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本作『フロム・ザ・マディ・バンクス・オブ・ザ・ウィシュカー』は、ニルヴァーナ初のライヴ・アルバムである。もちろん、前作『MTV アンプラグド・イン・ニューヨーク』も公開生演奏をそのまま収録したものだが、そちらの方はあくまでアコースティック・セットによるスタジオ内ライヴという、極めて企画色の強い内容だったわけで、このアルバムこそ、何よりもまずライヴ・バンドとして高い評価を獲得していたニルヴァーナの、ロック・バンドとしての本来の姿を収めた初の実況録音盤だということになる。ちなみに“ウィシュカー”とは、メンバーの故郷、ワシントン州アバディーンを流れる川の名前だ。両親の離婚などによって精神的な荒廃を背負い込み、一般社会からドロップアウトしたカート・コバーンは、一時期住む家すらない生活を送っており、友達の部屋に転がり込むこともままならぬ日は、ウィシュカー川に掛かる橋の下で夜を明かすこともあったという。つまり、このアルバム・タイトルは、そのようなバンドの精神的な出自を言い表したものなのだ。 本アルバムは、バンドのベーシストだったクリス・ノヴォゼリッチが、彼らの残した100時間あまりにも及ぶライヴ・テープを聴いた上で編集した。収録された全17曲のマテリアルは、最も古いものでデイヴ・グロール加入以前の1989年からバンド最後期1994年にかけて、収録場所も地元シアトルからレディング・フェスティヴァルで大トリをつとめた時のものまでと、実に多岐にわたっており、まさにニルヴァーナの全キャリアを通じた“ベスト・オブ・ライブ”と呼べる作品になっている。 各曲によって音源がまちまちなせいで、サウンドの質感がアルバム全体でバラバラになってしまうことを避けたためか、収録曲中の何曲かはアンディ・ウォラスの手によってミキシングが施された。ウォラスは、言わずと知れたニルヴァーナのメジャー・デビュー・アルバム『ネヴァーマインド』でミキシングを担当した人物で、それ以前からも優秀なエンジニアとして高い評価を得ていたが、特に『ネヴァーマインド』以降は、超売れっ子のプロデュ−サーとして活躍し現在に至っている。余談だが、ニルヴァーナのメンバーは、一時期アンディ・ウォラスによる『ネヴァーマインド』のサウンド・プロダクションに対して、その聴き易いポップな質感が自分達にとっては不本意であったとして、否定的な見解を示していたことがあった。そしてそれは次の作品『イン・ユーテロ』において、正反対の資質を持ったプロデュ−サー(正確には“録音”とクレジットされている)=スティーヴ・アルビニの起用へとつながっていくのだが、『イン・ユーテロ』発表時のインタビュー(『ロッキング・オン』93年11月号掲載)において、クリスはウォラスへの否定的な発言を取り消し、『ネヴァーマインド』におけるウォラスとプロデュ−サーのブッチ・ヴィグの仕事は100%尊敬できるものであったと明言している。これは、いかに『ネヴァーマインド』がもたらした巨大な成功に対する反動が彼らにのしかかっていたか、という事実のひとつの例証だと言えるが、いずれにせよ、今回のライブ盤においてウォラスがあらためて起用されたことにより、彼の名誉は完全に回復され、それに応えるかのように素晴らしい仕事が行われていることは間違いない。 収録された各曲の細かいデータについてはクレジットを参照していただきたい。そのライヴが行われた当時の様子についても、当事者であるクリスのライナーがついているので、そこにさらに解説を加えるのは蛇足というものだろう。また、ライヴ・アルバムのライナーによくある、それぞれのオリジナル・スタジオ・ヴァージョンがどのアルバムに収録されているかについても、すでに『ブリーチ』『ネヴァーマインド』『イン・ユーテロ』の3枚のオリジナル・アルバム、そしてコンピレーション盤『インセスティサイド』を持っているであろう皆さんにとっては野暮の極みでしかないだろうから、あえてここで改めて記載するようなことはしない(もし、まだ持っていなくて、このアルバムで初めてニルヴァーナにブッ飛ばされたという人がいたら、今すぐレコード店へ!)