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本作『インフェクテッド』は、70年代末から80年代初頭まで猛威を奮ったパンク/ニューウェイヴの嵐もいつのまにか沈静化し、ロック・ミュージック全体が大きく失速していた1986年に発表された。今ふり返ってみても、同時期にリリースされたロックのアルバムで、音楽的な完成度/込められた精神性のどちらをも高いレベルに保ち、アグレッシヴな内容にもかかわらずセールス面においてもきちんと結果を出した作品を、他に数多く思い浮かべることはできない。少なくとも『インフェクテッド』は、全収録曲のクリップを収めた同じタイトルの映像作品(※このアルバムは、ティム・ポープやピーター・クリストファーソンといった気鋭のディレクター達の手によって全曲分のクリップが制作されており、単体のビデオ作品としてもリリースされた)とともに凄まじい衝撃を当時の筆者にもたらした。そこに表された孤高の魂の有り様は、今日これまでの人生で自分を導いてくれたもののひとつだと断言できる。 もちろん、それほど思い入れの大きな作品に再び新鮮な気持ちで向き合う機会が持てたことには、このうえない喜びを感じている。特に本作と前作の『魂の彫刻』に関しては、リリース当初まだアナログ盤が主流であったため、CDに関しては音質があまり良い状態ではなく、今回リマスターが施されたことで、ようやく作品本来の輝きを取り戻すことができたと言っても過言ではない。その効果はアルバム冒頭を飾る“インフェクテッド”のイントロが鳴り響いた瞬間から、誰の耳にも明白だろう。単純に音圧が増強されただけでなく、ホーン類のド迫力、パーカッション群の切れの鋭さなど、以前までのCDとは比べ物にならない。ちなみにリマスター作業は、ニルヴァーナの『インセスティサイド』などでも仕事をしていたハウイー・ウェインバーグとマットが共同でニューヨークにて行なったそうだ。 なお、日本盤CDにはこれまでボーナス・トラックとして“インフェクテッド”“スウィート・バード・オブ・トゥルース”“スロウ・トレイン・トゥ・ドーン”の12インチ・リミックス・ヴァージョンが収録されていたが、今回のリイシューにあたっては、マット自身がオリジナルの形を重視したようで、元の通りの8曲入りに戻されている。これは、常にコンセプチュアルなザ・ザのアルバムの構造を考えれば当然のこだわりだろうし、正しい判断だったと思う。参考までに、“インフェクテッド”と“スウィート・バード・オブ・トゥルース”の2曲分に関しては、先に発売された『45RPM Vol.1』の初回限定盤(※輸入盤のみ)についたボーナス・ディスクに12インチ・ヴァージョンが収録されているので、熱心なファンの方は是非そちらで入手していただきたい。残る“スロウ・トレイン〜”についても、今後の再リリース計画の中に含まれてくることを期待しよう。 ザ・ザとしての2枚目のアルバムであり、出世作となった『インフェクテッド』は、マット・ジョンソンが自らの表現をより強固な次元で確立した記念すべき作品だと言っていい。実際、後の作品の中で追求されていく要素がすでに本作にはほとんど出揃っていることがわかる。 例えば“アウト・オブ・ザ・ブルー”の歌詞は、生活に疲れ果てて自分を見失いかけた男が、娼婦を抱くことで欠落した感情を埋め合わせようと試みるが、結局より大きな疎外感を得るだけだったというような内容だが、 ここで扱われている「現代人の孤独感と欲望」というテーマは、93年のアルバム『ダスク』からファースト・シングルに選ばれた“ドッグズ・オブ・ラスト”にも通じるものを感じる。本作オリジナル盤のライナーノーツでピーター・バラカン氏も仰っていたが、「必死に自分を浄化しようとして、俺は他人になっていくようだった。必死に満足を得ようとして、俺は他人になっていくようだった。必死に自分を見つけようとして、俺は他人になっていくようだった」と繰り返される部分は、たとえ娼婦を抱いたことのない人でも――女性でさえも、現代に生きる者なら一度はおちいったことのある感情なのではないだろうか。 また、ザ・ザ全キャリアの中でも代表曲に数えられる“ハートランド”は、祖国イギリスに対する愛憎の気持ちが扱われており、これは先に発表されたばかりの最新曲“ピラー・ボックス・レッド”と共通している。