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Joe Lally



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では、フガジではどんなふうに曲を作っていったのかを、もう少し具体的に教えてもらえますか?

Joe:フガジを始めた当初は、明らかにイアンの方が圧倒的に優れたソングライターだった。彼はマイナー・スレットでギター・ラインを書いていたし、常に自分がいるバンドに貢献してきたけど、いつもそれが受け入れられてきたわけじゃなかったから、常に次のバンドに向けて曲を書き溜めていたんだ。「曲はあるぜ、数年前に書いたやつだけど」って感じで(笑)。僕としては、すごくやりやすかったよ。「自分が作曲に関わってないのに……」という態度じゃなくて、「よし、どんな曲なんだ? 僕はどうプレイしたらいい?」って感じでね。もちろん部分的に自分の手を加えることはあったけど、最初はそんな感じで始まったんだ。時には僕がベースラインを書いて、それに合わせてイアンがギターを弾き始めて、曲が生まれてくることもあったかな。で、たいていの場合、音楽が先にできて、それに合わせてイアンが歌っていった。リハを重ねながら、ヴォーカルを置いていくっていう。そのうち、そのプロセスにギーとブレンダンがどんどん加わって、4人全員で曲作りをするようになったんだ。僕はいつだってイアンの書くベース・ラインを受け入れたし、それはブレンダンのでもギーのでも同じだったよ。そうやって何も禁止しないこと、音楽に関してエゴを出さないことは、僕の意識的な決断だった。音楽っていうのは、別個の存在なんだよ。そこにジョー・ラリーは存在しないんだ。音楽とは4人の人間の……メンバーが何人いても同じことだけど……個が消滅して、フガジとしての存在になるわけ。だから僕の音楽に対する考え方は、音楽とはすでにそこにあるもので、その存在している音楽を聴き取って演奏しようとする行為というか、だから演奏の練習よりも、自分の中にある音楽を聴きとる練習をすることの方が大事なんだと思ってる。ピーターとやってた時もイアンとやった時も、音楽のジャンルは僕には関係なかったし、特にパンク・ロックにこだわっているわけじゃなかった。それがブラック・フラッグか、ジョン・コルトレーンか、ジミ・ヘンドリックスか、その違いを聴き分けることはできるけど、音楽につける名前は重要じゃなくて、僕にとってそれは基準点でしかない。音楽を作るというのは、オープンになるってことなんだ。開かれていること、空気になること、存在を無くすこと、そこにいなくなること、音楽と一緒になること、音楽が自分を通っていけるように器としてオープンでいること……曲を書く時にフォーカスすべきなのは、そこだと思う。そういう意味で考えると、音楽って誰のものでもないんだよね。たとえばニーナ・シモンみたいな人は、自分で曲を書く必要がなかった。彼女は他の誰かが曲を書くことに対してオープンだったんだ。でも音楽はニーナ・シモンを通過して、ニーナ・シモンの解釈になって出てくる。彼女がフィルターとなって、何か新しいものが出てくるわけで、彼女自身が楽器みたいな存在だったんだね。ニーナ・シモンという楽器を宇宙が演奏している、とでもいうか。

なるほど。

Joe:ただ、こうした考えは、実はソロでの経験を経てから思い至ったことでもあるんだ。1人で活動を始めた時は奇妙な気分だったし、これからどうすればいいんだろう?って感じてた。フガジとして、他の3人と一緒に音楽を作る機会がなくなったのは、とても気分が滅入ることだったよ。たとえば飛行機事故に遭って1人だけ生き残ったような感じで、生きてはいるけど、どうやってまた現実に戻ればいいのか、社会で機能するためにどうすればいいのかわからなくなってるような精神状態というか……それはものすごく厳しい経験だった。でも、僕には1人でやっていく他に選択肢がなかったし、他に選択肢が無ければ、どうにかして道を見つけるものなんだ。だってそれ以外にできることは何もないんだから。他になれるものもなかったしね。そうしてソロ活動を始めてみて、次第に「聴くことが大事なんだ」と気づいたんだよね。つまり「いったい音楽とは何なのか? どうして僕は音楽を作らなくてはいけないのか?」と自問しなくてはならなかったわけ。気持ちははっきりしていたけど、それが何なのかを深く理解するために努力しなくてはならなかったっていう(笑)。とても大変だけど、僕は今でも答を出そうとしているところで、もっともっと理解を深めようと努力しているんだ。

2006年になって初めて出したソロ・デビュー作および、その次のセカンド・アルバムも、そうした考え方のもとに作られているわけですね。

Joe:うん、ただ、実際のやり方そのものは、フガジとソロとで、少しは変わった点もあると思う。というのも、現在の僕は1人でやっていて、それまでは4人の人間による活動の中で機能していたわけだからね。例えば、ヴォーカルのメロディがこんなふうに(歌う♪)ーー音楽の全ての動きがヴォーカル・メロディの中にある曲っていうのは僕はそれまでやってこなかったから、そこは大きな違いだった。たとえば、あまりプレイしない曲だけど“X-ray The Lullaby”は歌詞を最初に書いた曲で、そこから音楽を探し出さなくてはならなくて、それは僕にとって以前とはまったく違うアプローチの仕方だったよ。娘のリディアが生まれた時、こんなふうに歌ってあげていて♪(歌う)ーー歌ってた言葉は変えたけどメロディはそのままで「これにどう合わせてベースを弾くんだ?」ってことになって(笑)。僕には縁のなかったコンセプトだったんだ。そういったことが1人でプレイすることの難しさだった。自分で歌ってプレイするやり方も開拓してこなかったし、フガジでは歌い方を練習してこなかったから、まず歌うこと自体が難しかったしね。少しずつ慣れてきてはいるけど、今でもすごく努力している。ソロ作品では、さっき行った「自分に聴こえる音楽」をもっと発展させようとしていて、それがどうして難しいのかと言うと、僕の中でベースとヴォーカル・メロディは別々の方向に行くもので、ビートルズみたいにコネクトしてないからなんだ。僕の音楽は、ベースラインがひとつあると、それがキーの中で動いていて、そうやってベースが動き続ける間に、別のところでヴォーカルがヴァース・メロディ、コーラス・メロディをやるって感じだからね。それが僕の理解であり、僕の頭の中で聴こえる音楽なんだよ。僕はただ、内面にあるものを外に出すために深く聴き入ろうとするだけで、そうやって出てくるものが完璧にピュアで真実なものかどうかはわからないけれど、そこが僕の目指すところなんだ。自分の中にあるものをさらに深く聴き込んでいくっていう。


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