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by E-mail, 2004.6
text by Yoshiyuki Suzuki
interpretation and translation by Hidetomo Hirayama


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 アルバム『ダンセ・マカブレ』の国内リリース、サマーソニックでの来日、そして最新アルバム『ウェット・フロム・バース』のリリースと、2004年の日本はまさに「フェイント元年」となった。このインタビューは来日直前にヴォーカルのトッドを相手に行なったもの。まだ生でライヴも見ず、最新作も耳にしていなかったこの段階では、正直に言って彼らの本当の凄さを分かっていなかったが……今後はきっちりとフォローしていくつもりなので、よろしくお願いします!

「僕達は、いわゆる“インディ・ロック”ってやつに飽き飽きしてたから、そこからの脱出を試みたんだ。そしてエレクトロニック・ミュージックにこそ目指すべき道があると考えたんだよ」

あなたはどんな音楽環境に育ち、どのようにして自分もミュージシャンになろうと決心したのでしょうか? また、当時どのような音楽を好んで聴いていましたか? 影響を受けたアーティストや生涯のフェイバリット・アルバムなどありましたら教えてください。

Todd:実際に子供の頃からかなりの音楽ファンだったんだ。1983年に「tape club」(※詳細は不明ですが、最新のヒット・アルバムがテープで送られてくるような仕組みの会でしょうか?)に加わってね。いまだにその頃に聴いたテープは覚えているし、気に入っているよ。クラッシュの『コンバット・ロック』、デュラン・デュランの『リオ』、フロック・オブ・シーガルズ、ZZトップ、フィクス、アダム・アントとかね。もっとあったけど、すぐには思い出せないな。そういう音楽はラジオやMTVで知ったんだ。当時、地元のオマハではMTVはとても新しくて、小学校2年生の時、担任の先生の家でパーティーがあってそこで初めて見たんだよ。中学にあがると、また新しいバンドを聴くようになった。キュアー、スミス、R.E.M.、ブラック・サバス、セックス・ピストルズ、ヴァイオレント・ファムズ。高校に入ってからは、バッド・ブレインズ、バッド・レリジョンの「ノー・コントロール」、エイリアン・セックス・フィーンド、メタリカは最初の何枚かのアルバム、ビリングスゲイト、インサイド・アウト、ピクシーズ、アイスバーン、そしてフガジが好きなバンドだったし、それからラップや「スクリーム系」のものなんかも聴いたよ。少したってから、ぺイヴメント、アーチャーズ・オブ・ローフ、マウストラップ(オマハのバンド)、スローダウン・ヴァージニア(カーシヴの前身バンド)、マグネティック・フィールズ、ニュー・オーダー、エルヴィス・コステロ、ポルヴォ、ヘリウム、ブレイニアック、サンブレイン、レンズ、エレエクタス・モノトーンとかを聴くようになった。こういったバンドを聴いていた頃にノーマン・ベイラー(フェイントの前身バンド)を始めたんだ。つまり90年代のはじめころだね。

ザ・フェイント結成へと至る経緯を簡単に教えてください。当初はノーマン・べイラーという名前で、コーヒー・ショップなどで演奏していたそうですが。

Todd:ソフトなサウンドで、ラムチョップみたいな感じになるだろうと思って始めたんだ。同時にノイジーなキーボードも入れようと思っていた。でも思ったような音にはならなかったよ。静かにプレイするやり方がよくわかっていなかったから。コナー(・オバースト、ブライト・アイズ)はいつもエキサイトしちゃって叫びまくってたし。でもそのせいで見る方には興味深いライブだったんじゃないかな。今考えるとヘンなことだけど、当時は椅子に座って演奏していたんだ。コーヒーショップではそれが普通だったからね。キーボードの音色はとにかくフツーじゃなかった。キーボードをギターペダルとかエフェクターとかにたくさん繋げてさ。そうだな、エンジンがかかっているのに、車のエンジンをかけようとするときの音みたいな音っていうか……。とにかく、僕らはフォーキーで、だらしなくて、キーキーいってて、それでいてメロディアスだった。ときどきメガホンで声を変調させて歌ったり。12弦ギターも使ったよ。

あなた方のレーベルメイトであるブライト・アイズやカーシヴといったバンドを見た限りでも、ネブラスカ州オマハという土地が独特の個性を持ったタレントを育む場所であるような気がしてきます。同地に生まれ育ったことが自分達の芸術表現にどのように影響をもたらしていると思いますか?

Todd:僕らの周りの友達が音楽を始めたきっかけは、今カーシヴをやっているティム・ケイシャーのスローダウン・ヴァージニアっていうバンドなんだ。ほかにも、マウストラップ、サイモン・ジョイナー、ポールキャットみたいないいバンドもいた。でもすべてはティムだね。のちのちみんな自分自身の声のスタイルを見つけていくわけなんだけど、最初はみんなスローダウン・ヴァージニアやティム・ケイシャーのアコースティック版って感じだったんだ。

ザ・フェイントの現在の音楽性は、レーベルメイト達とは少し異なっていますが、それでも音楽的にお互いに刺激しあうことはやはりあるのでしょうか? カーシヴやブライト・アイズに対する評価を聞かせてください。

Todd:お互いのバンドに曲を書きあったりしていたからね。最近は昔ほど会う機会もないけれど、その影響はまだあるんじゃないかな。お互いに好きなバンドだし、新しい作品にはいつも注目しあっているよ。

あなた方の音楽性は、ファースト・アルバムから最新作『ダンセ・マカブレ』へと至るまでの間に、シンセサイザーを大きくフィーチャーしたものへと変化してきています。こうした変化は、どのようにしてバンド内に生じてきたのでしょう?

Todd:僕らは「インディ・ロック」っていう括りから離れたかったんだ。そういうものには飽き飽きしていたし、エレクトロニックミュージックにその答えがあるんじゃないかと思ってね。音響的な可能性を感じていたし、キーボードを使って「ロック」できると思った。今思うと、僕が見た中でキーボードでロックしていたバンドはブレイニアックだけだね。彼らはカッコよかったな。

ギターからキーボードへと主要なインストゥルメントが移行したことで、作曲の面でも変化は起こりましたか? 例えばメロやリフからだけでなく、リズム・トラックから曲ができるような。

Todd:そうだね、今では曲の書き方も違うよ。でも実際は毎回、曲作りは違うやり方を試すんだ。歩きながら曲を作ることもある。そんなときは歩くリズムがテンポになる。ビートがあるほうが曲を書きやすいんだ。時には、ひどいハウスのCDをかけて、そのビートにあわせてメロディを考えることもある。最近は、昔みたいにギターで作ることもあるね。新しい曲を書くときはいつもテープレコーダーを持ち歩くんだ。思いついたものをテープに吹き込む。僕はすぐに忘れちゃうたちだから、テープレコーダーがなかったら新曲は書けないんだよ。

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