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わかりました。もう一つ、あなたの世界観の中にはカトリック教への反発というのがすごくあるわけですけれども、カトリック教徒として育てられた中で、具体的に何をきっかけにそれに対する反抗心に目覚めたんでしょうか? 具体的なエピソードがあれば教えて欲しいんですけれども。 Brian:いや、具体的なきっかけがあったわけじゃくて、ただこういう大人になっただけなんだ(笑)。カトリックの教義に対しては思い出せる限りずっと反発してたね。間違ってると本能的に感じてたんだ。何らかの神に対して「世の中が良くなりますように」と祈るのに、教会も司祭も必要ないと思う。そして、もし本当に超越した存在が書いた本なら、誰も異議を唱えられないような完璧なものになるはずだ。聖書が神の言葉なら、こんなに世界中にたくさんの宗教があるというのはおかしい。矛盾を含まない文章なら僕にだって書ける。神に書けないわけがない。なのに、どの宗教も矛盾を含んでいる。僕はカトリック教会を公然と非難する。撤回することはないだろう。死ぬまで嫌悪し続けると思う。洗礼を取り消すことができればやっているよ。カトリック教会と関連づけられるのはどんな形でもごめんだね。人類の歴史の中で一番カトリックを嫌う男、と自分では信じている(笑)。カトリックだけでなく、宗教組織はどれも嫌いだけどね。宗教は服従を要求する。それと戒律の厳守。でも、例えば誠実さを美徳とするのはキリスト教やイスラム教の専売特許ではない。人類共通の美徳だ。僕は信仰の自由を制限するべきだとは思わない。それは人間の権利だ。ただ、宗教的な教義や教理に反対なだけなんだ。そういうものは人間の不安感につけ込んだ詐欺だと思う。コーランや聖書は部分的にしか知らない人が多いかもしれないけど、一度じっくり読んでみたらいい。いかに矛盾や食い違いが多いかが分かるからさ。デタラメだらけだよ。だからといって「神はいない」と言うつもりはない。それは僕には分からない。僕は神が存在するとも存在しないとも証明できない。誰もが神の存在は信じたいし、存在して欲しいと思っている。愛する人々といつか再会したいのと同じようにね。でも、宗教を信じることで他人に自分の人生を支配されたくない。僕は誰にも支配されていないし、誰を支配したくもないんだ。 カトリックとして育てられたということはまわりに厳格なカトリックの人たちが一杯いたということだと思うんですけれども、あなたが成長してそれに矛盾を見つけて異議を唱えていく過程で、何かトラブルのようなものはあったんでしょうか。 Brian:ああ、それはかなりあった。まず言っておきたいんだけど、僕は信仰を持っている人々が迫害されるべきだとは思っていない。ローマ教会に忠実な人々は、価値観が凝り固まっている傾向が強くて、他の宗教に対して排他的だ。確かに、僕の周りには子供時代から保守的なカトリック信者の家族が多かった。僕の両親はそんなに厳しいというほどではなかったけど、祖父母は厳しかったね。どんな宗教集団でもそうだと思うけど、そんな環境の中では、たとえ本心に目覚めても行動に移すのは難しい。社会的に普通だとされている範囲から逸脱したら、後ろ指さされたり共同体から追い出される可能性があるからね。でも僕の場合、かなり小さい頃から、学校で司祭に楯突いたりしてたのを覚えてる。まだ自分の言っていることに確信が持てたわけじゃなかったけど、自分の方が正しいってことは、直感的に分かっていた。司祭に顔を殴られたことが何度もある。皮肉に思えてならなかったよ。愛と敬うことを説教する人間が、教義について質問する僕を殴るなんてね。アイルランドでも僕の世代はなかなか教会に行ってる時間がない。でも、罪の意識は強い。カトリックでは強烈な罪の意識が植え付けられるんだ。だから、大声を上げることを怖がる人が多い。もしかしたら地獄に堕ちるかも、という可能性を捨てきれないんだね(笑)。でも僕は何とも思わない。聖書に小便をかけたっていい。別にそうしたい訳じゃないけど、そうすることを恐れてはいない。マリア様の像を壊すのも、十字架を燃やすのも抵抗はない。そうしないのは、やっても意味がないからだ。何も達成しないからね。でも罪悪感は、とうの昔に捨て去った。実は2週間後にはアイルランドでギグがあるんだけどね。ステージでは言いたいことをズバズバ言うつもりだよ。ハハハ。 そういう周りとのトラブルがあったり、さっきの観客に伝わっているのは一滴でしかない、という状況の中で、それでもあなたを突き動かし続けるエネルギーというのはなんだと思いますか? Brian:まず第一に、僕は大邸宅や高級車を所有することイコール成功だとは思っていない。それは資本主義的な発想だ。自分の夢を追いかけて、友人達がいて、家族がいて、という生活をしていることこそ成功と言えるんだ。その原動力は、種としての人類を愛していることにある。