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Tokyo, 1999.11.9
text by Yoshiyuki Suzuki
interpretation by Stanley George Bodman
translation by Ikuko Ono

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フガジのイアン・マッケイとともにワシントンD.C.のハードコア・パンク・シーンに貢献してきたJ・ロビンズが、ジョウボックス解散後98年になって新たに結成したバンドがバーニング・エアラインズだった。彼らは『ミッション:コントロール!』および『アイデンティキット』という2枚の優れたアルバムを作り、メインストリームで大量消費されるパンクとは違う地平で、パンクの精神性を純粋に継承し、反映させた素晴らしい音楽の可能性を提示してくれた。ここに掲載するのは99年の11月に行われた初来日公演の際に行なったインタビューだが、この時の来日は、NAHTをはじめ日本の志を持ったバンドの尽力によって実現したものだということを改めて記しておきたい。Jがプロデューサーとしてあまりにも多忙になってしまったため、残念ながらバーニング・エアラインズは2002年に解散してしまうが、再び彼自身の創造性の火花がスパークする瞬間が来るのを心待ちにしていたいと思う。

「日本の若いバンドは、ちゃんと自分達のヴィジョンを持ってる。 俺なんかのアドバイスは必要ないと思うね 」

今日、インタビューの前に、目黒の寄生虫館に行ったという話を聞いたんですけども、なんでまたそんな所に興味を持ったんですか?

J:特に寄生虫に興味があるわけじゃないよ(笑)。友達の友達から「こんな所があるよ」って聞いて、行ってみようと思っただけなんだ。小さい変な博物館ってのが好きでね。

行ってみてどうでした?

J:気持ち悪かったけど、売ってるTシャツはどれも最高だった。

なるほど(笑)。ではまずライヴの話から始めたいと思います。下北沢シェルターでのライヴは僕も非常に盛り上がってエキサイトしたんですけれども、まず東京で2カ所ライヴしてみて、どのような感想を持ちましたか?

J:そうだなあ……。

例えば、シェルターでのライヴって、ものすごいたくさんのお客さんが当日券で駆けつけて、あれだけ大盛況になるとは誰も予想していなくて、みんな驚いていたんですね。そういう熱狂的な歓迎ぶりに触れてみてどうでした?

J:ああ。この旅全体があまりにも驚きの連続なんで、まだ感想を上手く言葉で表せないんだけどね。まず日本へ来てプレイする機会に恵まれたこと自体に感激してる。ソールド・アウトになったのも驚いたし、共演したバンドも素晴らしかった……NAHTはちょっと知ってたけど、その他のバンドはここで初めて聴いて、どれも結果的にあんなに素晴らしいバンドばかりでとても嬉しかった。みんないい奴等だし。しかも満杯の会場があれだけ楽しんでくれた。思いがけない幸運に畳み掛けられるような体験だったね。嬉しいことがいろいろありすぎて、ちゃんと消化するには時間がかかりそうだよ。ずっと後になってからも「あれは一体何だったんだ?」って思う位に、予想以上の幸運だ。日本へ来れただけでも十分嬉しいっていうのに。

印象的だったのは、共演したバンドのメンバー達が、MCでトリビュートの気持ちを何度も何度も表していたことと、もう一つ、今回は共演しなかったけれども同じように日本でバーニング・エアラインズの影響を受けたミュージシャンが会場にたくさん来ていて……ひょっとしたら終演後の打ち上げで何人か紹介されたかもしれないですけど……そういう人達が一杯いたことなんですね。そんな風に、自分のやってきた音楽がこの遠く離れた日本という国ですごい影響を持って、多くのバンドの活動を息づかせているんだという状況に直に触れてみて、どういう気持ちがしたでしょう?

J:いやあ、まいった。もしそれが本当だとしたら凄いことだ。MCで俺達のことを言われてたなんて知らなかったから、この場合に限っては言葉の壁に感謝するよ。出番の前に褒められたことが分かってたら、ビビってちゃんと演奏できなかっただろうからね(笑)。

(笑)。ところで、そのシェルターでのライヴで、演奏を開始してから割と初めのうちに、機材のトラブルみたいなのがあったじゃないですか? そこから後半、見事に立ち直ってまた盛り上がってエキサイティングな演奏を見せてくれたのがさすがだと思ったんですけれども、そういうトラブルの時の対処法や気持ちの切り替えに関する独特の方法みたいなものはあるんでしょうか?

J:それはどうかな。ドジだから結構大変なんだ。今回は自分達の楽器を持って来れなかったんで、初めて触るギターに慣れなきゃならなかったし、機材も馴染みないものだったしね。そのうえ新しい靴を履いてたんだ。靴が違うと、ペダルに乗せた時の感覚が違うんだよね。そういういろんなことでパニックになってた。メンバーの中でプラグを抜いてしまったりペダルを蹴ってしまったりっていうヘマをやるのは、大抵の場合俺なんだ。なるべく気をつけてるけど、もし起こってしまったなら、深呼吸して、トラブルに対処して、演奏に戻るしかない。そんな小さな事でライヴを台無しにしてはもったいないからね。早いところ立て直せば、ショウは続けられるはずだ。それに多分、日本に来てるっていう特別な意識のおかげで、早く気合いを入れ直すことができたんだと思う。

ちなみに、日本のオーディエンスに独特の特徴である、曲間で黙ってシーンと待っているという反応を初めて体験したと思うんですけれども、これはミュージシャンによっては不安に感じる人もいるみたいなんですが、あなたはどんな印象を持ちましたか?

