Easy Blog







Tokyo, 2008. 2. 29
text by Yoshiyuki Suzuki
interpretation by Keiko Yuyama
translation by Satomi Kataoka

← Prev | 1 | 2 | 3 | Next →

色彩豊かなUSインディー・シーンの中でもひときわユニークな音楽性を持ち、西南の町サンディエゴで独自の存在感を放っているピンバック。このインタビューは、2008年2月にアルバム・リーフとの共同来日ツアーが実現した時にとったもので、当初はもう1人の中心メンバーであるロブ・クロウも同席するはずだったのだが、非常にエキセントリックな性格の持ち主である彼は、当日になって全ての取材を相方のザック・スミスに押し付けて逃げてしまった。特に怒るわけでもなく1人で取材を引き受けていたザックは、にこやかな笑顔で饒舌に語るナイスガイだったが、ロブと長年つきあっているだけに、その本名同様、どこか端々におかしなところも感じさせるところがまた素敵だった。
なお、『アメリカン・オルタナティヴ・ロック特選ガイド』でもフォローできなかった話題だが、ご存じの通りタッチ・アンド・ゴーは2009年になって唐突に新譜のリリース事業を休止。ピンバックは所属先を失ってしまうが、どうやらTemporary Residenceという新進のレーベルに落ち着き先を見い出したようだ。
このピンバックを筆頭に、関連バンドだけでもスリー・マイル・パイロット、ブラック・ハート・プロセッション、ゴブリン・コックなど、サンディエゴには面白いバンドがたくさんいるので、ぜひ注目してほしい。

「俺たちもともと『エイリアン』や『エイリアン2』みたいなSF映画の大ファンでさ。で、そろそろバンド名を決めようって頃に、ロブが「この『ダーク・スター』って映画を観てみろよ」って……」

最初にあなたのバックグラウンドから訊きたいんですが、サンディエゴで、どんな音楽環境に育ったのでしょう?

Zach:レゲエをよく聴いてたね。ボブ・マーリー、ピーター・トッシュ、トゥーツ&ザ・メイタルズ、アイニ・カモーゼ、あとイエローマンとか。13歳くらいの頃にハマってたよ。で、その後いきなりデッド・ケネディーズとかDEVOとか、XTCとかポリスの方に跳んじゃったんだ。

レゲエから、そういうニューウェイヴな音に興味が移ったのは、どんな理由で?

Zach:音楽を実際に始めた頃のことなんだけど、バンドをやってた友達がベース・プレイヤーを探してて、話を聞いたら面白そうだったから、試しに弾きに行ってみたんだよ。「実はベース弾いたことないんだけど」って言ったら、「平気、平気、パンク・ロック・バンドなんだから下手でいいんだよ」みたいな感じで(笑)。

じゃあ、そのバンドに入ると決まってから、パンクを聴くようになったんですね。

Zach:ほとんどそんな感じだったね、うん。それまではそんなによく知らなかったし。で、その友達の叔父さんがバンドのリーダーだったんだけど、ちょっと年上だったこともあって、その人に色んなパンク・バンドのことを教えてもらったんだよ――MDCとか、いろいろね。

レゲエを聴いていた頃は、まさか自分がパンク・バンドで楽器を弾くことになるとは、思ってもいなかったですか?

Zach:ああ、実際、親父が音楽をやってて、しょっちゅう友達とジャムったりしてたから、逆に子どもの頃は音楽が大嫌いだったんだ。“父さんと出かけたい”と思っても、親父は仕事のないときはいつも音楽やってたから、俺はいつも放ったらかしでその辺でひとりで遊んでたよ。だからむしろ子どもの頃は、音楽が嫌いだったわけ。

お父さんもレゲエをやってたんですか?

Zach:いやいや、親父はジャズだけど、まさか自分が音楽にハマるなんて思ってもいなかったよ。音楽を好きになること自体、しばらく時間がかかったし……たぶん、音楽に八つ当たりしてたんだよね(笑)。“なんで父さんのジャズなんか聴かなきゃならないんだよ? 一緒に遊びに行こうよ!”って。

それは何歳くらいの頃の話ですか?

Zach:10歳とか、そのくらいだね。で、さっきも言ったように、13の頃やっと音楽が本気で好きになり始めたんだ。

その時に聴きはじめたのがレゲエだった、と。

Zach:そう、でも今のレゲエはあんまり好きじゃないんだよね、アハハハ。

(笑)。

Zach:好きなのも一部あるけど、好きじゃないのが大半。

バンドを始めた当時、地元にはどんな音楽シーンがあったんですか?

Zach:ふたつのジャンルしかないのも同然だったよ。まず、サンディエゴはサーフィンが盛んだから、レゲエ・バンドがすごく多くて、残りは全部パンクって感じだったね。しかもそれぞれ地域が限定されてて、海側のサーフィンが盛んな地域はレゲエ・バンドが多くて、市街地や工業地域はパンク・バンドが多いって感じだった。実際、僕がパンクを聴くようになったのも、そういう場所のシーンを通じてだしね――サンディエゴの南のトゥラ・ヴィスタっていう街で、パンク・ロックがすごく盛んなところなんだけど、俺が初めて入ったバンドのネイバーフッド・ウォッチもそのひとつだったんだ。

あなたがピンバックの前にやっていたスリー・マイル・パイロットは、サンディエゴのパンク・シーンの一時代を築いたバンドのひとつだと思うんですが、自分たちが現場を盛り上げて、作っていったんだ、という自覚はありますか?

Zach:ああ、うん。ただ俺たちがやってたのは、いわゆるパンク・ロックとは少し違ったタイプの音楽だったけど。とにかく、スリー・マイル・パイロットの元メンバーで、今はブラック・ハート・プロセッションにいるポール・ジェンキンスが、当時トゥラ・ヴィスタのパンク・バンドでも活動してて……バンドの名前はド忘れしちゃったな――親友のバンドなのに、名前が出てこない!

(笑)。

Zach:もう20年前の話だからなあ(苦笑)。でも、そのバンドと俺たちのバンド(ネイバーフッド・ウォッチ)が一緒によくライヴで共演するようになって、それがきっかけで彼とバンドをやるようになったんだよ。俺のもうひとりの親友で、スリー・マイル・パイロットでもドラムを叩いてたトム・ジンザーが、当時ネイバーフッド・ウォッチでキーボードを弾いてたんだよね。さっき話した、俺にパンク・バンドでベースを弾かないかと誘った友達、っていうのがそのトムで、そのバンドがネイバーフッド・ウォッチだったわけ。そんな感じで、トゥラ・ヴィスタのパンク・シーンを通してみんな知り合って、一緒に音楽をやるようになったんだ。みんな“なんでも自分たちでやる”っていうDIY精神で、すごくアンダーグラウンドな音楽をやってて、ラジオはゴミだと信じてた。

(笑)。

Zach:そういう環境から生まれたのが、スリー・マイル・パイロットだったんだよ。


← Prev | 1 | 2 | 3 | Next →

Special Issue | Interviews | Articles | Disc Reviews
Core BBS | Easy Blog | Links

© 2009 HARDLISTENING. all rights reserved.