故郷がアメリカナイズされていく様子を「ここは合衆国51番目の州」と描写する部分は、もちろんイギリスについてなのだが、日本人である自分にとっても全く同じ重みを持って響いてくる。そしてマット・ジョンソンがここで示してみせる態度が自虐史観などではなく、ありうべき真の愛国心に基づいたものであることは今さら言うまでもないだろう。さらに“スウィート・バード・オブ・トゥルース”で直接的にアメリカ帝国主義へと向けられる政治性も、現時点での最新作『ネイキッドセルフ』に至るまで、たびたび取り上げられてきたテーマだということは、これまでザ・ザを聴いてきた人達にとっては周知の事実だ。こうしてみると、いかにマット・ジョンソンという人が一貫した姿勢で創作に取り組み続けているかが、本作を聴き直すことで改めて実感できる。 音楽的な面でも、リップ・リグ&パニックのネナ・チェリーとデュエットした“スロウ・トレイン・トゥ・ドーン”は、シンニード・オコーナーとの“キングダム・オブ・レイン”や、リズ・ホースマンとの“ディセンバー・サンライト”などに先駆けた曲だと思えたりするが、全編に女性ヴォーカルが非常に効果的に使われているのも『インフェクテッド』の特徴で、特に“嘆きの天使”での女声コーラス・グループのパートは、タイトルに使われているソウルやマーシーといった言葉とともに、ブラック・ミュージックのフィーリングを強く感じさせる。実験音楽的な分野からキャリアをスタートさせたマット・ジョンソンが、次第にルーツ・ミュージックからの影響を前に出すことで、ザ・ザの音楽をポピュラー・ミュージックとしても魅力の高いものにしていったことは非常に興味深いが、本作はその偉大な一歩であったと言うこともできるだろう。 プロデューサーには、ロリ・モシマン、ウォーン・リヴゼイ、ゲイリー・ランガンの3名がクレジットされており、前2者はジム・フィータス(※デヴィッド・ボウイの主宰で6月に行なわれたメルトダウンというイベントで、20年ぶりにフィータスとのライヴ共演が実現した。この時のザ・ザは、マットとジムに映像担当技術者を加えた3人編成で、かなりアヴァンギャルドな印象の強いショウを展開し、観た者を色々な意味で唸らせたとか……。)との人脈図上に浮かび上がってくる、それぞれエンジニアとして優れた腕を持った人達で、モシマンの方は、日本のフリクションを手がけたことなどでもその名を知る人は多いはずだ。もう1人のゲイリー・ランガンは同時期に話題を集めたグループ=アート・オブ・ノイズのメンバーで、同僚のアン・ダッドリーの名前も見られる。いずれも80年代に活躍した俊英プロデューサー達ばかりとあって、サウンド・プロダクションは文句なしのクオリティーだ。 次作『マインド・ボム』からパーマネント・メンバーに就任するデイヴィッド・パーマーも本作からパワフルなドラムを叩いており、彼が以前所属していたポップ・バンドのABCがトレバー・ホーンのプロデュースを受けていたことを考えると、フィータスらサム・ビザー周辺のアーティスト人脈と合わせて、当時ZTTレーベルで幅を効かせていたトレバー・ホーン周辺の人脈が絡むことで、本作が作り上げられたことが分かる。しかし、当時は最先端だったデジタル・シンセサイザーやサンプラーをハッタリ的に使ったトレバーのプロデュース作品の多くが、音のインパクトが失われた今になって聴くとすっかりショボくなってしまっているのに比べ、『インフェクテッド』だけがその輝きを未だに風化させていないのは、ザ・ザの音楽がサウンドの先鋭性だけでなくアレンジやメロディーといった内実を高尚な次元で伴っていたからこそに他ならない。 マット・ジョンソンの想い描くザ・ザ25周年記念計画がどこまで実現するかは正直、今のところまだよくわからない。しかし、決して無駄に大きな風呂敷が広げられているのではないことは間違いないし、この男が不屈の闘志で活動を続けていってくれる限り、その姿をいつまでだって見守り続け、応援し続けていきたいと真剣に思う。 2002年6月 鈴木喜之 ※本稿は、国内盤アルバムのライナーノーツとして書かれた原稿に、一部手を加えたものです。
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