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バンドの自己破壊ですか? Ian:関わる人々全員だよ。ああいったヴェニューは、全部とは言わないけど、要するにバーだからね。煙草を吸って酒を飲むための場所だ。ついでに、その他の望ましくない行為もいろいろ(苦笑)。別に、ロック・クラブの経営者が悪だとは思ってないし、ロック・クラブそのものが害悪だとは思ってないよ。でも、人々の自己破壊行動をあてにした商売だってことは確かなんだ。酒も煙草も飲まない僕らのような人間が、そうしたシステムに荷担するなんて、ものすごく皮肉なことだと感じてね。音楽は必ずしもそんなセッティングでしか公開できないものではないと思うんだ。音楽、特にロックンロールは、パーティーすることと関連付けられてきた。意図的に、というよりも、そういうカルチャーが形成されてるんだよね。パーティーとレクリエーション。セックス・ドラッグ・アンド・ロックンロール。一般にそう見られてる。でもこれは決して自然なことじゃない。本来の形ではないと思うんだ。たとえば……バレンタイン・デーのお祭り騒ぎと似たところがあるんじゃないかな。日本でもバレンタイン・デーはある? ありますよ。アメリカより酷いかもしれません。 Ian:そうなんだ。でも考えてもみなよ? 誰かを愛することは素晴らしいことだし、愛を告白することも素晴らしいことだ。愛を告白する日を設定することも別に悪いことではない。でも、現在の異常な規模のバレンタイン商法は、愛とは何の関係もない。むしろ、人々の罪悪感を利用した商売だよ。 (笑)。 Ian:何かしないと罪の意識が生まれるように仕向けられてる。罪の意識なんて愛じゃないよ。同じようなことが音楽にも言える。僕は、音楽を神聖なものとして見てるんだ。非常にパワフルな表現手段だと思う。人々が集合するポイントになりうる。人々は音楽のために集まる。僕にとってこの上なく大切なものだ。でも、音楽業界が音楽をどういうものにしたかというと、例えばギターを弾くならジャックダニエルズのボトルを持たなきゃならないとか、全然意味のないことだよ。これなんかも、様々な角度からながめてみる必要がある。おかしくないか? ギタリストの多くが煙草をくわえてるのは偶然だろうか? もちろん偶然じゃない。作り出されたイメージなんだよ。しかも身体に悪い。イメージに惑わされると大切なものを見失ってしまう。いちばん大切なのは音楽だよ。 イーヴンスは公園でフリーライヴを行なったり、いきなり当日に告知を行なうだけの抜き打ち形式でライヴをやったりするそうですね。 Ian:いや、ギリギリになることはあるけど、いきなり当日ってことはないよ。さすがにあらかじめブッキングはしてある。ストリート・ミュージシャンではないからね。でも、1週間から10日ぐらい前に決まったライヴをやったことならあるな。そういうやり方は結構好きなんだ。 通常のバンドがやっている「ライヴハウスのブッキング、様々な媒体を使っての情報告知」という形態を逸脱した演奏活動を行なっていこうという意識も高いようですね。この行動はどのような考え方に基づくものなのでしょうか? Ian:メディアを使っての告知なんてどうでもいいと思ってるんでね。興味を示してくれそうな人々には知ってもらいたいけど、聴きたいと思って来た観客が50人いてくれれば……だって、イーヴンスは日本で有名なバンドではないからね。フガジなら、知ってる人は結構いるかもしれない。でも、フガジを観たくて来た客200人より、イーヴンスを観たくて来た客50人の方がいいんだ。新しいアイディアというものは、2000人の前では起こらない。新しいアイディア、新しいアプローチというものは、20人〜25人が目撃するもんなんだ。誰かがステージに出てきて、びっくりするくらいラジカルなことをやったのを観たことある? そういう時、アリーナみたいな所で観てる? 絶対に違う。どこかの地下室とか、小さなクラブとかであるはずだよ。僕はそういうものにしか興味がない。観客の数は重要じゃないんだ。ペイするかどうかだけだよ。日本までは行くのも金がかかるし、日本は物価が高いから、今回はその点が気がかりだったんだ。バンドも赤字は出したくないし、招聘元にも出して欲しくない。儲けは出なくていいから、必要最低限の交通手段の手配と、食べることと、寝る場所の確保だけしておきたい、重要なのはそれだけなんだ。僕はその辺のことをじっくり考えて、用心深く行動する質なんだ。 わかりました。