、そういう事が嫌で。嫌だったんですね。 でもNAHTの歌詞を読んでみると、いわゆるカギカッコで括った「政治」の話は入ってないですけど、何かある種、この世の中での自分の生き方に対する考えみたいなものが表れていて、それは1つの、個人の中での政治的な意志表明だと感じられるんですけど、どうでしょうかね? Seiki:うーん、毎日ふつうに生活してても、政治を感じることは多々あるんですね。本当に些細なことでも、要は力の強いものが力の弱いものを圧力で押し付けているような状態だったりとかがすごく嫌なんです。ただ作品として発表する場合に僕が興味があるのは、もちろん僕はそういう政治の中で生きているんだけど最も興味があるのは、自分の心の中の秩序であったり、心の中の勢力地図だったり、自分の中のモラルのせめぎ合いであったり……そういうものの方が興味がある。歌詞に書く時には内側にある政治、心の中の政治世界を出すようにしているのかも。 J:うん。僕もそれに賛成するね。確かに音楽は人々の心を動かす大きな力を持っていると思うけど、音楽の中で政治問題について事細かく話すのは何か違うと思う。音楽はエモーショナルなものであって、論理的に物事を語る場ではないと思うんだ。エモーショナルに政治を語るっていうのは、何かイージー過ぎるような気がするし、違和感を感じる。それよりはパーソナルな側面を出した方がいい。でも、与えられたものだけでは満足しきれずにギターを手に取って曲を作る……そういう意味では僕もポリティカルなんだろう。分かるかなぁ? さっき君が言ったように、与えられたものを買うことでハッピーになれるんだったらいいのかもしれないけど、それでハッピーにはなれない人は、自分自身で何かを作り上げなければならないんだ。そういうのも政治的なことって言えるかもしれないね。 ちなみに、NAHTのアルバムでSEIKIさんが英語を使って書いた歌詞について、どのような印象というか感想を持っているか教えてもらえますか? Mike:素晴らしいと思うよ。僕は大好きだね。最高だと思う。英語を日常的に使っている人間から見ると、こういう風に日本語から変換された英語は、また違う感じに、非常に詩的に聴こえるよ。すごくクールだと思う。 J:僕は曲の中で彼が何を言いたいのか分かるけど、それが歌詞としてストレートに書かれているわけではないのに、なんとなく伝わってくるっていうところが非常にいいと思う。 Jも歌詞はストレートにではなく、ちょっと凝った言い回しみたいなのを使って書く人ですけど、SEIKIさんもそういうJの歌詞の書き方に魅力を感じている部分ってありますか? Seiki:うーん、魅力はもちろん感じますよ。Jの歌詞って、自分の傷口を見ていくとか、そういう自虐的な部分の歌詞が多かったりするんですけど、僕もどっちかと言えば、手法はわりとさらけ出してしまう方だけど……。初めてJAWBOXの歌詞を読んだ時に、何かすごく近いような、同じような感覚を持った時がありましたね。 あからさまに『傷口が痛いんだよ』っていう事を訴えてる歌詞じゃあないじゃないですか? Seiki:そうですね。 それが別の凝った言い回しの中で表現されていることが、すごく伝わったっていうことですね。 Seiki:うーん。歌詞の表現は、これはある種の芸術だと思うんですね。ある種、小説家と同じくらい意識しなきゃダメなんだろうし、それくらい慎重にやらなきゃダメだと思うんですけど。僕はわりと直接的な歌詞ですけど、Jはすごく文学的っていうか、捻り方も独特なJ節っていうか、思わずニヤリとしてしまうような捻り方があると思うんですよ。 はい、それでは残念ながら時間が来てしまったようなので、最後にスタジオ技術的な質問をひとつさせてください。『Identikit』ではデジタル編集も使ったという話を聞いたんですが、どの曲のどの部分で使ったのですか? J:“Everything Here Is New”の中の1つのアレンジ……ABABABBみたいな感じのアレンジ2箇所で使ったんだけど……まず音楽は最初からあって、それにどうやって歌をつけたらいいのかずっと分からないでいたんだ。でも、とりあえずインストだけのヴァージョンは作っておいて。で、ヨーロッパ・ツアーから帰ってきてからベーシック・トラックの前半部分をレコーディングした。これは計画的だったんだけど、6週間この曲をツアーでプレイして、そこから戻ったらすぐにスタジオに入って、あまり考えない内に作ってしまおうって事になっていて、少し練習をしただけでレコーディングしたんだ。それから歌の部分とメロディを考えて、少しだけ曲も変えていったんだけど、それまでに録ったサウンドがすごく気に入っていたから、それを録り直さずに、そのままコンピュータ上で処理することにしたんだよ。16トラックのベーシック・トラックをコンピュータに入れて、それをコンピュータ上で処理してから2インチ・テープに戻して完成させた。それから……アナログのトラックがいっぱいになっちゃったから確かパーカッション部分もコンピュータ上で処理したなぁ。バック・ヴォーカルもそういう風にした。でもデジタル編集はほんの少ししか使ってないよ。 デジタル編集そのものに創作的な面で刺激を受けたというよりは、単純にやるべきことをやるために使ったっていう感じなんですかね? J:うん、ただ単にコンピュータがそこにあったから使ったっていうだけさ。使えるものは何でも使うよ。とにかく一番大事なのは曲そのものなんだから。 いわゆるリミックス・ワークみたいなものには興味は? J:それにはすごく興味があるね。レコードを作るプロセスの中で僕がすごく好きなのは、出来上がった音をコンピュータを使っていじってみるっていう行程なんだ。
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