。一応念のために書いておくと、M9「スパンク・スルー」だけは、どのアルバムにも収録されていない。これは、サブ・ポップ・レコードのコンピレーション盤『サブ・ポップ200』に入っていたナンバーだ。 このアルバムは当初、昨年リリースされた『MTV アンプラグド・イン・ニューヨーク』と2枚組で、『ヴァ−ス、コーラス、ヴァ−ス』というタイトル(これは『イン・ユーテロ』につけられていた最初のタイトル『アイ・ヘイト・マイセルフ、アンド・アイ・ウォント・トゥ・ダイ』がボツになった後、第2案として考案されたタイトルでもある)をつけられて出る予定だったが、クリスの希望により結局こうして2枚別々の作品に分けて発売されることになった(もともと彼の頭の中には、『アンプラグド〜』のソフトな音との対比をつけて、このアルバムではニルヴァーナのアグレッシブな側面を強調したいというイメージがあったようだ)。現実問題として、1回のセットをそのまま収録した『アンプラグド〜』と違い、録音形態も場所も時期も異なる膨大な音源から1枚の作品を編集しなければならない本作には、大変な労力が必要とされたことだろう。そして最終的に、まるで一夜のギグのような統一感を持った、素晴らしいライヴ・アルバムがここに完成したという事実が、クリスが本作の製作に込めた情熱の大きさを何より雄弁に物語っている。 ニルヴァーナのライヴ・アルバムのリリースが、カート・コバーンの衝撃的な死から約2年半の歳月を経て、こうしてついに実現したことに対しては、実際、あらゆる種類の複雑な想いが心の中をよぎる。誰だってそうだと思うし、それはどうしたって仕方のないことだ。このアルバムは、心からリリースを待ち望んでいた作品であるのと同時に、ニルヴァーナはもう存在していないという現実、そしておそらく本作がニルヴァーナの最後のアルバムになるであろうという現実に我々を向き合わせる作品でもあるのだから……(ニルヴァーナの未発表音源はまだ他にも存在するし、それに対する批評家的な部分での興味もないことはないが、仮にビートルズのアンソロジーのような作品が出たところで、果たしてそれがニルヴァーナの魅力を他の作品と同じレベルで体現し、純粋に楽しめるものになるかどうかは、おおいに疑問だ)。 自分に与えられた場で、そうした複雑な想いと格闘した経過について、ある程度整理がついたところで言葉にしていくのは、もちろん自らに課せられた義務だと考えている。しかし、そうするには、もう少しばかり時間が欲しい。それは、このライナー・ノーツを書く時間が、実質的に音を渡されてからたったの一晩しか与えられていない、という極端に物理的な問題以上に、何よりも今、まず自らが先にやるべきことを強く感じているからだ。それは、クリスが書いたライナーの最後に記された言葉によって、このアルバムを手にした全ての人に向けて示されている。 「レコードを発表するにあたって、ニルヴァーナと、特にカートの究極の輝きを、本来あるべき姿で前面に打ち出すことが出来ればいいなと思う。様々な見方や分析なんかは、黄ばんだ古新聞のように忘れ去られてほしい。このレコードを大音量で聴こう! エネルギーとパッションの至福感を実感しよう! それこそが完璧なニルヴァーナだ!」 確かにその通りだ。では、僕もここでキーボードを叩く手を止め、しばらくの間、この最高のロックンロール・ライヴ・レコードからほとばしりでる素晴らしい音楽に熱くさせてもらうとしよう。そしていずれ、そこから再び、自らの想いとの格闘に立ち戻ることにしよう。最終的にそこで何かを見出すのか、あるいはずっと見出せないままなのかは、今はまだよく分からない。でも、残された者達には、ひとまず時間ばかりはたくさんあるじゃないか。 1996年8月29日 早朝 鈴木喜之 ※本稿は、国内盤アルバムのライナーノーツとして書かれたものです。
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