僕は人間が好きだ。悪人さえ憎んではない。思考様式が違うだけだと思う。ナチス支持者たちだって他民族、特にユダヤ人を嫌うように洗脳されてるだけだ。だからナチを嫌うだけでは何も達成されない。憎悪は何の解決にもならない。ナチの顔面を殴りつけたところで、彼がナチであることには変わりない。顔がゆがむだけで、思考様式は変わらないんだ。戦争を引き起こす偏見――宗教、愛国心といったデタラメなコンセプトを、すべて無くさない限り無理なんだ。僕はアイルランドに対する愛国心はない。地球におけるアイルランドという出身地に誇りを持ってはいるけど、国のために死ぬ気はない。国のために死ねるということは、自分が所有するものを守るために殺せるということで、殺す価値のある人間がいると考えることを示す。僕は世の中のすべての人間が平等に扱われるまで闘うつもりだ。誰だって信じて疑わないことのためには闘うものだよ。僕は自分の意見を表明しているけど、それは同じ考え方をしている多くの人々に共感した結果でもあるんだ。全ての人々に対して有効な考え方だからね。でも階級制度や財力を基盤とした、戒律でがんじがらめの排他的な考え方は明らかに間違っている。僕はどんな神にも支配者にも跪かないアナキストだ。誰の意見も尊重する。憎悪に基づいた意見でない限りね。そして、そういう人々の意見も変わりうると信じている。人間は多様だから美しいんだ。世界中のどの文化も素晴らしいと思う。死ぬまでになるべく多くの文化を経験したい。人はいつ死ぬか分からないし、僕だって明日死ぬかも知れない。そう考えるとますます、物質的な所有物とか銀行の残高とかが意味のないものに思えてくる。それよりも大切なのは家族と友達、新しく知り合えるかもしれない人々。自分が闘うのはそういう人々のためだ。なぜなら、人とは感情を通い合わせることができるから。そうじゃないって言う奴は、僕の前から消え失せてもらいたい。人間を尊重し、人間の多様性を尊重するべきなんだ。みんながアイルランド人になればいい、なんて思わない。みんなが日本人になれば、アメリカ人になれば……という発想はナンセンスだ。世界中にいろんな文化があって、それぞれに違いがあるからいいんだ。1人1人が素晴らしい個性を持っている。だから僕は人間に対して情熱的でいられるんだよ。いつでもそうだったし、これからもそうだ。バンドをやっていようがやっていまいがね。だから歌の中で何度も説いてきたんだ。「命がなによりも大事だ」とね。だからファースト・アルバムのタイトルは『Available in All Colours』にした。善も悪もあらゆる形態をしているということだ。悪を理解しなければ、悪に取り込まれてしまう……そうそう。さっきのナチスの話、記事にする時は気を付けてくれる? ナチの支持者であるかのような印象は与えたくないんだ。ナチスの思想は大大大嫌いだからね。同じように、カトリックの思想も大嫌いだけど。 日本には「罪を憎んで人を憎まず」という言葉もあるので、読者には分かると思います。 Brian:そう。その精神だよ、僕が言ってるのは。 では、最後の質問です。あなたがそういう風に、社会の問題とか宗教の問題について取り扱った歌詞を書き上げて持って来た時に、他のメンバーはそれについてどう共感してくれているのでしょうか? Brian:イデオロギー的にはみんな同じなんだ。ドラマーのエディは読書家で、彼とは長い時間をかけて政治の話をすることもしょっ中だ。考え方がよく似てるね。グレンやマッシーとは、意見が食い違うこともある。それでいいと思う。このバンドは僕のものじゃない。僕はメンバーのひとりに過ぎない。マイクを持つ僕が自分の意見を述べることは他のメンバー達も承知してくれてるし、だいたい賛同してくれてる。平和と敬愛を謳ってるんだから当然だけど。でも、ある点で賛同が得られないからといってクビにすることもない。まず僕にはそんな権限はないし、それにそんなことをしても何も達成されないからね。さっき言った、気に入らない奴を殴る話と同じだよ。僕らは4人の個人であり、個性の尊重は僕らの主張でもある。すべての人々の個性は尊重されるべきだ。バンド内はうまくいってるよ。みんなアナキストだしね。彼らはいい友達だし、リスペクトしてる。彼らも僕をリスペクトしてくれる。いい関係だよ。僕の歌は一瞬を切り取った……写真のようなものなんだ。たまに取り出しては見るような、断片的なものだ。でも、つきつめると簡単にまとめられる。ピース&リスペクト。歌詞の細かい部分は重要ではないんだ。ハートの中身が重要。マイクを持ってるからって、僕が特別な人間ということはない。例えば、今現在どこかでホームレスを助けてる人たちも、ステージでマイクを握る派手な活動ではないけど、考えは同じだ。一方、僕には音楽がある。僕はこんな風に音楽をプレイできて、とても幸運だと思うよ。
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