J:俺の場合はそんなに不思議な感じは受けなかったよ。DCのオーディエンスもそんなに違わないからね。もうちょっと話し声が聞こえる位で、曲間が長引いたら静かになるという点では同じだ。一番最初はちょっと面食らったけどね。でも、国によって少しずつ反応が違うっていうのはいいことだと思うよ。それに演奏中は思いきりラウドだから、曲間くらいシーンとなってくれるとありがたいってこともあるし(笑)。演奏中に見渡した印象では、明らかにみんな楽しんでくれてたからね。その手応えさえあれば、曲間がどうであれOKだよ。曲中のみんながつまんなそうにしてるなら別だけど、みんなノッてくれてるのが分かるのは最高の気分だよ。実際、手応えとしては日本のオーディエンスの方が分かり易いね。アメリカのオーディエンスの方がかえって固いよ。

バンドの音楽性とかタイプにもよるんでしょうけど、時々、例えばリンプ・ビズキットとかシュガー・レイとか、曲間が静かになるのを嫌がってるようなので、こんな質問をしてみました。

J:ふうん。静寂に耐えられないことの方が、俺には不思議だけど(笑)。

いずれにせよ、僕が見た限りでは、シェルターのお客さんはこの上ない位に集中して、楽しんでいたと思うので、曲間で静かになったというのは、次の曲を固唾をのんで待っているという感じだったんでしょうね。とにかく、こんなに観客の子たちが盛り上がってたライヴは滅多にないと思います。

J:クール! 嬉しいね。

で、アンコール2曲目はCDにも入っているエコー&ザ・バニーメンのカバーでしたけど、その前に演った曲は確か……

J:スウィートだよ。曲は“Action”。

はい。前回インタビューさせてもらった時、ブリティッシュ・ニューウェイヴやオリジナル・パンクからの影響をずっと喋ってくれたので、エコー&ザ・バニーメンは非常に納得のいく選曲だったんですけど、スウィートはそれとは違う、昔のロックバンドの曲ですよね。それをカバーしてみようと思った動機というのは何なのでしょうか?

J:えっと、いいバンドだと思うから。確かにパンクの要素は微塵もないけど、パワフルなことに変わりはない。実際、スウィートを初めて聞かせてくれたのはイアン・マッケイでね。彼はエンブレイス(※フガジ以前にマッケイが在籍したバンド)にいた頃、あの曲をずっとカバーしたかったんだって言ってた。だからイアンが歌ってるのを想像すると、それが実現してたら最高だったろうなって思うんだ。いろいろな解釈が出来る歌詞で、大好きな曲だよ。ある意味すごくシニカルで。イアンがカバーできなくて残念だったけど、歌っててすごく気持ちいいんだ。ただのグラム・ロックのカバーというよりは、人を小馬鹿にしたようなシニカルな曲になるように歌うことが可能なんでね。

なるほど。僕はリアルタイムで、ブリティッシュ・ニューウェイヴを熱心に聞いて育った人間なんですけれども、その自分があなた方のライヴを見た時、レコード以上に、DCのハードコアのスピリッツと同じくらい、ブリティッシュ・ニューウェイヴのスピリッツを感じたんですね。ただ、イギリスでそういうオリジナルのニューウェイヴとかパンクが起きた時にアメリカにはほとんどその影響は伝わらなくて、結局アメリカでブレイクしたイギリス勢は、その少し後で出てきたデュラン・デュランとかカルチャー・クラブの方だったという印象があったので、あなた達のようなバンドの存在は、かなり意外な感じでした。実際に当時のアメリカでは、当時のパンクとかイギリスのニューウェイヴっていうのは、どういう風な受け止められ方、浸透や影響の仕方だったんでしょう?

J:俺がハイスクールを卒業したのは80年代半ばだったんだけど、あの頃は、そう、デュラン・デュランとかそういうのが流行ってたね。でも、それとは別のレベルで、ジョイ・ディヴィジョン、ギャング・オブ・フォー、キリング・ジョークといったものが、アンダーグラウンド的に支持されてたんだ。一般ウケはしてなかったけど、俺がロック・ミュージックをプレイしたくなったのはそういうものの影響だった。ロックに最初に興味を持ったのはジョイ・ディヴィジョン辺りだったと思う。俺にはバンドが人気あるかどうかなんて関係なかったからね。UKパンクはアメリカでは多分、少数の人間に大きなインスピレーションを与えた音楽だったと思う。

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