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『オーラル・スカルプチャー』
ザ・ストラングラーズ

Epic Records (ESCA-7748)

 こと日本国内において、エピック時代のストラングラーズのアルバムが、初期の作品にくらべ全く聴かれていないという現実は、まったくもって悲しむべき不幸である――ずっとそう考えながら、80年代後半以降の人生を過ごしてきた。親日家として知られるベーシスト=ジャン・ジャック・バーネルの存在によって、ある意味セックス・ピストルズやクラッシュ以上にパンク的なイメージを強烈に印象づけたことが仇となり、多くの日本のファンの目が、彼らの音楽的進化からそむけられてしまう事態を招いたことは、今さら嘆いてみたとして、もはや取り返しがつかない。だが、そうした偏見がほとんど風化しつつある現在こそ、82年から90年までにストラングラーズが残した音楽を再評価する機会を持ちたいと思うのである。このたび、エピック時代にストラングラーズが残した4枚のオリジナル・アルバムと1枚のライブ・アルバムが世界初CD化となる大量のボーナストラックを追加して再発されるのをキッカケに、表面的なスタイルの変化とは関係なく、その精神性はいささかも磨耗することなく貫かれ続け、数多くの素晴らしい楽曲が生み出されていたことを、少しでも多くの人に認識してもらいたいと思う。

 あらためてエピック時代のストラングラーズ全タイトルを聴き返してみて、この時期の彼らの作品が、いずれも甲乙つけがたい傑作ぞろいであることを確信しながらも、もしかしたら個人的には、本作『オーラル・スカルプチャー』に、とりわけ強い思い入れを持っているのかもしれないというような気がしている。84年にリリースされた当時、私はとにかく狂ったように繰り返し繰り返し本作を聴きまくる日々を送った。今現在、こうして原稿を書きながら聴いていても、全曲ほとんど空で歌えるし、ついつい歌い始めてしまって、仕事がまるで進まないような有り様だったりする。
 パンク的な激しいロックンロールを聴かせた初期3作、果敢にアヴァンギャルドな作風に挑戦した中期3作を経て、移籍第1弾アルバム『黒豹』で、彼らは新たな音楽的方向性を確認した。そうして、その後のエピック時代の作品において追求されるテーマは、初期から一貫してストラングラーズの持ち味であった流麗なメロディを、いかに優れたアレンジとサウンド・プロダクションにのせてリスナーに提供するか、というものになったのである。おそらく、彼ら自身も『黒豹』の成功によって、自分たちの進むべき道について自信を深めることができたのだろう。続く『オーラル・スカルプチャー』では、さらに徹底的にアレンジとサウンド・プロダクションにこだわってみせた姿勢がハッキリと感じられる。前者においては、よりいっそう多彩になったギターやキーボード類の使い方はもちろん、初めてホーン・セクションを導入したことなどに、その様子がよく表れているし、後者に関しては、しばらくセルフ・プロデュース指向を続けていたストラングラーズが、ローリー・レイサムという気鋭のプロデューサーを起用している事実などに、彼らの意欲の一端が伺えるのだ。ちなみにレイサムは、後の97年に発表されたヒュー・コーンウェルのソロ・アルバム『ギルティ』も手がけることになる。結果としてレイサムの登用は、サウンド全体に一気に(80年代当時の)モダンな質感をもたらす成果をあげた。前2作にあたる『ラ・フォリー』と『黒豹』でのトニー・ヴィスコンティのミキシングも悪い仕事ではないし、今聴くとそれはそれで良い味を出していると言えるのだが、リリース当時に聴いた時点では、やや古いタイプのサウンドに感じられるようなところもあった。それが『オーラル・スカルプチャー』では、もっと80年代的な、クリアーかつ立体感のある音像を達成しており、80年代に入ってからのロック・リスナーである自分は、アルバム冒頭の“アイス・クイーン”が鳴り響いた瞬間から、音そのものがもたらす快感にグイと引き込まれてしまったことをよく覚えている。
 アルバムは、その“アイス・クイーン”に続けて、3つのシングル曲“スキン・ディープ”、“レット・ミー・ダウン・イージー”、“ノー・マーシー”とたたみ込み、「孤高のバンド」のイメージを高める“ノース・ウィンズ”で最初のクライマックスを迎える。後半はタイトな“アップタウン”から、ブラスが迫力満点の“パンチ&ジュディ”、そして“スペイン”と、聴きごたえのあるポップ・ナンバーで盛り上げた後、虫の鳴き声でスタートする“ラフィング”、そこへフェード・インで入ってくる“ソウルズ”と、しっとり系の聴かせどころに持っていき、ラストは軽妙なコーラスをフィーチャーした、ある意味で最もかつてのストラングラーズらしくない曲調の“マッド・ハッター”でしめくくられる。まさに一分の隙もなく作り込まれ、全編を飽きさせることなく聴かせ通す力を持った、見事と言うほかない完璧なポップ・レコードだ。
 ところで、さっきトニー・ヴィスコンティのミキシングが「今はもう古くさく聞こえなくなった」というようなことを書いたが、実は『オーラル・スカルプチャー』が作られた頃の80年代半ばのサウンド・プロダクションというのは、90年代も終わりに近づいた現在の感覚で向き合うと、逆に一番古くさく聞こえるものになっていたりする。一般的に定着し始めた当初のデジタル・シンセをレコード制作にフル活用していればいるほど、その作品を今聴くと、ちょっと恥ずかしいような気持ちがしてしまうものだ。しかし、この『オーラル・スカルプチャー』は、そうした80年代的サウンド意匠を施されながら、ちっとも古くなっていない。これは、バンド開始当初はオルガンをメインに使っていたキーボード奏者デイヴ・グリーンフィールドが、そこからアナログ・シンセ→デジタル・シンセと最新の機材を取り込んでいく過程で、テクノロジーに溺れることなく、ミュージシャンとしての長いキャリアに裏打ちされたプレイヤビリティーを主軸にして、サウンドの変革を進めていったことの証明だと言っていいと思う。

 本作と向き合った時に真っ先に目を引かれるのは、やはりジャケットに写っている耳の形をした彫刻と、それによって象徴される「オーラル・スカルプチャー」というタイトルに掲げられたコンセプトだろう。このコンセプトは、インナースリーブに、わざわざ五カ国語に翻訳されて記載されていおり、その内容は実に大胆不敵というか、傲岸不遜なまでのストラングラーズらしい態度に貫かれているが、同時に半分冗談のようでもある。というのは、この耳の彫刻が登場する“ノー・マーシー”のビデオ・クリップが、どことなくトボケたような、ユーモラスな雰囲気を漂わせた作りになっているからだ。ただ、とにもかくにも、彼らが本作において『黒豹』を超えるハイレベルのストラングラーズ流ポップスを完成させ、それを「音響彫刻」として世間に向けて宣言するのも当然というくらい、本作のクオリティがひとつの高みに達していることだけは間違いない。

1999年1月 鈴木喜之


※本稿は、国内盤アルバムのライナーノーツとして書かれた原稿に、一部手を加えたものです。

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