イーヴンスではギターとドラムスだけ、という最小人数でのバンド編成をとっているわけですが、こうした形での表現の可能性をどのように考えていますか? Ian:2人だとやりやすい面と、やりにくい面、両方あるね。3人とか4人のバンドだと、何か決めようとする時、簡単には意見がまとまらないけど、イーヴンスは一人一票ずつの民主主義なんだ。だから、種類の違うエネルギーがあるんだよ。エイミーとはバンドだけのつき合いじゃないしね。一緒に住んでるし、強い結びつきがある。フガジの時のツアーは6人から8人で回ってたから、ホテルに人数分の部屋をとっておくことは必須だった。でもエイミーと回る時は「ベッドをひとつ用意してくれればいいから」って調子だから、簡単だよ。それに、フガジや、その他のバンドでのツアーには、どうしても「愛する家族・友人達と離ればなれになる」という側面があった。今はその点もクリアされて、あまり問題にならないしね。 サウンド的には満足していますか? 例えば将来的に他の楽器を入れてみる可能性などはあるのでしょうか。 Ian:完全に満足することはないけどね。これまでもずっとそうだったし。でも、今のサウンドは気に入ってる。たまに、ジョー・ラリーにベースを弾いてもらいたいな、と思ったりはするよ。彼とは本当に長い間、一緒にプレイしてきたからね。フガジが結成される1年前からプレイしてたし、9年間一緒に住んでた親友同士だったし。僕にとってパーフェクトなベース・プレイヤーなんだ。だから、作曲していて頭の中でベースラインが聞こえることがあって、彼が弾いたら完璧だろうとは思うけど、今はちょっと不可能だね。でも分からないよ。将来的にはもしかしたらトランペット・セクションが入るかもしれない。まあ、現時点ではまったく想像がつかないし、特に厳密に考えてはいないよ。今考えてるのは、このインタヴューのことと、新曲を書いていくこと。それだけだからね。 あなたの担当楽器を単に「ギター」とするのでなく、「バリトン・ギター」と記すことに、なにか特にこだわりはあるのでしょうか? Ian:バリトン・ギターってどんなものか知ってる? ベースとギターを組み合わせたような楽器なんだ。だから普通のギターよりも低音が出る。もちろんコードも弾けるよ。本来はサーフ・ギターとして発明されたものなんだ。コードを弾くと少し淀んだ音になる。マカロニ・ウエスタンの映画音楽を作ったエンニオ・モリコーネが多用していて、その印象が強い楽器だね。僕がこの楽器を好んで使ってるのは、このバンドの特徴として静かめなサウンドというのがあるからなんだ。ほとんどの場合、クリーンな音色を2人だけで奏でるわけで。この楽器にはギターじゃないように聞こえるライヴな次元があって都合がいいんだ。バリトン・ギターと記しているのは、実際にバリトン・ギターだからだよ。ベースを弾いてたら“ベース”と書くように、バリトン・ギターを弾いてるからそう書いたまで。“バリトン”とだけ書いたら、たぶん分からないだろうし。バリトンの何?ってことになってしまう。 (笑)。観客に合唱させてみたり、リラックスした空間での演奏だったりするなど、アーティストとオーディエンスの壁をとっぱらいたいという意図も大きいようですが、日本では言葉や気質の問題から、オーディエンスに歌わせることは難しかったりもしますし、会場も普通のライヴハウスになってしまうなど、制限も多いかと思うのですが、どのように対処するつもりでしょう。 Ian:まったく分からない。やってみないとね。そういうことはあらかじめ計画を立てないんだ。ステージに出たら、椅子に座って、演奏して、反応を見ながら……誰も「今日はどうやって歩こうか?」なんて考えないだろう? 道がでこぼこだったり上り坂だったりしたら、それ相応の歩き方をするし、下り坂だったらリラックスする。シチュエーションによって臨機応変に対応を変えなければならない。集まってくれたオーディエンスを信用して……決して僕を殺しに来たわけじゃないと思うからね。 (笑)。 Ian:金を勝ち取るために行くわけでもないし。僕は自分の音楽をプレイするだけなんだ。客にウケれば最高だけど、ウケなくたってそれはそれで。みんなから「最低だった」って言われれば、「時間を無駄にして悪かったね」って謝って、今後日本には行かないようにするだけさ。 そんなことは絶対ないと思いますが。 Ian:とにかく、こっちとしてはそんなに心配してないんだ。
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